第三十四話 呑まれる空気と呑む空気

「まずはそちらの提示する条件についてもお聞きしてよろしいか」

「うーん、そうだなぁ。僕らリューの一族に利益がある様にしてもらわないとね」


彼は事も無げに言ってのけたが本当に良いのだろうか


「それでよろしいのですか?確か現城主のリュー・ゲン殿はサラマンド子爵の元庭番であり、城を与えられた身であるはず。子爵家への忠義などというのは?」


俺の質問にエン殿は袖で口元を押さえて笑った

「あはは、この争いの世になってから援軍どころか音沙汰ひとつもない御方に忠義などと馬鹿らしい事です」


彼の笑顔の奥には支援を寄越さない子爵への怒りのようなものが見え隠れしていた

この分だと積極的に敵に回ることはないだろうが味方になってくれるかどうかも怪しい。

「な、なるほど……。では、我らからの要求はキャラハン家の軍門に降ること、見返りとしてはそちらの本領であるキュエル城は安堵、リュー家の一族は厚遇を約束する。と、言うのでいかがでしょうか」

俺の提案を聞いてエン殿は薄い笑みを浮かべたまま首を横に振った


「僕の話を聞いておられましたか?そんなことは最低条件ですよ。その上に何を積み立ててくださるのですかと聞いているのです」

流石に、コチラに都合が良すぎたか……。まぁ刃を一度も交えていないのに兵力にものを言わせての降伏の要求は厳しいだろうな。特に相手は山城だ。平地の城ですら3倍の兵力が必要なのに山城攻めとなると必要な兵力に関しては考えたくもない


「それにね?我家ウチの城は攻めるなら苦労するだろうね」

「それは山奥に城を構えるからでしょうか」

「うーん、それもあるんだけどね?ほら僕の所の城の兵士って死兵だから」

そう言うとエン殿は小悪魔のような笑みを浮かべて小首を傾げた


「死兵と言うと……?」

「なんかね、ちょっと前に100人ぐらいのゴロツキ達が徒党を組んで僕達の城を攻めてきたことがあったんだ。でもね?僕の兵士はたった30人でそいつらを殲滅しちゃったんだってさ」


敵100人を30人で……?いくら正規兵と非正規兵と言う差があったとしてもそれは難しい。

「後で話を聞いてみればゴロツキ共の狙いが僕ってわかった途端に殺し尽くしちゃったんだってさ。怖いねぇ」


言葉とは裏腹にエン殿は愉快そうに目を細めている

「そう言うわけで、あんまり戦うことは考えない方がいいよ?あの人たちなら逆侵攻まで考えかねないから」

おそらく、彼の美貌にあてられた兵士たちが死を恐れなくなっているのだろう。

それだけならまだしもエン殿は自身の美貌の使い方をよくわかっている。おそらく兵士たちに程よく粉をかけて忠義のある兵士を侍らせていたりするのだろう


「それで、俺の家臣であるブレッドも手玉に取ったって言うのか?」

俺がジトーっとした目でブレッドを見つめると当の本人はビクリと肩を震わせてそっと目を逸らした。エン殿は袖で口元を抑えて目を細めている


これは、恐るべき能力だな。前世のシミュレーションゲームでいう所の魅力の値が凄まじいと言ったところか。

「いつまでエン殿のそばにいるつもりだ。コチラへ戻ってこい」

俺が静かに言うとブレッドは渋々といった風で俺の後ろのハンターの横に並んだ


「我が家臣が随分と世話になったようで」

「いえいえ、見た目によらず可愛らしい方でしたよ?」


おいおい、ブレッド君よぉ。何処までやったんだ何処まで。まぁ、俺には男色のケはないから聞きたくもないわけだが


「ゴホン、そちらの兵の恐ろしさは今わかった。コチラとしても条件を上乗せしたい所だが何をご要望かな?」

「うーん、そうだなぁ。目先の物質的利益は求めてないしなぁ」


エン殿は小首を傾げて余裕の表情で笑っている

「金も人も物も要らないと?」

「うん、要らないね。そもそも、僕らリューの一族は東の大陸から無理に連れて来られてね。無一文から身を立ててるから今の城と慕ってくれる兵士たち、それと一族が平穏に暮らせればそれでいいのさ」


