2-10 自宅調査
電話で起こされた。
電話がかかってくるのは初めてのことで、おまけに起き抜けだったせいか、電話だとは気づかなかった。アラームをかけていただろうかと目を擦り、止めようとしたところで、やっと理解した。
電話の相手は決まっている。この番号を教えているのは、一人だけだ。
「はい」
「もしもし、湊斗。ちょっと確かめたいことがあって、湊斗の家行きたいんだけど。昼すぎに行くから、あとで住所送っといて」
用件だけを伝えると、ぷつりと電話は切れた。
突然のことに、少しの間ベッドの上で呆然としてから、スマホに目を落とした。確かに、新から着信が入っている。寝ぼけていたわけではなさそうだ。
新に住所を送ってから、もう少し寝ようと布団に入ろうとしたところで、思いとどまった。少しくらいは掃除をしておこう。湊斗は着替えをすませてから、寝室を出た。
新はお昼をまわって二時頃にやってきた。
インターホンが鳴り、モニターで確認すると、一瞬誰なのか認識できなかった。モニターに映った人物は、サングラスに目深にかぶったキャップ、Tシャツにジーンズ。すべて黒で統一されていた。湊斗も全身黒でコーディネートすることが多いが、これほどいかつくはならないと思うほど、乱暴そうな様相でやってきた。サングラスのせいか、人物が醸し出す雰囲気によるものなのかはわからない。
ちらりとサングラスから覗いた瞳で、やっと新だとわかり、ドアロックを解除する。中から解除するのはこれが初めてだったので、少し緊張した。
新はかなり大きな荷物を持っていた。一週間ほど旅行にでも行くのだろうかと思うほどのボストンバックを、床に置く。大きさもさることながら、置いた時の重量感のある音から、重みが伝わってくる。
「何を持ってきたんですか?」
新は口の前に人差し指をのせた。声は出していない。その仕草が何なのかわからなかったが、ひとまず新を真似て、黙っていることにした。
新はかばんから機材を取り出した。小さなものから大きなものまで、多様に入っている。見ても、それが何の機材なのかは、湊斗にはわからなかった。
説明もないまま、機材の電源を入れると、新は部屋の中を歩き出した。リビングから始まり、ダイニング、キッチンへと続く。扉を出て、トイレや風呂、クローゼットから寝室まで、隈なく歩きまわった。
最初から最後まで訳がわからず、湊斗は少し怖くなった。
「ひとまず、問題なしだな」
再びリビングに戻ってきた新が、ため息まじりにこぼした。ここにきて初めて声を出した。サングラスもようやく外す。
「何をしていたんですか?」
「いや、監視カメラとか盗聴器が仕かけられてないかと思ってさ」
「監視カメラ? 盗聴器?」
新が持ってきた大荷物は、それらを検知するための機材だった。なるほど、だからこんなに大荷物なのかと納得する。
「そんなこと考えもしませんでした。さすが緒方さん」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
湊斗としては、素直に褒めたつもりだった。
「そうだ、これ」
土産だと、箱の入った袋を湊斗に渡す。中身はケーキだという。可愛らしいケーキが四つ入っている。
せっかくなので、一緒に食べようとキッチンへと向かう。新も一緒にやってきた。先に選んでいいと言われ、桃のタルトを選ぶと、新がおかしそうに笑った。
「なんとなく、それを選ぶと思ってたよ」
「もしかして、兄が好きだったものですか?」
新は何も言わなかった。が、思い出にふけっているのか、顔が綻んでいた。
コーヒーを淹れ、ケーキと一緒にダイニングに運ぶ。新は大の甘党らしく、二つ食べると言ったので、皿に二個載せた。食べられるならと、湊斗にも二個勧めてくれたが、残りの一個は冷蔵庫へと見送られた。
「研究所でのこと訊いていいか?」
一個目のケーキをペロリと完食し、砂糖の入ったコーヒーを飲んでから切り出した。
