2-8 症状

 年に何度か繁忙期がやってくる。すべて同じ時期というわけではないが、夏休み前に訪れる繁忙期は、毎年必ずやってくるのだと、誰かが教えてくれた。

「七月の繁忙期はやばいよ」

 他の繁忙期に比べても、比じゃないほどの忙しさらしく、気合い入れろよと、喝を入れられる。

 この工場に就職して日は浅く、初めて繁忙期を迎える昴は、みながそわそわと浮き足立つ中に入ることができなかった。

 朝のミーティングから雰囲気は違っていた。告げられる仕事量も、確かに多い。いつもの二倍、いや三倍以上はあるだろうか。

「今日も一日よろしくお願いします」

 締めの挨拶も、心なしか声が大きい。鞭打って頑張るとはこのことか、と思った。

 数が増えるだけだと、甘く見積もっていたツケはすぐにやってきた。作業自体は変わらない。集中して手を動かせば、数が増えた以上の時間はかからないのではないかと高を括っていた。

 新人の甘い考えを見越していたのか、同じラインの先輩が早々にアシストにやってきた。

「大丈夫。みんなでやれば終わるから」

 優しい言葉に、胸が痛くなった。

 昼休憩は、いつもより一時間遅く始まった。食欲はなかったが、用意してきたおにぎりをなんとか口に入れる。

 いつも弁当を分けてくれる佐々野からは、りんごの差し入れをもらった。食べやすいように切られたりんごは、それまで冷蔵庫に入れられていたのか、冷たくておいしかった。

「これ、社長から差し入れです」

 待っていましたと言わんばかりに、歓声が上がる。

 こっそりと佐々野が昴に耳打つ。「繁忙期の恒例なの。社長からの差し入れ」

 今回は何かしらねと、みなの輪に入っていく。昴も呼ばれ、人の壁の後ろ側に立ち、様子を伺った。

 差し入れは、菓子の詰め合わせだった。クッキーなどの洋菓子と、煎餅缶がひとつずつ置かれている。

 人垣から戻ってきた佐々野の手には、あふれんばかりの差し入れの品があった。昴の分も取ってきてくれたらしい。こんなにもらっていいのかと思うほど、昴の両手に種々様々な菓子が降り注ぐ。

「早速いただいちゃいましょ。たくさん食べないと、午後から保たないからね」

 個包装の袋を破き、佐々野はクッキーを頬張った。「うん、おいしい」と、口を動かしながら呟く。

 勧められるがままに、両手の菓子の山からひとつ適当に選び、口の中に入れた。えびせんのようだった。しょっぱさが絶妙でおいしい。口の中の水分はとられる代物だった。お茶を口に含み、残りのりんごに手を伸ばした。

 変化は、午後の業務が始まってすぐに現れた。

 身体がかゆい。まず症状が出たのは、腹のあたりだった。作業着を着ているので見ることもできず、掻くこともできない。放っておけば、そのうち治るだろうと作業を続けたが、一向によくならない。気にしないようにしていても、意識は自ずと腹に向かう。

 解決しないままに、今度は腕もかゆくなってきた。二の腕からかゆみを感じ、指先の方へとどんどん落ちてくる。

「ちょっと、杪谷くん、大丈夫?」

 昴の目の前で同じ作業をしていた同僚が、驚きの声を上げた。作業中に私語はしないことになっているので、その声に周囲の目がこちらを向く。

 近くにいる人は、声を出した同僚を咎めることはしなかった。同じように、心配そうに昴を見つめる。

「それ、蕁麻疹? 顔にまで出るって、大丈夫ですか? 目見えてます?」

 昴は曖昧に頷いた。確かに視界は狭くなっていたが、見えないことはない。作業も変わらず行えている。

「呼吸は? かゆみはある?」

「呼吸は……大丈夫です。かゆみはありますね。正直いうと、ちょっと前から結構我慢してました」

 手を動かしながら、小声で言葉を交わす。近くで作業している人たちも気にしているようではあったが、自分の作業に戻っていた。

「お昼に食べたものが悪かったのかな? 何かアレルギー持ってる?」

「アレルギーはわかりません。昼も、特にいつもと違ったものは食べていないかと」そこまで答えて、差し入れのことを思い出す。「えびせんをいただきました」

「じゃあ、それかも。えびアレルギーなんじゃない? 今までえび、もしくはカニを食べて、蕁麻疹が出たことは?」

 考えてから首を振る。「どちらも食べたことないです」

 同僚は驚いた顔をしたが、すぐにもとに戻った。

 聞けば、自分の子どもがアレルギーを持っていて、症状が似ているとのこと。

「初めてこういう症状が出たなら、ちゃんと病院に行った方がいいかもね」

 礼を言い、二人は再び沈黙した。かゆみは、午後の作業が終わっても治らなかった。

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