第五十八話 悪魔の囁き

敵がオーレンファイド城に撤退してその日の戦闘が終わった後、ノーブル殿の敗残兵を収容して父上に奪われたと思しきヒューズ城へ向かってくれるように使者を送り、陣地の設営作業を進めていた。


「この度は本当にありがとう。なんと礼を言っていいものやら……。」

ノーブル殿は仮説の天幕の中で俺に深々と頭を下げていた。


「お、おやめください!盟約を結んだ仲間同士ではありませんか」

「だとしてもだ……。貴殿等は十二分に役割を果たしたのに対して私は自軍の大半と居城まで失う始末。とてもではないが顔向けなんぞ出来ない」

ノーブルはそう言って項垂れてコチラと目を合わせようとはしなかった。確かにノーブル殿の軍はある程度の収容が完了しているが500居た兵士に無傷の兵はおらず生還者も150程。


軍隊は部隊の損耗率が三割を越えると撤退に必要な最低限の人員を加味して壊滅の判定が下される。それが今回は六割以上が死亡した計算になるので軍組織としての機能は喪失したに等しかった。


俺がノーブル殿を持て余していると天幕に傷だらけのナタリーが入ってきた。

「ノーブル様!ご無事でしたか!」

ナタリーは天幕に入るや否やノーブル殿に駆け寄った。

「おぉ…!ナタリーか。ルイ殿のおかげでなんとか生きながらえた」

ノーブル殿の言葉にナタリーはハッとしたように目を見開くとサッと立ち上がって俺のことを見据えると片膝をついて頭を下げた。


「これまでの数々の無礼をお許しください。本来ならば私共武官がお守りせねばならぬ所をお助けいただき感謝致します」

「ナタリー殿まで……。顔をお上げください。我らもすぐに救援にこれていればこんなことにはなっていなかったのです。責められこそすれ感謝されることではないのです」

俺は必死に二人を立たせようとするが頑なに二人は立ちあがろうとせず頭を下げたままだった。


そこへセシルが天幕に入ってきて頭を下げる二人を見てギョッとした後に俺の元へ寄ってきて耳打ちをしてきた。

「若様!エン殿がすぐにお会いしたいとのことでお時間ございますでしょうか…?」

俺は渡りに船とばかりに彼の報告に飛びついた。


「あ、あぁ!すぐに行こう!御二方、ここから挽回すれば良いではありませんか。まずは我が陣の中で休息を取って今後のことを考えましょう」

そう言い残して俺はセシルと共にエン殿の元へ向かった



俺が陣から少し離れたところへ連れて行かれるとエン殿とブレッドが待っていた

「すぐに会いたいとのことだが急用か?」

「まぁ、そんなところかな」

エン殿は両腕を組んで頷いた

「僕はねルイ殿に二つの道を勝手に用意させてもらったんだ」

「二つの道?」

「そう、まずね。ノーブル殿のヒューズ城に敵兵を招き入れたのは僕なんだ」

「は?」


俺は一瞬エン殿が何を言っているのか分からなかった。

「つまり、エン殿が追い詰められる状況を作ったと…?」

状況が掴み切れないが確認するように問うた。

「うん、その通り」

彼が笑顔で頷いた瞬間俺はエン殿の首元の服を掴み上げていた。

「なに、勝手なことしてるんだ?今日の戦闘でどれだけ死んだかわかってるのか?ノーブル殿がどれだけ苦しんでいるかわかっているのか?なぁ!」

俺が怒気を孕んだ声で問いかけるがエン殿はどこ吹く風で笑みを崩さなかった。そこへブレッドとセシルが割って入り俺たちを引き剥がした

俺はまだ怒りは収まらなかったがエン殿は乱れた服を直して俺の方を見つめた。

「だから、二つの道があるって言ったんだ。一つはヒューズ城の敵を追い払ってルイ様が居座る。ここまで来たんだ。ノーブル殿もハーレー殿も潰して一気に城を二つ手に入れたっていいんじゃない?」