「カウンセリング受けてたとか、映画観たり、テスト受けてたとかは聞いたけど、他にしてたことはないか? 人に会ったりとかは?」
「僕が顔を合わせていたのは、カウンセリングとか、テストを受けるときに対応をしてくれていた人だけです。一人だけ。他は、部屋を移動するときにも、誰かとすれ違うことさえありませんでした。他にやっていたことは、特にないですかね。大半は眠っていましたし」
「それが意識共有ってやつだな」
湊斗は曖昧に頷いた。
「頭に何か埋め込まれてるって話だけど、それが何なのかはわからないんだよな」
「具体的には……おそらく意識共有に必要なものだとは思いますけど」
「湊斗が見てたのは、陽翔が見てたものって感じなんだよな? それで感じた、陽翔の感情が流れ込んできた、と」
今度ははっきりと頷く。
「それは居場所とかも感知できるものなのかね」二個目のケーキを口に運びながら呟く。
「研究所にいたとき、陽翔がどこで何をしてたとかも話してたか? つまり、詳しい場所なんかを訊かれたことはあったかどうかって話だけど」
「場所は特に話したりはしてなかったですね。漠然と、遊園地に行ってたとかは話したことがあったかもしれませんけど」
「場所は重要じゃないってことか。GPSならスプーフィングしてやったのにな」
何気なくこぼした新の言葉を、湊斗は聞き取ることができなかった。
聞き返すと、「ジャミングはわかるか?」と、またしても聞き馴染みのない言葉が返ってくる。
湊斗はかぶりを振った。
「要は電波妨害だな。ジャミングはGPSとかの電波と同じ周波数の強い電波を放射して妨害する。スプーフィングってのは、偽の信号を発信して、違う位置情報に書き換える方法だ」
「電波っていうのは、強い方を受信するんですか?」
「そうだ。弱い電波だと、強い電波に埋もれちまう。だから、どっちが受信しやすいかっていうと、強い方ってわけ」
「詳しいんですね」
仕事の関係かと訊ねると、趣味とのこと。
「船舶免許取りたくて、その前に色々調べたんだよ。モールス信号とかな」
「モールス信号ですか。本で読んだことあります。やっぱり、ひらがなよりアルファベットの方が数が少なくて、使いやすいんでしょうか」
「俺はそっちで覚えたけど——なんだ、湊斗も興味あるのか?」
新の目が輝いた。と、すぐに自嘲気味に笑う。
「陽翔にもこの話したことあるんだよ。船舶免許も、一緒に取らないかって誘ったんだ。断られたけどな」
聞けば、陽翔は記号や数字などに苦手意識があったらしい。機械にも疎かった。
「あいつは根っからの文系だからな——文系が機械に弱いわけじゃないだろうけど。だから、あいつが理系の学部選んでるってのは驚きだった」
「確かに、兄は文系科目の方が成績よかったですよね」
「そうなんだよ。同じ学科にいるの、ずっと不思議だったしな」
大きな口を開き、残りのケーキを呑み込むようにして食べると、「それにしても」と、身体を前に乗り出した。
「この部屋、殺風景だな。いつも何して過ごしてんだ?」
「テレビ見たり、あとは本を読んだり」
「本? どんな本読むんだ? 本は最初からここにあったものか?」
「買いました。近くの本屋で。緒方さんも読まれます?」
立ち上がろうとする湊斗を引き留め、「お金なんかはどうしてんだ?」と、話を変えた。
「現金と、それからクレジットカードが用意されてました。好きに使っていい、と」
「ふうん」
またしても、訊いておいて、興味なさげな声を出しながら、背もたれに体重を預けた。が、すぐに戻ってくる。
「考えたんだけどさ、研究所の人間は湊斗に『自由に過ごしていい』とか書き置き残してたんだよな?」
黙って頷く。
「家も与えて、金も工面してくれて? それってちょっと都合がいいと思わないか?」
「都合がいいとは?」