うーむ、この手の交渉で一番困るのは無欲な相手なのだ。

現状に満足している相手には目の前に何をぶら下げても食いついてくることは無いからだ……。


「でも、強いて言うなら。僕に面白い世界を見せてくれる主人が欲しいね」

「主人…?」

俺が訝しげな表情を浮かべると彼は肩をすくめた


「僕らリューの一族は強力な主君を得て栄達するのを誉れとしているのさ。事実、僕のお祖父様も父上もサラマンド子爵家に仕えて城持ちにまでなったしね」

そう言うと彼は席を立ってゆっくりとコチラに近づいてきた


背後でハンターが剣に手をかける音がしたので片手で制して、エン殿の動きを見守る

エン殿は俺の横に立つと身体を曲げて俺の顔を覗き込んだ

「君は僕が仕えるに値する主君かなぁ?」


彼の声で自分の視界がぐにゃりと曲がったような感覚を覚える。

それでも俺はエン殿から目を逸らすことはしなかった。自身の動悸が激しくなって冷や汗が背中を伝う感覚だけが自分がまだ正気であると言うことを示していた


そのまま沈黙の時間が5分10分と過ぎていった。その間も心臓のあたりでガンガンと鳴り響く警鐘を気合いで押し込める


そして十数分経過した時、エン殿はパッと目線を上げてため息をついた

「そっか……。僕がこれだけの時間見つめて目を逸さなかったのは君が初めてだよ。よっぽどやましいことが無いのか、それとも肝が据わっているのか……。」


彼は顎に手を当てて少し悩んだ後に仕方がないとばかりに頷いた

「城のことは諦めて欲しい。軍門に降ることも城を明け渡す気もない」

「そうか」


交渉は失敗か……。父上と協議してあの狂信者じみた敵兵を崩す手立てを考えないとな。

俺がため息をついて席を立とうとするとエン殿は元の席に座って背筋を正している

「おっとっと、でも交渉が決裂したなんて言ってないよ?」

「どう言うことだ?城は諦めろと……。」

「そう、城は僕らの家だから諦めてね。ただ、対等な独立組織として君たちと盟約を結びたい」


「ん?」

何が何だかわからないがわからないうちにエン殿が二の句を続ける

「それでね、こう言う盟約は打診した側が人質を出すって相場が決まっているだろう?」

「あ?あぁ、うん?まぁ、そうか?」

俺は状況が飲み込めないがとりあえず相槌を打っておく


「その人質は僕っていうのでどうだろう?」

エン殿は自身を指差してニコニコとしていた

話が急展開すぎて頭がチンプンカンプンだ


「つ、詰まるところ。コチラは城を諦める代わりにエン殿の身柄で満足しろと?」

「そうだね。そういうことになるかな」


なるほど、そうきたか。正直な所、俺からすれば山奥の生産性のない城なんぞ奪っても仕方がない。父上さえ説得できれば敵対しないと言う保証のある城を奪う必要はないのだ。別に俺たちは蛮族でもバーサーカーでもないしな。


それにしてもコイツは相当な策士だな。結局のところ交渉の初めから終わりまで彼の中ではここが落とし所だったのだろう。見事に誘導されたわけだ。


「わかった。攻めてこないという保証さえあればなんでもいい。それだけで父上を説得することはできる」

「よし!決まりだね」

「だが、人質は君である必要もない」

満足そうに席を立とうとしたエン殿は驚いたような顔をしてバンッと机を叩いて身を乗り出してきた


「なんでさ!僕が要らないっていうの!?」

「うーん、これ以上、そのぉ…。曲者は遠慮したいっていうか……。」

俺が言い淀むとハンターは口笛を吹き、エン殿は自分を拒むなんて信じられないというような表情を浮かべるとゴホンと一つ咳払いした


「それなら、僕の実力を示せば受け入れてくれるかな?」

「実力?」

「僕の武器はこっちじゃなくてこっちさ」


彼は顔を指差した後に自身の頭を指差した


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