1-6 開かない鍵
翌日、湊斗は再び電車に乗っていた。
昨日、新と別れ、家にたどり着いた瞬間に、ゲリラ豪雨を想起させる土砂降りの雨が降った。間一髪のところで帰ってきたことに安堵するとともに、明日のことを憂いた。
日付をまたいで、無用な心配だったことを知る。昨日の雨が嘘だったかのように、空は快晴。降水確率も0パーセントということで、昨日大活躍だった傘も今日は留守番だ。
新とは、駅で待ち合わせをしていた。
駅につき、改札を出ると、すでに新の姿があった。探す必要もなく、すぐに見つけられた。昨日とはまた違う系統だが、派手な柄シャツを着ていたからだ。
湊斗に気づくと、新は軽く手をあげた。
「昨日、雨大丈夫でしたか?」
湊斗が訊くと、雨が降っていた時間帯には室内にいたとのこと。雨が降っていたことも知らなかったという。
「晴れてよかったよ。ちょっと歩くけどいいか? バスかタクシーに乗ってもいいんだけど」
バスはちょうどいいバス停がないため、乗っている時間の方が短く、ほとんど歩く必要があるらしい。タクシーは割高に感じ、あまり乗らないのだと言った。歩くことは嫌いではないので、湊斗は了承した。
新に連れられて歩く道のりは、どこか懐かしさがあった。無理もない。つい先日歩いたばかりだった。
もう少ししたら、学生たちの元気な声が聞こえてくるだろうと予想していたが、屋外で行われる部活動は、いずれも開催されていなかった。昨日の雨で、グラウンドのあちこちに水たまりができていて、とても使える状態ではない。今日の練習は休みか、筋トレメニューをこなしているのだろう。
中学校に沿って曲がるところまで同じだった。さらに驚いたのは、「彼」の家だと案内された場所が、先日このあたりを歩いたときに目が留まった鉄筋コンクリート製のアパートだったことだ。
湊斗は口を開けたまま、アパートを見つめていた。
「どうした」
湊斗はかぶりを振ると、新のあとを追った。
「彼」の部屋は一階だった。一〇三号室だと説明を受けながら歩いていると、新の足が止まった。
「どうしたんですか?」
新の背から顔を出し、一〇三号室に目を向ける。そこに誰かがいるということはなかった。
アパートの扉は白っぽく、鍵穴はドアノブのところにひとつ。扉にポスト口があるタイプだった。
通り過ぎた二つの部屋と違うところがあった。他の部屋には、つい先ほど入れられたのだろう、デリバリーピザのチラシが飛び出していた。一〇三号室にはそれがない。代わりに、ポスト口をきれいに塞ぐようにシールが貼られている。シールには「投函禁止」の文字。
「おかしい」新が呟く。
「おかしい?」
湊斗の声は、新に届かなかった。彼は一〇三号室の前に立つと、湊斗に向かって手を差し出した。「鍵」という言葉に、やっと出された手の意味がわかり、慌ててかばんから鍵を取り出した。
新は鍵をさした。しかし、鍵は途中までしか入らなかった。もちろん回ることはない。開くはずもない。
しかめっ面のまま、新はインターホンを鳴らした。応答はない。もう一度鳴らす。ノックもしてみるが、誰かが出てくる様子もない。
何分かそうしていると、一〇二号室の扉が開いた。出てきたのは、中年男性だった。見るからに寝起きのような顔をしている。格好もタンクトップに短パンと、ラフなもの。出かけるために部屋を出てきたわけではなさそうだ。
「騒がしくてすみません」
中年男性が口を開く前に、新が先手を打った。新の姿を見た時点で、文句も言えなくなったように思うが、下手に出たのがよかっただろう。苛立ったような空気を軟化させ、ぼさぼさ頭を掻いた。
「引っ越したみたいですよ」
「引っ越した? 一〇三号室の住人が、ですか?」
頷く男性に、「それはいつのことですか?」と、さらに新が訊ねる。
「一ヶ月前だったか、二ヶ月前だったか。少なくとも最近のことじゃないですよ」
新は丁寧に礼を言い、アパートをあとにした。
目的を果たせぬまま、二人は来た道を戻っていた。新は黙ったままだ。眉間のしわは深くなる一方。
新の様子から見て、「彼」が引っ越したことは知らなかったようだ。当然、引っ越し先も検討がつかないのだろう。
「鍵は引っ越し先のものなんでしょうか?」
新の反応はワンテンポ遅かった。声をかけられたような気がして、湊斗の方を見たような感じだった。実際、聞き取れてはいなかったらしい。湊斗としても、意味のない問いかけをした自覚はあったので、質問を変えた。
「賃貸というのは、前に住んでいた人が出たあとは、必ず鍵を変えるものなんですか?」
「いや、次に借りる人の要望があれば、その人が金出して変えることはあっても、必ずってことはないと思う」
「彼」が黙って引っ越していたことが、かなりショックのようだ。口調がいつもより弱々しい。
「仮に鍵を変えていたとしても、その前の鍵を陽翔が持っていたのはおかしい」
「部屋を出るときは、鍵はどうするものなんですか?」
「仲介してる不動産に返す。直接、大家から借りてる場合は大家に。でも、不動産を介してる方が多いだろうな」
「鍵はひとつだけなんですか?」
「借りる部屋にもよるけど、スペアとして最初に何個か渡される場合もある。それは全部、退去時に返さないといけない。自分で複製した場合も全部」
湊斗は新の言葉を咀嚼しながら頷く。「じゃあ、これが不動産から借りたものでも、陽翔さんが複製したものだったとしても、今ここにあるというのはおかしいってことですね?」
「彼」はなぜ鍵を預けたのか。引っ越す予定があったのに——
それとも、預けてから引っ越さなければならない理由ができたのだろうか。
おかしな話だと思った。「彼」は新に鍵を預けるとき、しばらく連絡が取れないというようなことを言っている。旅行に行くのか、という問いに、そのようなものだと。
そうなると、その前に引っ越しが必要だったことになる。
鍵はあの部屋のものではない?
何もわからないまま、二人は駅で解散した。
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