第45話 臙脂の封筒

 仮面舞踏会の一件以来、ルイシーナ宛の贈り物は倍になった。ドレス、帽子や手袋などの小物、花、宝石やアクセサリー、手紙。仮面舞踏会を荒らした略奪者たちをひと時でも止めた煌女ルイシーナの名声は飛ぶ鳥を落とす勢いで、ルイシーナの名が貴族たちの会合で出ない日はないのだとか。


 この日もルイシーナが夜遅くに奉仕から帰って来ると、玄関には贈り物が積まれたままになっていた。贈ってくれるのはありがたいことだが、こんなところにお金も労力も使うのなら、別のところへ使ってもらいたいものだった。いっそのことチャリティーでも開いて寄付金に変えてしまおうか。


 人が入れそうなくらい一際大きな箱の前に立ってそんなことを考えていると、侍従が「お手紙をお部屋に用意してあります」と申し出て来た。


 手紙が来ることなんて当たり前で、最近は何も言わずとも部屋のテーブルに置いてあるものだった。さりげなく伝えてくるということは、すぐに返事を出さなければならない重要な手紙があるのかもしれなかった。


 贈り物の確認は後ですることにして、ルイシーナは手紙を確認するために自室へ向かった。


 そうして部屋に入り、ランプに火を灯して部屋を照らすと。


「お帰り、姉さん」


 思ってもみない声がして、ランプを落としそうになった。


「ア、アディ。驚いたじゃない。どうしたの、こんな暗いところで、突然」


 バルコニーへ出る窓の前。部屋の主のように、アデライアが白いテーブルセットの椅子に座ってこちらを見ていた。テーブルの上にはいくつかの手紙と、ワインボトルにワイングラスが二つ。


「驚かせてごめんね姉さん。私が何処で何をしているかは内緒でしょう? だから誰にも気づかれずに此処まで来なくちゃならなかったから、贈り物の箱に紛れてやって来て、部屋でこっそり姉さんを待っていたの。話したいことがあったから。ねぇ、こっちに来て」


 青白い月光が幻想的に美しい妹の輪郭をなぞっている。月の光を背にしているから、表情は見えない。けれど声は明るく、手招きする手つきも優しかった。


 ルイシーナは明かりを灯したランプを持ってゆっくり近付き、向かいに座った。


 ランプを瓶の横に置くと、橙色の光がアデライアを照らした。ゆるくウェーブがかかった金色の髪はあめ色に輝き、頬が暖色に染まる。光を反射する瞳は夢のように美しいけれど、光の当たらない顔半分は影が落ちて得体の知れない何かを感じさせた。


「久しぶり。元気にしていたようね。このワイン、お城から持って来たものだから上質なのよ。飲んでみて」


 アデライアは二つのワイングラスにそれぞれワインを注いで手に取ると、一つをルイシーナに差し出した。


 グラスを受け取り、アデライアを見つめながら一口ワインを飲み下した。


「……」


 たくさん話題があるはずなのに、ルイシーナの唇は動かなかった。アデライアがいなくなってから様々なことがあったから、話題には事欠かないはずなのに。どうしてか、言葉が出て来ない。


「戻って来たのはどうして? しかもこんな風にこそこそと。ようやく皇太子殿下が貴方のことを発表する気になったのかしら? それとも、ちょっと寂しくなったの?」


 ややあってルイシーナの口から出たのはアデライアが訪ねて来た真意を探るものだった。本当は明るい話も悲しい話もしたかったのに。


「姉さんこそ、最近どうなの? バレンティアもドロテオがいなくなって、あの男は死んだそうじゃない。寂しいのは姉さんじゃない?」


 質問を質問で返された。アデライアは答える気がないのだろうか。


「そうね。何を言ったら良いのかしら。バレンティアお義母様もドロテオも、彼も……いなくなったけれど、寂しくはないわ」


「本当に? 姉さんはバレンティアと一緒であの男を気に入っていたから悲しんでいるものと思っていたわ」


 わざとらしくバレンティアの名前を出すのは、聞いてくれと言っているようなものだった。


「貴方、彼女がこの屋敷で何をしていたのか知っていたのに、どうしてお父様に言わなかったの?」


「あぁ、男とよく遊んでいたこと? だってそんなの、どうでも良いもの。殿下から刺青の話を聞いてからは、それのお陰で反逆者を洗い出せたしね」


「どうでもいいなんてどうしてそんなことが言えるの? お父様を裏切る行為じゃない」


「父さんだって浮気をしたんだからいいじゃないの。あの女は浮気というより遊んでいただけだしね。一人じゃ満足できないってことはざらにあることでしょ。姉さんだって人の男を盗ろうとしているんだから」


「何?」


 全く思ってもみなかったことを言われてルイシーナは戸惑った。何の話をしているのか分からない。


「何を言っているの?」


「姉さん、フェリペ殿下に気があるんでしょう。こうしてこそこそ逢う約束をするくらいの仲だったなんてね!」


 バンッとアデライアはテーブルの上に手紙を叩きつけた。


 ランプの光に羽の生えたライオンの蝋印が押された、臙脂の封筒が照らし出される。この印は皇室の紋章で、臙脂は皇室の色だった。


 侍従がさりげなく口に出したのはこの手紙のことだったのかもしれないとルイシーナは思った。

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