第8話 異母弟

 形の整えられた色とりどりの花々や草木が植えられたトーレス家自慢の庭。


 ルイシーナはアマポーラの蕾の前で膝を折り、ふとアデライアが言っていたことを思い返していた。


 金品を略奪し、訳の分からないことを主張しているという反逆者。反逆者に共通しているという刺青。


 反逆者たちはどうして悪いことをするのだろうかと疑問を抱く。世間知らずのルイシーナには反逆者がどんなことを企てているのかさっぱりだ。


 じっと一点を見つめて考えていたからか、ルイシーナは肩を叩かれるまで後ろに人がいることに気がつかなかった。


「ルル姉さん。今日は何を見ているの?」


 異母弟ドロテオがにこやかな顔をして隣に屈んだ。


 ドロテオは義母バレンティアによく似た艶のある黒髪と褐色の肌に垂目が印象的な体躯の良い少年である。歳は十四。歳の割に身体がしっかりしているのは、おそらくカルロスに似たのだろう。


「まだ咲きそうにないかしらって、アマポーラを見ていたの」


 大したことを考えていたわけではないので適当に茶を濁す。


 ドロテオはふぅんと鼻を鳴らしてアマポーラの蕾に視線を投げ、「あ!」と声を出した。


「ルル姉さん見て! ほら蝶々だ! すごく綺麗だよ」


「本当だ。綺麗ね」


 ドロテオがルイシーナの肩を抱き、蝶を指してはしゃぐので、ルイシーナは仮面の下ではにかんだ。


 ルイシーナとドロテオはよくこうして庭で過ごす。ドロテオは庭にいるルイシーナを見つけると必ず寄って来るのである。


 ルイシーナがカルロスの愛人バレンティアと異母弟ドロテオの存在を知ったのは五年前。カルロスが爵位を賜った日の祝賀会に二人を呼ぶまで、父が不貞を働いていたことも子どもを作っていたことも知らなかった。しかしどうやらクロエとアデライアは浮気に気づいていたらしく、二人でやはりと話していたのを立ち聞きして、ルイシーナは愕然とした。己の鈍感さに、である。


 カルロスはドロテオが教会に認められた自分の息子であることを告げ、その母バレンティアとドロテオは家族であると主張し、共に家へ迎え入れることを決めた。一方的に決められたことだったが、クロエは夫も愛人も、もちろん異母弟も責めなかった。そればかりか快く受け入れたので、ルイシーナは心からクロエを尊敬し、クロエの意思を継いでバレンティアにもドロテオにも好意的に接した。特に五つ離れたドロテオはよく懐いてくれ、ルイシーナは殊更ドロテオを可愛がっていた。


 ドロテオは誰からも大事にされた。いずれはトーレス家を継ぐ大事な跡取りだからだ。その母親であるバレンティアも例外ではなかった。ただ跡継ぎのドロテオに求められているものは大きく、朝から晩まで勉強続きで傍から見ていて気の毒なくらいだった。本来ならドロテオはこうしてルイシーナと庭にいてはならず、勉強をしていなければならない。


 しかしルイシーナは誰にもドロテオが息抜きをしていることを言うつもりはなかった。可能な限り毎日頑張っているドロテオのために休み時間を確保してあげたいとさえ思っている。だがそうはいかない理由があった。


「ルイシーナ様ーっ! ドロテオ様ーっ!」


 やっぱり来た、とルイシーナは肩を落とした。


 尻尾を振る子犬のように手を振り何度も大声で二人の名を叫びながらベルナルドが駆けてくるのが見える。ベルナルドはルイシーナとドロテオが庭にいると必ずやって来た。


 ドロテオは露骨に顔を歪めた。


「またあいつは大声を出してこっちに来る。ルル姉さんの後をついてばかりで犬みたいだ。素性が分からない野良犬め。いまいち信用ならないやつだ」


 ルイシーナは「いけませんよ」とドロテオを窘めた。


「悪い言い方をしてはいけません。ベルナルドは良い人よ。お父様だって認めているでしょう」


 ベルナルドは人懐こく気さくだ。それでいて彼は一度見聞きしたことを完ぺきにこなせる才人で、目立った粗が無く、侍従たちに溶け込むのも早かった。カルロスは良い拾いものをしたとご満悦だ。言い方はどうあれ、優秀で善良なベルナルドが屋敷にいることはルイシーナも嬉しかった。


「でもあいつのせいで僕は母さんにすぐ捕まるようになったよ。あぁやっぱり母さんがいる」


 ドロテオの視線の先を追ってみる。バレンティアがこちらを見つめていた。


 可哀想なドロテオ。ベルナルドが大声でやって来る所為ですぐバレンティアに気づかれてしまうようになった。ドロテオのためにベルナルドに事情を話して大声を出さないようお願いしたこともあったけれど、「勉強をサボるのは良くないです」と一蹴された。仕方なく隠れて散歩しようと試みても、すでに庭を熟知しているベルナルドから隠れることは困難だった。


 とはいえいつも通りなら、バレンティアはこれ以上近付いて来ないはずだった。バレンティアは何故かルイシーナと距離を取っていて、自ら近付いて来ようとしないのである。ふいに出くわすと焦った様子で視線を下げて居心地が悪そうにするし、逃げるように立ち去ることもある。


 正妻の長子であるルイシーナに遠慮しているのかもしれなかった。バレンティアは跡取り息子の母親でも奢らず、慎ましやかだ。だからクロエも許したのかもしれない。


「はぁ。ひどく怒られる前に戻ろうかな。またね姉さん。くれぐれもあいつには気をつけて」


 ドロテオはルイシーナの背をさすり、再びため息を落として戻っていった。


 ベルナルドがドロテオと入れ替わる。


「ドロテオ様はお勉強に戻られましたね。ルイシーナ様はそろそろ孤児院へ行くお時間ですよ。出かけるご準備はお済みですか?」


 いつの間にかそんな時間になっていたらしい。普段はモニカが呼びに来るのに、今日はベルナルドが呼びに来たようだ。珍しい。


 ルイシーナは立ち上がってドレスを払った。


「準備はできています。いつでも大丈夫ですよ」


「では」


 ベルナルドが左肘を曲げて脇を軽く開けた。


 ドキリとした。ルイシーナは緊張しながら手を添え、ゆっくり歩を進める彼に合わせてぎこちなく足を動かした。


 恋人などという素敵な存在は生まれてこのかたできたことが無く、もうずっと社交界にも出ていないから、エスコートされるのは久しぶりだった。なんだか恥ずかしくなってきて、ルイシーナはしばらく足元を見て歩いた。


 やがて屋敷の表に着くと、いつものようにポーチにクロエが立っており、馬車が用意されていた。


 ベルナルドは馬車に乗り込む際も手を差し伸べてくれた。いつもは初老の御者が手を貸してくれるのに、御者は何処にもいない。一体全体御者は何処に行ってしまったのだろうと辺りを見回していると、ルイシーナの心情を察してくれたらしいベルナルドが言った。


「今日からは俺がルイシーナ様を奉仕先までお連れいたしますよ。よろしくお願いします」


「貴方、馬を操れるのですか?」


「馬だけじゃなく牛も操れますよ。好きじゃありませんけど」


 ベルナルドが両手で広げたマントを翻す動きをしたので、ルイシーナは感心して頷いた。


「何でもできるのですね。ではこれからお願いします」


「はい、喜んで」


 馬車に乗り込むとベルナルドは扉を閉めてくれ、ルイシーナは見送ってくれているクロエに手を振った。


 程なくして馬車が動き始めた。

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