第13話 仮面の盗人
グレタの家を後にした二人は小道を抜けて水路に出た。水路の脇にくくりつけられていたゴンドラにベルナルドが乗り込み、ルイシーナを呼ぶ。ルイシーナが手を借りて乗り込むと、ベルナルドはゆっくりゴンドラを動かした。
ゆらゆらゴンドラに揺られながら、街並みを見物する。時折ゴンドラですれ違う人や水路沿いの建物の窓から覗いていた人が、見事な刺繍が施された布や鮮やかな花を気に入って買ってくれた。そこでようやくルイシーナは食べ物とお金の代わりに布や花を交換してきたのだと気づいた。手に入れた布や花をベルナルドはこうしてお金に換え、循環させているのだ。
「ずっとこういう生活をしていたのですか?」
「まぁそうですね。何の計画性もないその日暮らしなので、褒められたものじゃないですよね」
「わたくしは素晴らしいと思いますよ。善良な人間というのは貴方のことを言うのでしょう」
「僕が善良? そんなわけない。自分の都合で自分のしたいようにしている、ただの自分勝手な奴さ。今だって言いつけを破らせて無理矢理お嬢様を連れ出しているのに」
崩れた言葉遣いや剣を含んだ目がルイシーナをひるませた。
「無理矢理ではないわ。わたくしは感謝しているの。言いつけを破ったことは悪いことだけれど、貴方に街を案内してもらえて、こうしてたくさんのことが知れて良かったと思っているわ。ありがとう」
「僕は感謝されるような人間じゃない。此処へ来る理由だって、稼げるからだ。満足に動けない彼らなら絶対に買ってくれることをあてにしているんだ」
「わざと高額にしたり騙したりして売っているわけではないでしょう? グレタさんは助かるとおっしゃっていたわ」
「そうだよ。僕と彼らは持ちつ持たれつな関係なんだ。だから僕が立派とかそういうことじゃないんだよ」
何と言われようとベルナルドのことを立派だと思う気持ちは変わらなかった。けれど彼はどんなに褒めても認めず否定し続けるだろうと分かったから、ルイシーナは口を閉じることにした。こういう時どう言えば良いのか見当もつかず、巧く新しい話題を出すこともできないルイシーナは、仕方なく視線を街並みに投げた。
すると器用に屋上を駆けている人物を見つけた。顔を仮面で隠しており、身体は麻のマントで覆っていて、歳も性別も分からない。
どうしてそんな恰好で屋上なんかを駆けているのか。
その理由は、身軽な動きでバルコニーに飛び移って降りてきたその人物が、地面に着地したところで分かった。
「いたぞ! こっちだ!」
「待て泥棒!」
水路の反対側から怒号が飛んで来た。兵士の格好をした三人組が橋を渡って仮面の人物の方へ向かっていく。
追われているのだ。
仮面の人物は上流からやってきた兵士たちを避けるように下流へ走っていき、あっと言う間に路地へ消えた。その後を兵士たちが追いかけていく。
ぐら、と大きくゴンドラが揺れた。見るとベルナルドがじっと仮面の人物が消えた路地を見つめて身を乗り出していた。いつもなら言われなければ分からないのに、この時ばかりはルイシーナにもベルナルドがどうしたいのか分かった。
「行ってちょうだい。わたくしは大丈夫だから」
ベルナルドは目を大きくしてから申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめん。すぐに戻って来るから、絶対にこのゴンドラから降りないで」
ルイシーナの返事も聞かず、ベルナルドは早々にゴンドラを離れた。器用に水路脇にくくりつけてあった船に飛び移り、地上に上がって仮面の人物が消えた路地へ消えていく。
一人になったルイシーナは初め、ぼうっとベルナルドの消えて行った方向を見つめていた。しかしゴンドラが流されていることに気がつき焦った。このまま流されてしまっては、ベルナルドが己を探すのに難儀するだろう。どうにかゴンドラを停めなければ。
ルイシーナはベルナルドがしていたようにオールでゴンドラを操縦しようとした。けれどどんなに頑張っても力が足りず、流れに抵抗することができなかった。仕方なくルイシーナはゴンドラを動かすことを諦めた。いずれ流れが緩くなって止まることがあるかもしれない。そうなったら何処かにゴンドラを括りつけてベルナルドが戻って来るのを待とうと決めた。
しばらくルイシーナはぼんやり空や街並みを見つめて揺蕩っていた。こういう時の景色は絵画を見ているような気分になる。描かれた絵の中には決して入れないように、瞳に映る景色の中に己は映れない。見ているだけの世界は、己と隔絶しているように思えてならなかった。
絵画の中に再び仮面の人物が現れた。
路地から飛び出した仮面の人物を、相も変わらず兵士たちが追いかけている。先ほどの兵士たちとは顔が違う。何人もの兵士に追いかけられているようだ。
それほどまで兵士が必死に追いかけるような人物なのだろうか。泥棒と言われていたが、一体全体何を奪ったと言うのか。お金を奪った掏摸でさえ兵士に追われていなかったのに。
仮面の人物は脇道から飛び出した兵士を避けつつどうにか橋の上まで走ってきたが、遂に捕らえられてしまった。ベルナルドの姿は何処にもなく、ルイシーナは今まさに仮面の人物が捕らえられ、抑えつけられた橋の下をくぐろうとしていた。
急に観劇していた物語の中に引きずり込まれた気分になった。
どうしよう。仮面の人物を助けてやるべきなのか。橋の上からこちらに飛び移れるだろうか。兵士たちの手から逃れることができなければ不可能だろう。地上に上って助けに行こうとしたところで、果たして間に合うだろうか。いいや、そもそも泥棒と言われていた仮面の人物を助けるべきなのだろうか。ベルナルドはどうしてこの仮面の人物を助けに行ったのだろうか。
様々なことをぐるぐる考えて勝手にあたふたしていると、仮面の人物がこちらを見た。そうして仮面の人物はごそごそと懐を弄り、布をぐるぐる巻きにした小包のような物を、目いっぱい腕を伸ばして橋の下のルイシーナめがけて差し出してきた。
慌てて立ち上がり、小包を受け取った。
ルイシーナは離れていく褐色の手の甲に四芒星と十字架が合わさった白い刺青があるのをしっかり見てしまった。
反逆者だ。
この小包は仮面の人物が奪って来た物に違いない。反逆者が盗んだ物とは、一体何なのだ?
ルイシーナはどぎまぎして、ゴンドラが完全に橋の下に隠れたところで中身を確認した。
「え!?」
驚いて思わず声を出してしまい、慌てて口を噤んだ。
生まれたばかりの赤ん坊だった。ブロンドの髪が少しだけ生えた玉のような子だ。ルイシーナは説明を求めて橋を見上げたけれど、取り押さえられた仮面の人物が応えられるはずもなく。兵士たちは赤ん坊がルイシーナの手に渡ったことに気づいていないのか、こちらには見向きもしなかった。
仮面の人物は赤ん坊を奪い、兵士たちに追いかけられていたらしい。
どうして。何故仮面の人物はこの赤ん坊を奪い、懐に隠して逃げていたのか。状況が分からない。けれどルイシーナが託された赤ん坊を守らなければならないことは確かだった。
ルイシーナは膝にかけていた布で赤ん坊を包み直し、どうしようか考えた。
ベルナルドはゴンドラを離れないよう言ったけれど、赤ん坊を匿って逃げなければならない状況になったら逃げ場がない。だったら地上に上がって何処かに身を隠していた方が良いだろう。
ルイシーナは意を決して地上に上がることにした。
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