第29話 穢れを持った悪人 2

 深く掘った井戸のようなものがそこかしこにある、巨大な農園。幼いベルナルドの記憶は、眼前に広がる巨大な農園で穀物を刈り取っているところから始まっている。


 【穢】を持って生まれたベルナルドは赤ん坊の頃に塵捨て場に捨てられた。塵捨て場に捨てられた赤ん坊は乳を飲むことができず飢えて死ぬか、感染症などにかかって死んでしまうのが常だった。しかし生んだばかりの子どもを取り上げられて収容された女がいて、運が良いことに博識な者も居合わせたため、ベルナルドは生きながらえることができた。


 世間では、塵捨て場は辺りに異物の吐き捨てられた劣悪な環境下で穀物や野菜、果樹を育て、牧畜も行う大規模農園だとされている。けれども実状はそんなに酷いものではなく、腐った物を吐く場所は井戸のように深く掘って枠をつけてあって、農地は効率良く作業ができるように整備された箱庭だった。


 青い草原に放たれた牛や羊が健やかに草を食み。


 収穫期になると走り出したくなるくらい美しい黄金の麦畑が一面に広がり。


 熟れた野菜や果物を、監視の目が届いていない隙を狙って齧ることばかりが上手くなっていく。


 生まれも育ちもバラバラな者たちが一緒くたにされているため身分の差はなく、悪人と呼ばれるような存在も少数だった。皆それぞれ『外』で経験したことが違っていたから話題が尽きることはなく。農具で楽器を作って弾き語りをする楽師もいたし、あらゆるものを使って曲芸をする者もいた。


 しかし塵捨て場での生活は決して丁寧なものではなく、労働環境が悪いのは世間で噂されている通りだった。収容されている人たちは朝から晩まで碌な食事も休憩も与えられずに働かされた。老若男女問わず、立って歩ける者は皆、過酷な労働を強いられるのである。


 ベルナルドも満足に言葉を知らない頃から働いた。


 塵捨て場の収穫物は外へ出荷され、中の人々には売り物にならないくずだけが残る。飢えと疲労で日に何人も動かなくなり、心が荒んでいる所為で喧嘩や争奪も起こった。とはいえまったくの無秩序ではなく、ある程度の良識をもって集団生活ができていた。


 集団には必ず集団をまとめ上げて導く存在がいる。ベルナルドがいた頃のまとめ役は、学のない者たちに知識を与え、無秩序の中に秩序を作り、喧嘩や争奪を穏便に仲裁することのできる人物だった。


 その人物は皆から『先生』と呼ばれており、赤子のベルナルドを拾って育てた育ての親だった。


 先生は呼び名の通り、王城で時の皇帝の侍医をしていた人物で、【穢】を持たない人だった。【穢】を持っているわけでもないのにどうしてそんな人が塵捨て場にいたのかというと、亡命してきたのだという。


 先生はただの侍医ではなく、【穢】と【光】について調べるよう、皇帝から命を受けた研究者でもあった。皇帝は【光】を持った子が必ず生まれてくるようにできないか、【光】を永遠に持つことはできないかを知りたがったそうだ。


 やがて先生は人が皆【穢】にも【光】にもなりえる【揺】を持っていることを突き止めた。さらにそれらの状態は身体の変化でもなく、ましてや純潔かどうかでもなく、心の状態に起因しているということまで突き止めた。


 満たされれば【光】を得て、飢えれば【穢】を得るのである。


 先生は全ての人に【揺】があり、誰でも【光】や【穢】を持つ可能性があることだけでも民衆に公開するべきだと皇帝に進言した。しかし皇帝はそれを拒否した。【揺】があることを民衆が知ったらより一層【穢】を持つことへの不安が広がり、国が混乱するからできない、と。だから皇帝は【揺】を公表しようとした先生を、国を混乱させようとした反逆者とみなして殺そうとした。そこで先生は自分の命とこの真実を守るために、自ら塵捨て場に閉じ込もったのである。


 しかし。先生は皇帝の真意は別にあると推測していた。


 もし【揺】があることを知れば、賢い者は気づく。代々【光】を持った王の血を受け継いできたから皇家には【穢】を持つ者がいないのだという提言が間違っていることに。そうすれば絶対的な皇家の威光が失われてしまう。皇帝はそれを恐れ、全てを知る先生を殺そうとしたのだ、と。


 先生の【揺】【穢】【光】についての知識は、塵捨て場の者たちの【穢】に対する恐れを取り除いた。【揺】【穢】【光】を知ることにより、得体が知れず恐ろしかった【穢】が恐れる程のものではないことに気づいたのである。そして皆はその事実を先生もろとも葬り去ろうとした皇帝と皇室、この世界の在り方に疑問を呈するようになった。


 そうしてある時、先生を中心とした大人たちが蜂起した。


 真実をこのまま塵捨て場に捨てておくわけにはいかない。不安を煽られている民衆に何としてでも伝えなければならない。そんな使命に駆られた大人たちが脱出の計画を立てたのだ。


 十歳になったばかりのベルナルド、それからエウリコも共に脱出することを希望したが、最初は認めてもらえなかった。逃げきれなかったら容赦なく殺されるだろうことが想像できたから、大人たちは子どもたちを巻き込むことを拒んだ。けれどもベルナルドとエウリコは覚悟を決めており、遂には決行日に無理矢理ついていくという荒業で塵捨て場からの逃亡を許された。


 塵捨て場から逃げ出すのは難しくなかった。頭数は監視よりも多く、念入りに計画を練ったので統制も取れていて何の問題も無かった。しかし外に出てからが問題だった。


 『外』の兵士たちは数も多く屈強だった。


 同志たちは散り散りになり、次々と捕らえられて殺されていった。ベルナルドとエウリコも何度も兵士に見つかり、殺されそうになった。けれども同志たちがまだ子どもだったベルナルドとエウリコを守ってくれ、優先的に逃がしてくれたおかげで何とか生き長らえた。


 先生を含めた大人たちが全員命を落とすと、脱走者狩りは収束を迎えた。子どもなんか放っておいても脅威にならないと思われたのかもしれないが、とにかくベルナルドとエウリコは生き残った。


 生き残った二人は先生や同志たちの意思を継ぎ、真実を皆に伝える活動をすることにした。もちろん【穢】を持っていることや塵捨て場からの脱走者であることを隠し、身を潜めつつだ。幸い、先生が様々なことを教えてくれていたから、ベルナルドもエウリコもすぐに世間に馴染めた。二人は一般大衆に身を隠しながら徐々に【揺】【穢】【光】の真実や、皇帝から先生への仕打ち、皇家が民衆を騙していることを伝える活動を行っていった。


 全ては先生や同志たちの理想を実現させるため。正しく【揺】【穢】【光】を理解し、向き合っていく世の中にするため。


 これが革命軍の始まりだった。

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