第27話 タヴェルナ 2
ルイシーナが語ったのは身の上話だった。【光】を持って生まれたけれど三日で尽きてしまったことや、劣った子であったこと。何でも簡単にこなす妹のアデライアや他の年代の子が羨ましかったこと。誰よりも臆病で毎日何かに怯えていること。
人生を言葉に練り上げて声に出していると、やがてルイシーナは気がついた。
「わたくしって何もないわね」
ずっと己を殺して生きていたルイシーナは何も持っていなかった。家族の望みを最優先に、子羊たちや奉仕先の人々の望むように振る舞って、己で率先して何かを考え行動したことがない。功績なんて思いつかず、個人的に誇れるものも何もなかった。
そのうえ好きも嫌いも飲み込んで正しいことをしようとしてきたから、己の食の好みさえよく分かっていないくらいだった。残したら料理を作ってくれた人が悲しむかもしれない。食材を作ってくれた人たちに顔向けできない。自分勝手な好き嫌いで判断するなんて烏滸がましい。そうやって出されたものを何でも食べるうちに、ルイシーナは何でも食べられる反面、好きも嫌いも判断できなくなってしまったのだった。
「駄目ね。わたくしのように何も持たず、何もできない人間になってはいけないわ。わたくしなんかに憧れても仕方ないわよ」
「そんなことない。できないなんて嘘。だってあんたは何でもできるって聞いた」
誰に何を聞いたのかという疑問は浮かばず、また少女の言った「何でも」の内容なんてどうでも良くて、ルイシーナは少女に問い返した。
「貴方は何ができるの?」
「あたし? あたしは、料理とか、子どもの世話なら」
「すごいわ。わたくしは、自分が何かできるなんて思ったことがない」
家事手伝いや計算に文字の読み書き。糸紡ぎに裁縫、刺繍、楽器を弾いたり絵を描いたりなどなど。努力のおかげで教えられたことは一通りやれるルイシーナだったが、自分ができると思ったことはなく、問われたら必ずできないと答えた。なぜならルイシーナの中の『できる』は、誰にも追随を許さないくらい最高の結果を残す状態のことだからだ。それに。
「できると言ってできなかったら、わたくしに期待して任せてくれた人を裏切ることになるから言えないの。もちろん託されたことは絶対成功するように頑張るのだけれど」
おそらくこれが一番の理由だった。
「そういうのって、たしかケンキョって言うんだっけ」
少女が知っているぞ、と言わんばかりの顔で口にしたが、ルイシーナは首を振った。
「謙虚なんかじゃないわ。ただただ臆病なのよ。怖いから言えないし、怖いから頑張るの」
「がんばって成功したときは? できたって思わないの?」
「光が導いてくださったと思うだけ。つまり、運が良かったと思うだけよ」
「あたしだったら自分ってすごいって思うのに」
「思っても良いのよ。ただわたくしは怖いのよ。できたと思って慢心して、努力するのを辞めたり、人を下に見たりするようになってしまうのではないかと思ってしまうの。高慢で堕落した人間にはなりたくないもの」
「へぇ。そんなこと考えたこともなかった。やっぱりあんたすごいよ。怖がりだから攻撃的になる人はごまんと見たけどさ、あんたみたいに怖がりだから綺麗に見える人は初めてだ」
「綺麗だなんて。わたくしは全然綺麗じゃないわ。貴方こそ自信があって物怖じしないところが美しいわ。魅力的よ。わたくしが親だったら心配でこうやって放っておかないでしょうね」
少女ははにかんだ。
「ありがと。あんたもミリョクテキだよ。なんたってあたしらのエーユーサマを骨抜きにしたんだから。その理由が何となく分かっちゃったから、あたしもあんたに骨を抜かれたってことなのかな」
言いながら少女は立ち上がった。
「話ができて良かった。ちょっとあんたのことが分かった気がする。……あたしが目指そうと思ったものが何なのかも。それじゃ、さっきから向かいのおっさんの目が怖いから、ここらで消えることにするよ」
「おっさんって言うなガブリエラ」
背中を向けていた方から恋しい声がした。
いつの間に戻って来ていたのか、ベルナルドが座っていた。頬杖をついてほんの少し不機嫌そうな顔をしているのは、若いのにおっさん呼ばわりされたからだろうか。
「また会おうね、ルイシーナさん」
名前を呼ばれたので向き直ると、少女が右手を差し出した。甲に四芒星と十字架が組み合わさったような刺青があるのが見えて、一気に酔いから醒めて視界も頭も鮮明になった。
ふとエウリコに視線を投げてみる。体躯の良いエウリコの胸の辺りには四芒星と十字架が組み合わさったものを丸で囲った刺青があった。
振り返って客たちを見てみる。首にある者、脚にある者、腕にある者、場所は様々だったけれど、何人もの人が四芒星と十字架が組み合わさったような刺青をしていた。
ルイシーナはグラスを手に取り、淡い黄色の水面を見つめながら言った。
「ここの人たちって、みんな良い人ね」
ベルナルドは一言、「そうなんだ」と頷いた。
煽って空になったグラスを置いても、エウリコはもう酒を注いでくれなかった。
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