3-2 召集
召集は突然だった。
時刻は午後六時をとうにすぎ、それでも驚くほど明るい道を、自宅を目指して歩いていたところ、関本から連絡が入った。壮亮が研究所を出る際、まだ残ると言っていた彼からの電話に、首を傾げながら応答する。
「三好さん、もう電車乗ってしまいましたか?」
「いえ、まだ駅にもついてませんけど。どうかしましたか?」
「残ってる人だけでもいいからってことになったんですけど、一応連絡してみることになりまして……三好さん、帰ったのついさっきだし」
関本の言葉は、どこか的を得ていない感じがした。言葉だけではない。声にも落ち着きがなく、電話口からもわかるほど息が乱れていた。
「もし可能であれば、戻ってきてください」
聞き終わる前に、壮亮は踵を返し、来た道を戻った。逸る気持ちが、足を前へと動かす。
研究所に着くと、エレベーターに乗り込んだ。地下三階へと続くエレベーターに。
研究室にはすでに人が集まっていた。フルメンバー揃っている。
「三好さん、すみません」
声をかけてきたのは、関本だった。声や息使いだけでなく、顔色まで悪い。青いというよりは、白く、色がなくなっているといった方がよさそうだ。
「大丈夫ですか?」
壮亮の言葉に、彼は無理に口角を上げただけだった。
遅れて篠崎がやってきた。緊張が走る空間に、彼はほんのりと笑みをたたえていた。たたえているように見えた。
「全員揃っているんですね。残っていた人以外は戻ってきてくれたんですか。ご苦労様です」
「説明はわたしの方から」本間が引き継ぐ。
「わざわざ戻ってきてもらうほどのことでもないかもしれませんが、現在進行している実験に関して、少し変調が見られました。最初の変化なので、早急に情報を共有しておきたいと思います」
みなが固唾を呑んで見守る中、壮亮は言い訳がましい文言を最初に挟んできたことに、引っかかりを覚えた。
問題は、今週のレシーバーの動きにあった。レシーバーの動きは部屋、そして彼の右目横に埋め込まれたカメラにて観察していた。埋め込んだといっても、メスを入れたりするようなものではなく、針を刺す程度のものだと説明を受けている。が、顔を変えるくらいだ。本当のところはわからない。
撮影された映像は、すべてデータとして保管されている。毎日担当を決めてモニターしており、逐一共有もされているが、アレルギー反応を起こしたこと以外、問題に上がるようなことはなかった。
「問題というよりは、実験を始めて数ヶ月。観察を始めて以来、見たことのない行動を起こしているんです」
見てもらった方が早いでしょうと、本間がプロジェクターをつけると、扉付近に立っていた人が電気を消し、それを確認したかのように再生ボタンを押した。
映像は、レシーバーが暮らしている部屋の中、台所を映し出しているカメラが捉えたものだった。撮影時間は夜七時過ぎ。男は冷凍庫を開けると、何かを取り出した。
夕食でもつくるのだろうか。それにしては遅い。男はいつも夜六時までには夕食を終えている。
取り出したものはさほど大きいものではないのか、男の手に隠れてしまっていた。男はそのままゴミ箱に向かい、持っていたものを捨てた。
次いで、食品を置いている棚を見た。何かを探しているのか、棚に顔を突っ込んでいる。
そこで映像の視点が変わった。視界が狭くなる。目の横に設置されているカメラに変わったようだ。
男はカップラーメンを手に取った。やはり食べるものを探していたようだ。
何がおかしい映像なのだろうかと、壮亮が気を抜きかけたとき、男は再び棚の中に視線を戻し、今度はパンを手にした。パンは、スーパーなどで売られている菓子パンだ。カップラーメンだけでなく、パンも食べるつもりなのだろうか。男は食に頓着があるタイプではないが、炭水化物を組み合わせて食べることは今までなかった。これが問題視されていることだろうか。
男はパンをゴミ箱に捨てた。中身はまだ入っている。
「賞味期限が切れていたのでしょうか?」
誰かが口にする。待っていましたと言わんばかりに、本間が別の映像へと切り替えた。映像は相変わらず顔前のものだが、日付が次の日に変わっていた。
