第16話 王城の図書室

 皇家の蔵書を保管する王城の図書室を利用できるのは王侯貴族の中でも一握りであるという。幸いルイシーナは、奇跡の煌女だと名乗ったところ、自由に使える許可を得ることができた。ただの男爵家ならそうもいかなかっただろう。


 ここのところルイシーナが王城にある図書室に入り浸っているのは、【光】や【穢】について調べるためだった。


 ルイシーナが調べているのは次の三つ。


 【光】も【穢】も持っていないはずのアデライアが何故光るのか。


 【光】は何故失われるのか。


 【穢】はどうすれば失われるのか。


 今のところアデライアのような人間はどの本にも記されておらず、【光】が何故失われるのか、はっきりした理由も分からない。ただ十歳前後で自然と消滅する者がほとんどのため、心身の成長によって失われるとか、性の目覚めによって失われる等といった記述がされていた。成人を越えても【光】を失わなかった者は約千七百五十年の歴史を辿ってみても、たった三人しか知られていない。共通しているのは三人とも有名な聖人であることだった。教会を創った者、福音書を書いた者、数々の奇跡を実現した者。あまりに偉大すぎて己と比べようがないので参考にならない。また、【穢】はどうすれば失われるのかについても明確な記述はなかった。


 だが、一つだけ明言されていることがある。


 皇帝の血筋には【穢】を持った人間はいない、ということ。代々【光】を持った血だけを受け継いできた皇家には【穢】を持つ者がいないのだ、と。そうしてどの本にも【穢】を持つことがない皇家を称える描写があった。


 この国の王座は【光】を持って生まれた者が継ぐ。何人も【光】を持っている者がいれば最も長く【光】を有していた者が継ぎ、過去には女性が王座についたこともあれば【光】を持った後継者がなかなか生まれず国家に混乱を招いたこともある。伴侶に選ばれるのも【光】を持って生まれた人間だ。【穢】を持つ者は近付くことすら許されない。


 後光を携えた皇帝に手を伸ばしている民衆の絵が描かれた頁を閉じ、ルイシーナは分厚い本を棚に戻した。


 調べはじめて数日ではあるが、欲しい答えが見つからない。


 ルイシーナが最も知りたいのは【穢】はどうすれば失われるかだ。【穢】の喪失について分かれば誰もが幸せになるのにどの本にも記述がない。どうしようもないことだと諦めているのか。どうにか【穢】を無くそうと研究したことのある人物は過去に一人もいなかったのか。謎は深まるばかりである。


「最近、よく見かけるな」


 ふいに後ろから声をかけられて振り向いた。


 金の見事な装飾が施された上質な臙脂のコート、フリルのついた白いシャツ。癖の強い短い黒髪に、色の薄い青い瞳。精悍さに冴え冴えとした品を兼ね備えた端正な顔は、国民なら肖像画で何度も見たことがあるだろう。


 ルイシーナは急いで礼をした。


「フェリペ殿下。御挨拶が遅れてしまい、申し訳ございません。お邪魔でしたでしょうか? ご気分を害されたのなら、今後は控えさせていただきます」


 皇太子フェリペ・アーロン・ルシオ・デ・ボンボーン。かつて【光】を持っていた【光の皇太子】である。


 対するルイシーナは爵位を金で買った男爵の娘。ここでいらぬ反感を買ってしまったら家族に迷惑がかかるかもしれず、緊張して喉が渇いた。


「いつも集中しているのでそんなにも面白い本があったかと気になっただけだ。何を読んでいるのか聞いても?」


「【光】や【穢】について書かれているものに端から順に目を通していました」


 頭を下げたまま答える。


「さすがは奇跡の煌女殿。勉強熱心だ。何か【光】や【穢】について気になることがあるのだな?」


「【光】が失われるものであれば、【穢】も失われるものなのだろうかと思い、調べています」


「【穢】が失われるかどうかか。それについては私も知らないな。しかし、どうしてそんなことを知ろうとしているのだ?」


 ルイシーナは逡巡した。できることなら人々を【穢】から解放したい。そんなことを言ったら皇太子はどんな反応をするだろうか。賛同してくれれば良いが、この国の体制に長年変化がない以上、そうでない可能性の方が高かった。【穢】を擁護する者は異端扱いされる。迂闊なことを言って家族にあらぬ疑いがかけられることがあってはならないので、慎重に答えることにした。


「疑問に思っただけです。かつてわたくしは【光】を唐突に失いましたから、【光】も【穢】も不安定なものなのかと……」


「あぁ、不安だったのだな」


 不安、とは何のことを言っているのだろうか。


 ルイシーナは目を上げた。


「自分の【光】が失われてしまうのではないかと不安なのだろう?」


 なるほどそう解釈したのか。【光】なんて早く無くなってしまえば良いと思っているが、ここは話を合わせておくのが賢明だと感じた。


「よくお分かりになりましたね」


「不思議なものだ。表情が見えなくても分かるなんて」


 フェリペの目が細められる。本当は見当違いのことを言われているので、ルイシーナはえぇ、だったか、まぁ、だったか、己でも覚えていないくらい曖昧な返事をした。


「しかし不安になることはない。君たちは死する時まで【光】を失わなかったかつての聖人たちと同じように、【光】を失うことはないはずだ。失う可能性を捨てきれず将来に不安があるのであれば、今のうちに手を打つことだな。私がいつでも力を貸すぞ」


 フェリペが一歩近付いてきた。ルイシーナを閉じ込めるように手を本棚に突く。臆病なルイシーナは嫌な汗をかいて、早々に立ち去らなければならない――つまり逃げなければ――と思った。


「ありがとうございます。殿下のお力が必要な際はお願いに参ります。それでは、そろそろ奉仕に向かわなければなりませんので、失礼させていただきます」


 ルイシーナはするりとフェリペの脇を通り過ぎようとしたが、腕を掴まれ阻まれた。


 粗相でもしてしまったのかとルイシーナは焦った。やはり逃げるように立ち去るのはまずかっただろうか。そうルイシーナは己の言動を振り返ってどう謝ろうか考えていたけれど、フェリペが口にしたのは全く別のことだった。


「先日、街で【光】を持った黒髪の女が発見されたそうなのだが、君は知らないか? ちょうど君くらいの歳で、ドレスを着ていたそうだ。なんでも、【穢】を持った赤ん坊を抱いていて、自分の子だと言ったらしい」


 腕を掴んでいた手がルイシーナの黒髪をつまんだ。


 頭の先から血の気が引いていった。


 己がその時の女だと気づかれたらどうなるのだろうか。もし赤ん坊の居場所を問い詰められて赤ん坊がどうしているか知られてしまったら。赤ん坊は、グレタたちは、どうなってしまうのだろうか。そして教会以外で発光してはならない規律を破った己は……。


 家族のためにも何も知られてはいけない。ルイシーナは震える手でフェリペの手から己の髪を引き抜き、首を振った。


「わたくしは存じ上げません。その情報は確かなのでしょうか。先ほど読んでいた本の中に【光】は情交で失われるとありましたけれど」


「それもそうだな。では、また会えることを楽しみにしているよ」


 フェリペは簡単に引き下がり、ひらひらと手を振った。ルイシーナは礼をして、今度こそ逃げるように図書室を出た。

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