第44話 どうしようもない男たち

 舞踏会を襲った騒動が収束し、ルイシーナとフェリペを称える波が静まって、ようやくルイシーナは帰ることが許された。


 ルイシーナは馬車の中で天井を仰いだ。同乗してくれているモニカが心配しながら手を揉んで労ってくれる。


 ルイシーナはモニカに礼を言い、大きく息を吐いて舞踏会でのことを振り返った。


 革命軍の手は今や皇太子も出席する社交界にまで伸びている。それも彼が理想とする形ではなく、最もあってはならない形で。先ほどの勢力を見れば、確かに彼のように止めることはできないと言いたくなるのも分かる。しかしこのままでは革命は成功しないだろう。ありもしない神聖力にひれ伏す人々は、暴力に疲れている。新たな暴力についていけるほどの力がないのだ。


「ねぇモニカ。あの人は元気にしているかしら? ちゃんと活動しているの?」


 モニカは何かを言おうと口を開いたけれど、視線を逸らして口を閉じてしまった。不審に思ったルイシーナが問いかけようとすると、馬車の扉が突然開いて誰かが乗り込んで来た。もちろん馬車が走っている状態で、である。


「きゃあっ!?」


「何!?」


 ルイシーナとモニカは飛び上がるほど驚いた。しかしモニカは偉いもので、ルイシーナを庇うようにその者とルイシーナの間に立ちはだかったのだった。


「エウリコ!?」


 モニカが呼んだ名前に、ルイシーナは目を大きくして無断で侵入してきた人物を覗き込んだ。


 麻布を頭から被った図体の大きな人物。麻布を解いた彼の顔は、あのタヴェルナで見た料理長エウリコそのものだった。


「何をしに来たの!? 帰って!」


 モニカは激高してエウリコを追い返そうとした。しかしエウリコは「待ってくれ、落ち着いてくれモニカ」と大きな身体を小さくして弱々しく頼むのだった。あまりに居た堪れなくて、ルイシーナはモニカの肩を叩いて止めた。


「わたくしは大丈夫だから、その方を通してあげてちょうだい」


 モニカは不機嫌そうな雰囲気を醸し出しながらも口を結んでルイシーナの隣に座った。


 ルイシーナはエウリコに向かい合い、努めて冷静な声を出すことを心掛けて問いかけた。


「わたくしに何の御用がおありになるの?」


「まずは礼を言わせてくれ。彼奴らを止めてくれてありがとう」


 言わずもがな、舞踏会を襲撃した同志についてだろう。ルイシーナは「お礼はいりません」と答えて続けた。


「わざわざお礼を言いに来たのですか?」


 するとエウリコはその場に両手をつけ、床に額をこすりつけて言った。


「彼奴を……ベルナルドを救ってくれ!」


 その名を聞いた途端、ルイシーナの心臓が早鐘を撃ち始めた。


 ベルナルドのことを尋ねた時のモニカの態度も気がかりだった。彼の身に何かあったのかもしれないと、ルイシーナは怖ろしくなった。


「あの人がどうしたのですか? まさか、危険な目にあっているのですか?」


「いや、そうじゃない。危険な目にあっているわけでも、もちろんこれから危険なことをしようとしているわけでもない。その点は安心してくれ。だが……駄目なんだ。このままじゃ、おそらく彼奴は餓えて死ぬ」


「どういうことですか?」


「ずっと吐き続けているんだ。あんたと別れてから不安定で、前みたいに、いや、前よりも食わずに酒だけ飲んでは【穢】を吐いている。あんなに情けない彼奴を見るのは初めてだ。先生が亡くなっても気丈だったのに。ガブリエラも皆も心配していて、早くあんたを連れて来いって」


「わたくしにどうにかできるとは思えません」


「あんたならできる。……あんた、ベルナルドはあんたを利用するために近付いてきたと思っているだろう」


 ルイシーナは無言で肯定した。


「それは違う。おそらくベルナルドは俺たちの悲願成就のためにあんたに近付いたんじゃない。彼奴は光の大集会に潜入してあんたに初めて会った後、子どもみたいにはしゃいでいた。塵捨て場から逃げてきてから、何かを成しても馬鹿騒ぎしても何処か寂しそうにしていた彼奴が、あんたの傍にいられるようになってからはすごく満たされた顔をしていて……。俺はようやく彼奴にも、一緒にいるだけで幸せを感じられる相手が見つかったんだと思って嬉しかったんだ。彼奴の気持ちは純粋なものなんだよ」


「……そうだとして、わたくしに何ができると言うのです? どうしろと言うのですか?」


「彼奴を傍に置いてやってほしい。可能なら愛してやってくれ。彼奴にはあんたしかいない。彼奴を満たしてやれるのはあんただけなんだ。彼奴を独りにしないでくれ」


 真剣な目だった。冗談ではなく、本気でベルナルドを現状から救えるのはルイシーナの愛だと思っているのだ。愛は万病に効く薬だとでも言うのだろうか。さすがのルイシーナでもそんな言葉を信じるほど、お気楽な頭ではなかった。


