第35話 酷い裏切り 5
それにしても協力者が実の息子なんて。年端も行かない子が母親の不貞を見逃してやるだけでなく、手を貸していたとは思いもしなかった。
「貴方は悲しくないの? あの二人を正そうとは思わなかったの? 実の母親が父親以外の人と関係を持っていたのよ?」
ドロテオは「別に」とぶっきらぼうに言いながら扉に向かっていった。ベルナルドがいないことを確認して出ていくのだろうとルイシーナは思っていた。
「僕は母さんのやりたいようにすれば良いと思っている。そもそもトーレス家に来るまで母さんはそうやって金を稼いでいたからね。母さんはそうやって生活することが嫌いじゃなかったみたいで、トーレス家に来てからも侍従をよく部屋に連れ込んでいたんだよ。何もあいつだけじゃないんだ。最近はあいつがお気に入りみたいだったけれどね。それはアディ姉さんも知っていたはずだけれど」
「えぇ!?」
更なる暴露を聞いてルイシーナは驚きを隠せず、つい声を出してしまった。
性を売って稼いでいる人がいることは知っている。それについて何かを言うつもりはなかった。ルイシーナは彼らの生活をどうこう言える立場ではない。けれどトーレス家に来てからもそういうことをしていたのはおかしい。趣味趣向の一つとして片付けて良いものではなかった。バレンティアはそういう生活から抜け出し、カルロスの第二の妻としてトーレス家に来たのだから。
それにアデライアが知っていたなんて。どうしてアデライアもドロテオも止めさせなかったのか、ルイシーナには分からなかった。
「アディ姉さんは特に気にしていないみたいだったけれど、ルル姉さんは悲しかった? あいつが母さんと関係を持っていたと知って、あいつに愛想が尽きた?」
「悲しかったわ。でも、彼を嫌いになることはなくて、自分でも驚いているの」
ルイシーナはバレンティアとの考え方の違いやアデライアの不可解な選択について考えるのに精いっぱいで、浮かんだ言葉を素直に口に出していた。
ベルナルドを嫌いにはなれなかった。むしろ彼の言動一つ一つで心を乱されるくらいには、まだ彼を愛している。裏切られ、騙されていたと知っても愛しているなんて我ながら滑稽だった。
「ルル姉さんはあいつを許したの?」
「赦したのかと言われればそうね。でもそもそもわたくしにはあの人を縛る権利はないから、本当は赦すも何もないのでしょう。夫婦ならいざ知らず」
「普通はそんな風に考えないだろうに、ルル姉さんはさすがだなぁ。そうなるとあいつはまだこの家にいることになるのか。怒ってあいつを追い出してくれるかなと思っていたのに、まぁいいや。あいつは僕が追い出せば良いからね。思っていた通りにならなかったのは残念だけれど、僕はルル姉さんのそういう清廉潔白なところが大好きだから満足だよ」
ドロテオが扉の鍵を下ろした。ルイシーナはどうしてドロテオが扉の鍵をかけたのか分からず、首を傾げた。
「本当に、ルル姉さんは僕の理想だよ。誰でも何でも許してくれる清らかな人だ。後からやってきた母さんと僕にも優しくてさ。だから僕、一目で貴方を好きになったんだよ」
ゆっくり、ドロテオがこちらへ迫って来る。ルイシーナは何だか恐ろしくなって、少しずつ後退した。
「えっと、ドロテオ。ありがとう。でもそれは当たり前のことで……」
「けれど貴方はひどい人だね。清らかな心と身体で男を揺さぶる悪い女だ」
「きゃぁっ!?」
突然手首を強い力で掴まれ、ベッドまで連れていかれると放り投げられた。つけていた仮面が弾き飛ばされ、床を転がっていく。ルイシーナは何が何だか分からないまま、馬乗りになったドロテオが見下ろしてくるのを眺め返した。
「貴方は優しいからきっと僕のことも許してくれるよね?」
ドロテオの手が寝巻をたくし上げて艶めかしく太ももを撫でる。ぞっと鳥肌が立った。いくら鈍いルイシーナでも、さすがにドロテオが何をしようとしているのか察しがついた。
「何をするの!? わたくしたちは姉弟でしょう!」
