第18話 姉妹
アデライアは傷が塞がるまで外出を控えることになった。おかげでトーレス家の侍従の仕事は普段の倍に膨れ上がった。
あれが食べたい、これが欲しい、それは嫌いだ、どんなことでも良いから楽しませて欲しい。アデライアの我儘は日を追うごとに酷くなっていった。
好き勝手し放題のアデライアにはカルロスやクロエも付き合わされ、カルロスは連日アデライアが欲しい物を入手するのに忙しく、クロエは慌ただしく部屋を出たり入ったりを繰り返していた。ルイシーナはというと、話し相手になったり遊び相手になったりと、比較的穏やかではあった。幸いと言っては何だが、アデライアは昔から何故かルイシーナにはさほど我儘を言わないのである。ちなみにバレンティアとドロテオは一度も現れず。ルイシーナと違ってアデライアが二人のことを良く思っていないことを知っているからかもしれなかった。
傷が塞がるとアデライアは再び社交界へ赴くようになった。襲われたこともあってトラウマになるかとも思われたが、彼女に限ってそんなことはなく。馬車を襲撃した犯人が見つかっていないのでカルロスやクロエ、ルイシーナも心配したが、聞く耳も持たず。何事も無かったかのように、日常が戻りつつあった。
やがて犯人の捜索も打ち切られ、すっかり事件の記憶も遠のいたある夕方。アデライアが家族を呼び出した。
ルイシーナが指定されたサロンに入ると、すでに家族は全員集まっていた。ソファの真ん中に踏ん反り返ったカルロス。隣にはクロエとバレンティア。向かいに一人でアデライアが座り、ドロテオはバレンティアに近い方の一人掛けのソファに腰かけていた。ルイシーナはクロエに近い方の一人掛けのソファに座った。机を挟んだ向かいに座っているドロテオがにこりと微笑みかけ、アデライアに向き直る。
ルイシーナと目が合うと、アデライアは口を開いた。
「私、結婚することにしたから」
「何だと!?」
女たちの驚いた声を、カルロスの大きな声一つがかき消した。一声でカルロスが怒っていると察した二人の妻と姉弟は、これ以上カルロスを刺激しないよう口を噤んで成り行きを見守ることにした。
「この間襲われた件があって、心配で放っておけないからどうしても結婚してほしいってお願いされたの。私の歳なら結婚している人も多いんだし、良いでしょう?」
「集会はどうするんだ! 民衆はルルではなく、お前たち二人の奇跡の煌女のために集まっているんだぞ!」
「そんなこと私には関係ないわ。もともと光ることができるのは姉さんだけなんだから、姉さんだけでやれば良いじゃないの。奉仕活動だって姉さんだけでやっているでしょう」
「いや駄目だ! ルルだけじゃ意味がない! ルルだけじゃ価値が下がる!」
ルイシーナはカルロスが吐いた言葉に頭を強く殴られたような感覚がして、それ以降、父と妹が言い争っている言葉が耳に入らなくなった。
奇跡の煌女が有名になったのは姉妹で発光するからだけではない。惹き込ませる魅力があるからだ。姉妹を演出したのは言わずもがなカルロスである。
弁が立ち、誰から見ても美しいと囃されるアデライアには大勢の前で話す機会を与え、誰もが羨む宝石をちりばめたドレスを纏わせた。美しくもなく話すのが苦手なルイシーナには仮面を被せ、見えない神秘性で神聖さを増し、顔と言葉を仮面の下に隠させた。カルロスは商家よろしく二人の娘を演出し、管理したのである。
カルロスの演出は巧くいき、特にカリスマ性のあるアデライアのパフォーマンスは民衆の憧れと尊敬を集めた。
対するルイシーナは光ってさえいなければ何処にでもいるただの娘――それも出来の悪い――だ。カルロスにとってルイシーナはアデライアを目立たせるためのただの光なのだろう。
気づいてしまったルイシーナはとてつもなく寂しくなって泣きたくなった。けれどこんなところで泣いたってどうにもならない。ルイシーナは奥歯を噛んで涙を飲み込み、父と妹の口論が収まるのを待った。
「もういい! 認めてもらえなくても、私は勝手に結婚するから!」
一向に認めないカルロスに嫌気が差したアデライアは、乱暴に机を叩いて立ち上がると部屋を出ていった。
「待てアディ! 話は終わっていない! お前は家族を裏切るつもりか!」