彼の囁きは悪魔の言葉そのものだった。確かに今この一連の流れでイニシアチブを握っているのは俺たちキャラハン家だ。全てを総取りもできるし勝たせたい方を勝たせることができる。その響きはあまりにも甘美だった。


「そしてもう一つの道はノーブル殿を勝たせること。これは最初の想定通りだよね。でも窮地を助けられたことで君への信頼は絶対のものになった。あとは少しずつ利権をむしり取って行けば時間はかかるけど結果は同じさ」


結局辿り着く先は同じ。その言葉で俺の心はますます揺れた。それなら今ここで城を奪取しても…。いやいや、それでは周囲の人間や勢力から信頼を失う。それなら最大限の恩を売っておくのが得策なのか…?俺は悩んだ。貴族として栄達するためには時には非情な選択も厭わないつもりだったがあそこまで慣れ親しんだ人間を裏切るのにはどうも気が引けた。


俺はセシルとブレッドを見る。ブレッドは我関せずといった風で腕を組み瞑目している。そしてセシルを見ると昔から変わらぬまっすぐな瞳で俺のことを見ていた。

「セシル。俺は……。」

俺の言葉にセシルは呆れたように息を吐いた。

「若様。なぜそのように悩むことがあるのです?貴方様がキース・ウォーデンから城を奪ってもその地の人間は貴方様を責めなかった。そのことを考えれば答えは自ずと決まってくるはずですよ」


キースの言葉に俺はハッとさせられた。領民は圧政を敷き不誠実に対応したキースのことを助けようとしなかった。そして彼らの信頼を勝ち取った俺のことを笑顔で迎えた。つまり、この他者を一切信用できないようなこの乱世において信頼というものは一度失えば取り戻せることはないのだとあの人間から学んだのではなかったか


「そうだな…。俺はどちらの道も似合わないな」

「ふーん?つまり?」

エン殿は興味深そうに俺の顔を覗き込む

「もちろん恩義は売るが利権がどうこうとかは一切関係ない。俺たちが目指す先はまだ遠い。信頼というカードを捨てるには早すぎる」

俺の回答に満足したのかエン殿は頷いてブレッドと共に人に戻って行こうとする。

が、俺は逃がさないとばかりに彼の肩を掴んだ。


「ん?何?今日の夜?空いてるよ」

「あ?俺にそっちのケは無いって何度も言ってるだろ。そうじゃなくて発動しなかった策の尻拭いはしろよ?」

「へ?」

エン殿は引き攣った笑みを浮かべて必死に前に進もうとするが俺は腕に力を込めて肩を鷲掴みにした。

「ヒューズ城はエン殿とブレッドそれに編笠衆で敵軍を殲滅しろよ?な?」

俺の言葉を聞いてエン殿の引き攣った笑みはさらに深くなった。


「じょ、冗談でしょ?」

「いいや?本気だ。その次々と悪どい策を考える頭を持ってすれば余裕だろう?」

「グッ、わかったよ……。なんとかするさ…。」

彼は不貞腐れたように口を尖らせるとブレッドを連れてヒューズ城の方へと歩いて行ってしまった。


「若様……。本当にあの彼らで大丈夫でしょうか…?」

「まぁ、父上もヒューズ城へ向かっている。最悪の場合は父上の軍勢でなんとかするだろ」

セシルは不安そうに彼らの後ろ姿を見送るが俺としては少しでも独断専行を辞めてくれたらいいなぁという希望を持って彼らを見ていた。


「俺たちは俺たちで城攻めの用意をしなきゃならん。確か傭兵の頭目を捕虜にしてたな。確か名前は…」

「ザップですね」

「そうそう、そのザップだ。ソイツに城の内部構造を図示させてやりようを考えよう」


そうして俺とセシルは天幕へと戻りながら次の作戦へ目を向けて行った。

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