日時は朝、男が起床し、朝食を食べる時間帯だ。男はいつも、パンとコーヒーで簡単に朝食をすませている。たまに職場で差し入れをもらうこともあり、それが果物なら、次の日の朝、食卓に並ぶこともあった。
準備は簡単。パンは焼くだけ、コーヒーもインスタントなので、お湯を沸かして注ぐだけだ。
しかし、いつまで経っても用意しようとしない。それもそのはず、パンは昨日、自らの手でゴミと化したのだ。忘れてしまったのだろうか。
男は棚を漁ったあと、家の中を歩いていた。何をしているかわからないが、何かを考えるときにするような行動に見えた。
しばらくして、男はゴミ箱を開けた。ゴミ箱にはふたがついており、レバーを踏んで開閉できるようになっている。
開いたゴミ箱から、昨夜男が捨てていたパンを拾い上げる。まじまじと見つめていた。その目は、賞味期限を捉えていた。パンの袋に書かれている日付と、画面横に表示されている日付を比較する。同一日だった。つまり、賞味期限は切れていない。
男は再び、ゴミ箱から何かを取り出した。紙パックのようだった。牛の絵と、商品名が黒字で書かれている。壮亮も手にしたことのあるものだった。あれは牛乳だ。
「これもまだ期限は切れていないものですね」
誰が口にした言葉かわからなかったが、壮亮は静かに相槌をうっていた。
再び映像が変わる。日付はさらに進んだが、視点はやはり顔前のものだった。変わらず家の中にいて、台所を漁っている。また食べるものを探しているのだろうか。
壮亮の予想が外れたのか、目当てのものが見つからなかったのか、そのあと食事を始めるということはなかった。
男は乱暴に棚の扉を閉めると、そのまま外へと飛び出した。
夜に出かけることも、壮亮が知る限りではこれが初めてのことだ。
少し歩いたところにあるホームセンターに入って行った。顔をキョロキョロ動かしているのか、視界が揺れる。
男は包丁を手に取り、レジへと持っていく。そのまま会計をすませ、帰路についた。
「以上になります」
言葉と同時に、映像が終了した。スクリーンが暗くなり、部屋の明かりはプロジェクターから出ている青い光だけだった。
「これはつまり、どういうことなんでしょう?」部屋の明かりをつけた同僚が、誰にでもなく問いかける。
「詳しいことは、脳波を見てからにしようと思っていますが、考えられることはあります」
おそらく、この場にいる人なら、みな想像はついているだろう。かくいう壮亮も、素人ながら、ひとつの仮説を立てていた。いや、この研究に関わってすぐ、想像していたことだ。
「見てもらった映像の前半ですけど、彼は仕事から帰ってきたあと、眠りにつきます。が、すぐに起き上がりました。ハッとしたように起きたのではなく、ゆっくりと起き上がったのです。そして、冷蔵庫を物色しようとしたのでしょう。目当てのものを見つけるよりも先に、嫌なものを見てしまった。だから捨てた。それは牛乳です。彼が捨てたものはもうひとつあります。パンです。彼が毎朝食べているパンを、一口も食べることなく、袋を開けることなく捨てました。しかし翌朝、彼はゴミ箱に入っているパンを不思議そうに見ています。自分が捨てたという意識はないかのように」
篠崎は言葉を切ると、部屋に入ってきたときと同じように、笑みを浮かべた。
「パンや牛乳を捨てていることが証拠でしょうね。彼にとっては、それは食べられないものですから」
「包丁を買っていたのも、それが原因でしょうか」
「移行はうまくいっていなかったってことですか?」
口々に言葉が飛び交う。
「移行はうまくいっていました。ただ、書き換えられた性質を維持するためには、今の方法ではいけないのかもしれません」篠崎は一度言葉を切ってから続けた。「ただ、これだけで結論を急ぐ必要はありません。もう少し経過観察を行いましょう」
情報共有だけで、一同は解散した。
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