第19話 秘密

 誰にも知られてはいけないトーレス家の秘密。ベルナルドがこう言うということは、侍従の何人かも聞いたはずだ。すぐにでも箝口令をしかなければならなかった。まずはベルナルドからだ。


 しかしその前に、良い機会だから全てを話してしまおうと思った。ベルナルドに己のことを知ってもらいたかったという欲もある。


 ルイシーナはベルナルドをベッドに座らせ、己も隣に腰かけて奇跡の煌女が生まれるまでの話をした。もちろん口外しないよう約束させて。


「お父様はアディが自ら光れないことを隠したの。万一『偽の煌女』だとでも言われて、アディが非難されるのを避けるためよ。でもね。わたくしは共鳴するアディこそが特別だと思うのよ。皇家にある本を読んでみたら、わたくしみたいに【光】を取り戻す人は極稀にいたみたいなのだけれど、アディのような人は記録に残っていないみたいだったもの」


 ルイシーナはそう締めくくった。


 ベルナルドはすぐには何も言わなかったが、ややあって口を開いたベルナルドは思いもよらないことを言った。


「ルイシーナ様は全ての人間が【揺(ユルギ)】を持っていることを知っていますか?」


「【揺】? 分からないわ」


 【揺】なんて、どの記録にもなかった。


「【揺】というのは【光】にも【穢】にも変化するもののことを言います。【揺】は【光】や【穢】に強く反応し、共鳴して【光】に変化したり【穢】に変化したりすることがあります。とはいえ【光】を得る人は少なく、【穢】を得る人が多いんですよ。アデライア様はおそらく近くにルイシーナ様がいらっしゃったから、【光】に身体が反応するようになり、共鳴して光るようになったんでしょう」


「そんなの、どんな本にも書かれていないわ」


「ルイシーナ様が読んだことのある本は皇室の検閲を通過したものだけでしょう? 残念ながら、今のこの国の体制ではそんなことが書かれた本が世に出回ることはないでしょうからね。知っています? 本に書いてあることって、真実ばかりじゃないんですよ。いくらでも嘘が書けるんです。人が書いている限りね」


「どうして貴方はそんなことを知っているの?」


 ベルナルドが言ったことが作り話ではなく本当のことなら、本に書かれていることが真実ではないと言い切れるのなら、その辺りの何処にでもいるような男が知っているようなことではない。


「貴方は……何者なの?」


 問いかけても答えは返ってこなかった。暗闇は微動だにしない。この間は答えてもらわなくても良かったけれど、今日は答えてもらわなければならなかった。


「教えてちょうだい。貴方は……」


 そこへ扉を小さくノックする音が聞こえて来て、二人の話は中断された。


「姉さん、いる?」


 扉が少しだけ開いて廊下の明かりが人影を成していた。アデライアが部屋を訪ねて来たようだ。


 ルイシーナは焦った。夜半に男性と真っ暗な部屋で二人きりでいるところを見られたらまずい。慌ててルイシーナはベルナルドの腕を掴んで引っ張ると、ベッドの下へ押し込んだ。ベルナルドは混乱している様子を表しつつも、状況を理解しているらしく素直に従ってベッドの下へもぐりこんだ。


「どうしたのアディ」


 平静を装って言うと、アデライアは怪訝な声を出した。


「姉さんこそこんな暗い部屋でどうしたのよ。何も見えないじゃない。灯りくらいつけなよ」


 アデライアは部屋の灯りをつけ、扉を閉めて近付いてきた。


 ルイシーナはバルコニーの手前にあるテーブルセットの椅子に座るよう促したが、アデライアはすぐに終わるからと言ってベッドに腰を降ろした。たった今その下にベルナルドを隠したばかりのルイシーナは、バクバク煩くなった心臓を心の中で叱咤しながらアデライアの隣に腰かけた。


「姉さんにだけ、本当のことを教えてあげる」


 珍しくアデライアは躊躇っていた。話しやすいよう気の効いたことを言えれば良いが、ルイシーナにはそんな高度なことはできなかったので大人しく待った。


 たっぷり三分間沈黙して、アデライアは遂に口を開いた。


「私、皇太子殿下の三番目の妻になるの」


 ルイシーナは思わず声を上げてしまった。


 この国では教会に認められれば複数の配偶者を持つことができ、皇太子フェリペにはすでに二人の妃がいる。アデライアは美しく、社交性もあって引く手数多だ。皇太子殿下に選ばれてもおかしくないと思えた。しかし。


