第28話 穢れを持った悪人

 タヴェルナを出ても空には星が輝いていて、街は沈黙していた。来る時は怖いばかりだった真っ暗な夜の街も慣れてしまえばどうってことなく、人目を気にしなくて良いので、かえって過ごしやすいように思えた。


 ルイシーナがベルナルドの腕を離れて歩こうとすると、ベルナルドは「離れないで」と腰を抱いた。妙に不安そうな顔をしているので頬をつついてやれば、長身を屈めて首に擦り寄って来た。「ワンちゃんみたい」とルイシーナが笑うと、耳元で優しい笑い声がした。


 会話がなくても時々くすぐったりさすったりして遊びながら身を寄せ合って歩いているだけで満たされたような気分だった。しかし向かっている場所が何処か気づくと、良い気分が血の気が引くように消えていった。


 暗くても輪郭で分かるくらい、馴染のある場所。カスティーリ集会堂だ。


 ルイシーナはカルロスに怒鳴られた日のことを思い出して二の足を踏んだが、ベルナルドに腰を抱かれていたので仕方なく進んだ。


 ベルナルドは付属している塔を目指していた。こんな夜更けに部外者が入れてもらえるものだろうかと思ったが、ベルナルドが見張りにお金を渡すとすんなり中に入れてくれた。金を渡せば責任ある仕事さえ放り出せてしまう人間がいることにルイシーナは人知れず唖然とした。


 ランプに灯りを入れて螺旋階段を登っていく。


 疲れてきた頃にようやく終わりが見えて、大きな鐘がぶら下がっている場所に出た。


 吹き抜く風が気持ち良い。ルイシーナは踊る髪を押さえながら街を展望した。火照った身体を風が冷やしてくれる。


 ベルナルドは隣に並んで手すりに両手を突いた。


 街を見渡す横顔は慈愛に満ちていた。


 ――今なら答えてくれる気がする。


「貴方、反逆者なんでしょう。反逆者は【穢】を持った人たちの集団。そうなんでしょう?」


 聞こえていたのか不安になるくらいベルナルドは表情も変えず、すぐに答えもくれなかった。


 風が何度も行き来して、ルイシーナの髪を乱す。肩からかけてもらったコートがずり落ちていたので戻し、視線を上げてみると、灰青色の目とかち合った。


「全員が【穢】を持っているわけではないよ。それから俺たちは自らのことを革命軍と呼んでいる」


 意志の強い真っすぐな瞳だった。


 ようやく対等な立場で話ができるようになった気がする。


「貴方たちは何をしようとしているの?」


「俺たちの扱いを改めない国を変えてやろうと活動している。街で騒がれている事件の大半は俺たち革命軍が起こした。けど俺は、そんな風に誰かを傷つけるようなことは望んでいない。俺たちを虐げる皇家や貴族を恨んではいるけれど、暴力では何も解決しないと知っているからだ」


 【穢】が不当な扱いを訴えるために争奪を起こし、文理を犯し、秩序を乱しても、世間は当たり前だと思うだけで何も変わらない。だから誰も傷つけない方法で革命を起こそうとしているのだとベルナルドは言った。


 ではどうしてアデライアは反逆者――革命軍たちに襲われたのかだが、それは察しの悪いルイシーナでも気づくことができた。


「『俺は』ということは、そうでない人たちがいるのね?」


 ベルナルドは頷いた。


「最初は皆、俺とエウリコに賛同してくれて、長くかかってもいいからいつか理想の世界になればと水面下で動いていたんだ。けど組織が大きくなって、実力行使に出る輩が出てきてしまった。今、俺たちの組織は二分されている」


「どうにかならないの?」


「やってる。最近の俺たちは革命なんかそっちのけでそいつらを抑え込むために奔走しているくらいだよ。だけど全ては抑えられなくて……。君のことも君の家族も守ろうと思っていたんだけど、君の妹はあの日、屋敷に迎えに来た馬車で出かけてしまったから……」


「まさか……貴方が御者になったのはそういうことだったの? うちの馬車だけは襲われないようにしていたの?」


 ベルナルドの瞳が一瞬だけ揺れて、ルイシーナを見つめた。


 無言の肯定と捉えたルイシーナは違和感を覚えた。


「貴方のやるべきことはそういうことではないでしょう。わたくしたちだけを守るのではなく、皆に害を与えないよう制するべきです」


 皆が賛同してくれたという言い方から、ベルナルドとエウリコは革命軍の指導者なのだろう。であれば二人は何としてでも野蛮な同志を制御しなければならないはずだった。間違っても特定の人物だけを守ることが仕事ではない。


 しかしベルナルドは力なく首を振った。


「止められない。俺じゃ無理なんだ」


「無理ではありません。貴方は人望厚く、賢くて勇気があって慈愛に溢れた素晴らしい人です。もともとは貴方とエウリコさんに賛同して集まった人たちなら、貴方の話を聞いてくれるのではありませんか?」


「始まりや理想が同じでも道が分かれてしまったものはどうしようもない。今の俺たちの中に奴らの心を動かして蛮行を止めることができる奴はいないんだ。だから俺たちは……」


 そこまで言ってベルナルドは口を噤んだ。先が気になったルイシーナが「だから?」と問いかけても、首を横に振るばかりだ。


「この話はここまでにしよう。他に聞きたいことはある?」


 話の続きをしてもらいたかったけれど、ベルナルドは話すつもりがないらしい。仕方なくルイシーナは別の話をすることにした。聞きたいことはまだまだあった。


「貴方は【穢】を持っているの?」


「そうだと言っても、君は驚かないだろうし、僕を拒絶することもないだろうね」


 口ではそう言い切ったが、目は懇願するようにこちらを見つめていた。


「今その口から腐った物が吐き出されても、わたくしは貴方を拒まないわ」


 表情が綻んだ。無邪気な笑顔がベルナルドには一番似合う。できることならずっと笑っていてほしい。


 ルイシーナは彼の笑顔を守りたいと思った。そのためにはベルナルドという人物を理解し、彼の表情を曇らせるものを知らねばならなかった。


「貴方のことをもっと教えて」


「何が知りたい?」


「何でも。貴方が話したいことを知りたい」


 ベルナルドは「無理に聞こうとしないところが君らしい」なんて言って、その場に座るよう促した。ルイシーナはベルナルドが敷いてくれたゴンドラの刺繍が施されたハンカチ――おそらくグレタが施したもので残念ながらルイシーナがプレゼントした物ではない――の上に腰を下ろした。


「そうだな。……ずっと昔のことを話そう」


 手を握られたので握り返した。


 ベルナルドは空を見上げ、遠い記憶を辿りながら、とつとつと語り始めた。

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