「何のために、そこまで面倒見てくれてんのかってこと。お役御免になったんなら、そこまでするか? 衣食住を確保してやる必要がないんだよ」
考えたこともなかったが、確かに新のいうとおりだ。
「じゃあ、どうして僕は何不自由なく過ごせているんでしょう?」
「考えられるとしたら、お役御免になってないってことだな」
「つまりそれは?」
「それは、わからん」
予想はしていたが、多少期待もしていた。
「カメラも盗聴器も必要としないんだろう。なくても、やつらは事足りる。それはつまり、湊斗たちが開発に利用されていた機械が関与してるんだろう。おっと、機械をどう利用しているのか、それが湊斗にどう関わってくるのかなんて、俺に訊くなよ。わかんねえんだから。ただ、ひとつだけ言えることとしたら、やつらの思い通りになってたまるかってことだな」
湊斗は自分の頭に手を触れる。「僕に埋め込まれているものを取り出せたら、一番手っ取り早いんでしょうけどね」
「それは無理な話だな」新は笑った。苦い笑いだった。
「何か他に手がかりがあればいいんだがな」
「研究所に行ってみるとか?」
提案してみたはいいが、湊斗は研究所の所在地を知らない。どんな外観をしているのか。ここから遠いのか、何の情報も持たなかった。だが、調べる方法はあるだろう。新なら調べられるかもしれない。
研究所の場所がわかれば、入り口のところで待ち伏せして、研究に携わっている人にコンタクトを取ってもいい。顔を見ればわかる人は、一人だけいる。
いい案だと思ったが、新は難色を示した。
「賛成しかねるな。うまくいくかもわからないし、わけわかんねえことしてるやつらだ。何の情報も持たない状態で突撃するのは、こっちが不利なだけだ」
「それもそうですね」
「まあ、長期戦だろうな。こっちでも色々調べたりしとくからさ、湊斗も何か思い出したら教えてくれ」
「ありがとうございます。僕の方でも調べたりしておきます」
「どうやって調べるつもりだ?」
「本とか、あとはスマホとか?」
「やめとけ」一刀両断だった。「本は買ってもいいけど、現金を使え。クレジットだと履歴が残るからな。スマホもだ」
代わりに、図書館を使えばいいという。
「この近くにあるだろ、大きめの図書館。あそこは確か、申請すればパソコンも使えたはずだ。調べたいものがあれば、そこを利用させてもらえばいい」
「僕でも利用できますか?」
新は呆れたような顔をしたが、すぐに笑い飛ばした。「仕方ない、今から行くぞ。ついでに、利用カードもつくればいい。住所がわかるものはあるか? ああ、郵便物でも大丈夫だ。準備でき次第、すぐ行くぞ」
立ち上がり、大きな荷物を持った新が振り返る。
「それから、今度陽翔の家に行くことがあれば、そのときはスマホは家に置いていけ。電車に乗るときも切符を買うんだ」
湊斗は、え、というように口を開けた。「もう何度か行ってます……」
「そうなのか? まあ、いいか。念の為だからな。次回以降、気をつけてくれ」新は口を閉じると、真顔で湊斗の顔を見た。「切符の買い方はわかるか?」
「それくらいわかりますよ」
言ってから笑った。「と言いつつ、この前駅員さんに訊いたんですけどね」
新も笑った。
「スマホを使ってはいけない理由は何ですか?」
「GPS機能がついているからだ。スマホの電子決済で電車に乗っても、足がつく」
なるほど、と頷いた。
「すみません、色々とご面倒をおかけして……僕、友達もいないし、知り合いも少ないので、他に相談できる人がいなくて」
親身になってくれる新に、依存しすぎてしまっているのかもしれないと反省する。
新は目を丸くし、すぐに吹き出すように笑った。「本当、顔以外あいつに似てないな」
そういうところはむしろ自分に似ていると、お腹の底から笑っているようだった。
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