「やはり、わたくしにどうにかできるとは思えません」


「彼奴から聞かなかったか? 【穢】を無くすには心を満たさなければならないって」


 それはタヴェルナからの帰り、ベルナルドがカスティーリ集会堂の塔の上で話してくれた話の中にあったものだ。


 心が満たされれば【穢】が無くなるというのなら、満たしてやるしかない。


 しかし何をもってして満たされるというのだろうか。そんなものは本人にしか分からないはずだ。だからルイシーナは問うた。


「あの人は何と言っているのですか?」


「何も。だが!」


「では、わたくしからすることはありません。わたくしはあの人を追い出したのです。あの人はわたくしの元を離れた方が幸せになれると思ったから。……今は辛くても時が癒してくれるでしょう。貴方も辛いでしょうが、根気強く見守ってあげてください」


「あんたはどうなんだ。時が癒してくれそうなのか?」


 ルイシーナは気づかれないくらいの間、言い淀んだ。


「もちろん、そうでしょうね」


 エウリコの目が細くなる。心の内を覗かれているようだ。ひょっとしたら嘘を吐いたことに気づかれたかもしれなかったけれど、エウリコは「そうか」と力なく呟いて立ち上がった。


「邪魔したな」


 そうして踵を返し、大きな身体を縮めて潔く去っていった。エウリコにとっては馬車が走っていても停まっていても同じなようだ。


 ルイシーナは何を見るでもなく、窓に視線を投げた。


 もうエウリコはルイシーナの元へ現れないだろう。彼の去り際の声には諦めが滲んでいた。これでベルナルドとの縁も切れたかもしれないと思うと、身を切り裂かれるように痛かった。


「……あの方がおっしゃっていたことは事実なの?」


 呟くと、窓に映ったモニカが頷いた。


「ベルナルドさんは元々よく吐かれるお方で、食の細い方でした。けれどお嬢様と出会ってからは不思議と吐くことが無くなり、食べられるようになったんです。ですがあの日別れてから、ベルナルドさんはお嬢様に会う前よりも酷く吐かれるようになりました。食事も喉を通らない様子で、お酒を飲んで気を紛らわせています。エウリコは見るに堪えず、私に何とかお嬢様を説得して連れてきてくれないかと頼み込みましたが、私が拒否したので我慢できなくなって来たのでしょう」


「どうしてモニカは拒否したの?」


「だって! 勝手が過ぎますよ! お嬢様の覚悟を踏みにじるなんて! あの時のお嬢様がどんな思いでベルナルドさんを逃がしたのか! 愛する人に酷い嘘を吐き、自らを悪者にしてまで幸せを願ったのか! エウリコはまるで分かっていないんです! あの分からず屋!」


 大きな声で訴えるモニカにルイシーナは面食らった。モニカはそんなことなどつゆ知らず、恐い顔をして続ける。


「ベルナルドさんもベルナルドさんです! 僕にはルイシーナの傍にいる価値はないたら、このまま死んだ方が良いたら、何たら言って、ぐだぐだぐだぐだ悩んでお酒を飲みまくって! そんなに恋しいなら会いに来ればいいんですよ! あっちが来いってんです! お優しいお嬢様が手を差し伸べてくれるのを待っているだけの意気地なしめ!」


 初めのうち、ルイシーナはモニカの怒涛の勢いに驚いて目を瞬かせていたが、ルイシーナの心の内を代弁してくれたのではないかというくらい適切な訴えに笑えてきてしまった。


「まぁ、モニカ。よく分かっているわね」


「自分勝手な男には私も振り回されていますからね! たまにはこっちも振り回してやらないと! まったくもう! 頼めば全部聞いてくれると思って甘えるんだから! まぁ、此処まで来たことは褒めてあげても良いけれど!」


 ふん、と鼻を鳴らすモニカ。後半はモニカが想いを寄せている人物……おそらくどこかの身体の大きな料理長に向けた言葉だろう。


「わたくしたち、どうしようもない人を愛してしまったようね」


 綿毛が転がるようにルイシーナは笑った。様々なことに振り回されて張っていた心が久しぶりに綻んだ気がする。


 ルイシーナの笑顔を見たモニカは、急にそれまでの熱が冷めたように落ち着いた。


「――とは言うものの。お嬢様は本当にこのままになさるおつもりですか? 私はお嬢様のことを心の底から応援していますが、実は、ベルナルドさんのことも応援しています。……あの日、ベルナルドさんのことを告白したのは、ベルナルドさんがあまりにも可哀想だったからです。脅されて関係を持たされて、お嬢様にも話せなくて……。でも、言わなければ良かった、ですよね。だって、私の所為で、お嬢様とベルナルドさんはっ」


 モニカが堰を切ったように涙を流し始めた。ずっと言いたくても言えなかったのだろう。


 ルイシーナは優しくモニカの背中を撫でた。


「いいえ。モニカの所為ではないわ。それにわたくしはモニカに教えてもらえて良かったと思っている。そうでなければわたくしはずっと彼の苦痛に気づかなかったかもしれないもの。彼もモニカが話してくれて、解放されたことに安心したはずよ」


 モニカはしゃくりあげながら「お嬢様ぁ」とルイシーナの胸を借りて泣き始めた。ルイシーナは子どもをあやすように、モニカの背を叩いてあげた。


「わ、私はっお二人が共に数多の幸福を手に入れられることを、願っているのです。もし、ベルナルドさんが再びお嬢様の前に現れたら、お嬢様はどうなさるおつもりですか?」


 ルイシーナはモニカを抱きながら「そうね」と呟いたけれど、それ以上のことは答えられなかった。

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