寝巻の下に差し込まれた手を掴んで引き剥がそうとした。けれどびくともしない。
「本当にそう思う? 教会は僕を母さんと父さんの子だと認めたけれど、男をとっかえひっかえしていた母さんが父さん以外の子を身籠った可能性はないと言い切れる?」
「それは……けれど、お父様だって確信があって貴方たちを迎え入れたはずよ!」
「そうかもしれないね。僕たちは正真正銘姉弟なのかもしれない。でも姉弟だから何なんだ? そんな繋がりなんてどうでも良いだろう。抱きたい女が目の前にいて、どうしてそんなことで気持ちを抑えなきゃならない?」
なんて恐ろしいことを言うのだろう。弟が悪魔の作った泥人形に成り果てる前に、人間に戻さねばならなかった。
「目を覚ましなさい。貴方はまだ子どもだから分かっていないのよ。その感情は家族愛であって情欲ではないわ」
「違わないよ。アディ姉さんにはこんな気持ちは抱かなかった。貴方だけなんだルイシーナ。貴方だけが僕を理解し、許してくれる。貴方は初めて会った時からずっと僕の憧れだった。ようやく、夢が叶う。僕の煌女様」
ぐっと腰を掴まれ、顔を首元に埋められて悲鳴が弾けた。
「いやぁっやめて!」
ルイシーナは力の許す限り暴れた。腕を乱暴に振り回してベッドやドロテオの身体を叩き、蹴り上げて抵抗した。けれどすでにルイシーナの身長を越えている身体の大きなドロテオの前では無力で、寝巻が引き裂かれる音が耳を劈くと絶望で力が抜けてしまった。
己の肌を貪り食う男は、ルイシーナの身体に籠った力が抜けると一層熱を上げた。
涙がこめかみを横断する。どうしてこんなことになってしまったのか考える。何かが間違っていたのだろうか。何も思いあたらないことが罪なのだろうか。ドロテオとは仲の良い姉弟の関係を築けていると思っていたのに。
ドロテオの両手が両足を持ち上げようとした時。大きな音がして、己の身体を拘束していた力が解け、間近にあった荒い息遣いが遠のいて消えた。
「ルイシーナ!」
固く瞑っていた目を開けると息を切らしたベルナルドが覗き込んでいた。ルイシーナは嗚咽を漏らしながらベルナルドに抱き着いた。
「ベルナルド!」
ベルナルドはルイシーナを抱き、「危なかった」と声を絞り出した。
「ど、どうして分かったの?」
「此奴はいつも下卑た男の目で君を見ていたからね。此奴と二人きりにしておくのは危ないと思って、バルコニーの下で待機していたんだ」
「そんな……」
「下心なんてものがあることを知らない君はさぞ驚いただろう。来るのが遅くなってごめん。でももう大丈夫だ」
しっかりと抱きしめられ、頭を優しく撫でられて荒れた心が凪いでいく。このまま彼の腕の中にいれば何も心配しなくて良いような気持になった。
落ち着いて話せるようになるまで待ってから、顔を上げた。
「助けてくれてありがとう。でも大変なことになってしまったわ。どうしましょう」
ドロテオは床で気絶して伸びている。ルイシーナの寝巻は裂かれ、肌には一目で何があったか分かる痕が残っていた。ルイシーナが訴えればドロテオは断罪されるだろう。しかしありのまま起こったことを家族に伝えるべきなのか、ルイシーナは悩んだ。
ドロテオは後継者として迎え入れられている。カルロスは後継者を失うことになり、我が子を失うことになるバレンティアは辛いだろう。クロエだってカルロスが引退した後の生活に不安を覚えたくないはずだ。とはいえルイシーナにはこのままドロテオと普通の家族を続けていける自信がなかった。
これまでルイシーナにはやりたいことが無い代わりに、拒絶したい程嫌なこともなかった。だからいくらでも家族が言うことに従い、家に留まり続けることもできたのだ。けれど状況が変わってしまった。さすがにこれは看過できない。
「……逃げよう。今すぐここを出よう」
ベルナルドが真剣な目をして手を握った。
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