「どうしてそんな大事なことを皆に言わないの? お父様やお母様のお許しをもらわずに結婚するつもりなの?」


「姉さんってどうしてそうも囚われているの? どうして結婚するのに父さんや母さんの許しが必要なのよ。私は二人の娘だけれど、成人した大人なのよ? もう父さんや母さんがいなくても生きていけて、自分でちゃんと責任を持てるんだから、誰と結婚しようが自由だわ」


「貴方の言う通りよアディ。けれどお父様やお母様の身になって考えてみてちょうだい。いくつになっても娘は娘。不幸になってしまわないかいつまで経っても心配なのよ。だから大丈夫だって安心させてあげなくちゃ。反対されたって貴方なら説得できるでしょう」


「まぁそうね。どうせ私が皇族の一員になると知ったら手を叩いて喜ぶだろうけど」


「だったら」


「でも、話せないわ。フェリペ殿下がまだ皇帝陛下からのお許しをもらっていないらしくて、陛下を説得できるまで待ってほしいと言ったの。父さんって口が軽いでしょう? 私が殿下の三番目の妻になるなんて言ったら、すぐに言いふらしちゃうわ。それだと困るのよ」


 確かにその通りだった。カルロスの大きな欠点の一つである。父は大変口が軽く、特に誰にも言ってはいけない話とか、このような皆に自慢できる話はすぐに誰かに話してしまうのだった。


 そういう事情があるなら秘密にするのも致し方ない。


「ちゃんと考えているようで安心したわ。本当のことを知ったらお父様もお母様も喜ぶでしょう。おめでとうアディ。早く発表できる日が来ることを願うわ」


「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しい。……それじゃ、私はもう、行くわね」


 ただ部屋に戻るだけではない気がした。


「どこに行くの?」


「殿下の離宮よ。住まわせてもらえることになっているの。次に会う時は皇妃と呼んでね」


 にこりと笑い、来た時とはうって変わったいつもの明るい様子で、アデライアは扉の方へ歩いていった。そうして出ていこうとしたところで、「あ」と何かを思い出したように振り返った。


「そうだ姉さん。人を疑うことを知らない姉さんに教えといてあげる。前に話した反逆者の話はね、フェリペ殿下が教えてくれたのよ。気をつけるのよ。どうやらあの男には刺青はないみたいだけれどね」


 じゃあね、とアデライアは手を振って部屋を出ていった。


 ルイシーナは手を振ってアデライアを見送ると、しばらくベッドに腰かけたままぼうっと考えた。


 アデライアはあのように言ったけれど、両親に言った方が良いだろうか。カルロスの機嫌が悪いままだと困る。しかし万一のことがあってアデライアが皇太子と結婚できなくなってしまっても困る。


 それにしても、あの男とは……。ベルナルドのことだろうか。


「まさか、そういうことだとは夢にも思いませんでしたね」


 いつの間にか下から出てきたベルナルドが平然とした顔で先ほどまでアデライアがいたところに座っていた。


 そういえばいたのだった。アデライアから衝撃的な発言をされて忘れていた。


「誰にも言ってはいけないわよ」


 慌てて唇の前で人差し指を立てるとベルナルドは嬉しそうに笑った。


「やった。僕とルイシーナ様だけの秘密ですね。絶対守ります」


「絶対よ。絶対誰にも言ってはいけないわよ。わたくしたち二人しかいないところでも話題に出してはいけないわよ。いい? 破ったら、えっと」


「破ったらどうなるんです?」


 ルイシーナは精一杯の悪いことを逡巡した。


「えっと、わたくしが作った不味い料理を食べさせたり、絶対着たくないと拒否したくなる恥ずかしいお洋服を作って着せたりするわ」


「破った方が面白そうですね」


「駄目よ! 絶対駄目なんだから! ちゃんと言うことを聞きなさい!」


「Si!」


 ベルナルドは良い返事をしたけれどいまいち信用ならなかった。それでもルイシーナにはお願いするか、脅しにもならない脅しをかけることしか思いつかなかった。


 ルイシーナが知るベルナルドは、こういう無邪気な男だ。にこにこ笑って冗談を言って時折ルイシーナを困らせる。先ほどのように得体の知れない何者かではない。


 またすっかり聞く機会を逃してしまったことが悔やまれたけれど、このまま何も知らない方が良いような気もしていた。以前質問した時と似たような感情だが、少し違う。今回のルイシーナは、ベルナルドが何者かを知ってしまったら後には戻れない……そんな気がしていた。

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