顔を真っ赤にしたカルロスが追いかけていき、カルロスを顔面蒼白のクロエが追いかけていった。
残されたバレンティアの隣にドロテオが座って肩を抱いた。ドロテオはルイシーナにも腕を伸ばして慰めようとしてくれたけれど、ルイシーナは首を振って断った。
ルイシーナは義母と異母弟を残し、自室に戻った。部屋に入るとすぐにベッドに飛び込んで、枕に顔を埋めた。
嗚咽が漏れそうだった。時間が経って落ち着いたかと思ったけれど逆だった。無理をして飲み込んだ涙は腹の中で煮え、たくさんの不満と共に目から噴き出した。
どうして父は認めてくれないのだろう。どうして妹はいつも自分勝手なことばかりするのだろう。どうして母は何も言わないのだろう。どうして己は出来そこないなんだろう。
家族への不満は全て己への不満に変わった。
情けなくて仕方なかった。アデライアのように弁が立ち、見目麗しく、華麗で大胆な人間だったら。アデライアのように何でもできる人間だったら。いっそのこと己に【光】がなかったら良かったのに。いや、せめて【光】があって良かったのかもしれない。何の取り柄もない役に立たない人間は、家にいることさえ許してもらえないかもしれないから。
しばらく枕に顔を押し付けて声を殺して泣いていると。
「ルイシーナ様。大丈夫ですか?」
扉の外から声が聞こえてきた。
ベルナルドだ。どうして訪ねて来るのだろう。ルイシーナは疑問に思いながら、居留守を使おうと黙って耳を欹てた。
「入りますよぉー」
扉が開く音がして驚いた。
「ど、どうして入って来るの!?」
慌てて飛び起き、隠れるようにベッドの脇に立つ。驚きのあまり涙は引っ込んだ。
「無礼だとは承知しているんですけど、泣いている貴方を放っておけなくて」
「泣いてないわ!」
どきりとしたけれど全力で否定した。ここまで来る間は泣いていないし、部屋に入ってからも枕に顔を押し付けていたので嗚咽が漏れていたとは思えない。部屋に入る口実として適当なことを言っているはずだ。
「わたくしは泣いていません。大丈夫だから、出て行ってちょうだい」
冷静に、一言ずつしっかり発音した。しかし、ひょろ長い影は確実にこちらへ近付いてくる。真っ暗闇なのにルイシーナの居場所を分かっているようだった。
「僕、嘘を言っている人の声を聞き分けることができるんです。嘘を言っている人は声が強張るんですよ。ルイシーナ様の声は強張っている。聞けば分かります」
「貴方そんなことができるの?」
「できますよ」
ついにベルナルドはルイシーナの目の前に立った。
「ほとんど真っ暗なのにどうしてわたくしの場所が分かったの?」
「月明かりさえあれば、僕には昼間のように見えるんですよ」
「本当?」
「えぇ。此処に貴方の小さな顔がありますよね?」
ベルナルドの両手がそっとルイシーナの頬を包んだ。
「やっぱり。泣いていらっしゃったのですね。湿っていますよ」
指が目に残った涙を拭う。
泣いていた証拠を掴まれた。ルイシーナは悔しくなって頬に当てられたベルナルドの手を払いのけようとしたけれど、反対に近付けた手首を緩く掴まれて捕まってしまった。解こうとしてもびくともしない。
仕方ない。ルイシーナは諦めてため息を吐いた。
「嘘が声で分かるというのは嘘だったのね」
「嘘じゃありません。本当に分かるんですよ。でも、ルイシーナ様が泣いていらっしゃると分かった理由ではありませんでした。泣いて声が震えていたから、分かったんですよ」
「どうしてそう言わなかったの?」
「暗い中、枕に顔を押し付けていたんでしょう? そこまでして隠したかったのに、声が震えていて分かったなんて言われたらショックを受けるかなと思いまして」
「そういう配慮はできるのに女性の部屋にノックもせず堂々と入って来るのね」
「ごめんなさい」
素直に謝ったベルナルドが可愛らしく思えてルイシーナは笑った。
「許します。けれど、本当に大丈夫なの。だからそっとしておいてちょうだい」
「【光】を持っているのはルイシーナ様だけだったんですね」
「……」
追い返すつもりだったのに追い返せなくなった。
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