第9話 孤児院
孤児院に着くと出迎えてくれた院長と握手をして、庭に集められた子どもたちの元へ向かった。
子どもたちは輝くような笑顔でルイシーナを迎えた。ルイシーナ様、ルイシーナ様、と右から左からルイシーナを引っ張ってあっちこっちへ連れて行ったり、木陰で本を読んでくれとせびったりした。最初はどうすれば良いか戸惑った子どもたちへの接し方も、今では慣れたものである。
小一時間程動き回って疲れてきたので、ルイシーナは子どもたちを木陰に集めて読み聞かせをすることにした。するとどういうことかベルナルドがやってきた。
「馬車はどうしたのですか?」
ベルナルドは馬車の番をしているはずだった。それがどうして此処にいるのか。
「院の人に番を頼みました。寝ていても良いので見張っていてくれって言ったら快く引き受けてくれましたよ。さすが、孤児院の人たちは人間ができていますね」
パチンとウインクするベルナルド。呆れたルイシーナが口を開く前に、ベルナルドは子どもたちに向かって笑いかけた。
「今度は僕が遊んでやるぞ。おいでおいで」
子どもたちは遊び足りなかったのか、わらわらとベルナルドの周りに集まった。ルイシーナは肩を落とし、一先ず木陰に腰を降ろして休憩することにした。
ベルナルドは子どもの扱いに慣れているらしく、大人気だった。追いかけっこをしたり、肩車をしたり、両腕にぶら下げてぐるぐる回ったり。ルイシーナができない激しい遊びをたくさんしてくれて、子どもたちは高い声を上げて喜んだ。
ルイシーナは遊びに疲れた子や、本が好きな子のために読み聞かせを始めた。読み進めていくとベルナルドも子どもたちに混ざって地面に寝そべり、目を閉じて話を聞くようになった。疲れて読むのを中断すると、起き上がって次は僕が、と引き継いで続きを読んでくれた。
子どもたちと戯れるベルナルドを見ているとふわふわした気持ちになった。カルロスやクロエもこんな風に自分たちを育てたのだろうか。いつか【光】を失って煌女ではなくなったら、こういう人と一緒になりたいものだ。
ふとそんなことを思って、なんて恥ずかしいことを考えてしまったのだろうと頭を振ったところで、独りの男の子が目についた。何度奉仕に来てもこちらに近付こうとせず、独りで過ごしている男の子だ。
これまでは一人で子どもたちの相手をしていたので彼に近付けなかったが、今日はベルナルドがいる。皆はベルナルドに任せてあの子の元へ行こうと、ルイシーナは立ち上がった。
男の子は一人で遊ぶのが好きな子なのかもしれない。けれど、誰かと一緒に遊ぶことも楽しいのだと知ってもらいたかった。お節介でも良い。人は絶対に一人では生きられないものだから、遊びを通して誰かと一緒にいることを学んでほしかった。
歩を進めると、それまで地面を見つめていた男の子が突然立ち上がって建物の影に隠れてしまった。こちらに背を向けていたから、ルイシーナがやってくることに気づいて逃げたのではないはずだ。
どうかしたのだろうかと疑問に思いながら追いかけて、男の子が消えた建物の向こうを覗き込んだ。
こちらへ来たはずなのに、男の子はいなかった。孤児院は高い鉄格子に囲まれているので外に出たということはない。目ぼしいところと言えば、掃除道具などが置かれている小屋だ。
ルイシーナは小屋の扉を開けた。
物陰で何かが動いた気配がした。
「坊や、いるのですか? わたくしと一緒に遊びませんか?」
恐がられないよう声をかけながら薄暗い小屋の中に入って、すぐに立ち止まった。
物凄い悪臭がした。生ごみが腐ったような、鼻がおかしくなるくらい強烈で不快な匂いだ。ルイシーナは小屋の中に迷い込んだ獣の類が死んで腐っているのではないかと思った。もし子どもがいるのなら、そんな場所にいさせてはおけない。
「ねぇ、いるのなら返事をしてちょうだい。此処から出ましょう?」
一歩、二歩と踏み込んで、掃除道具や農機具の間を覗いていき、ついに男の子の丸い頭を見つけた。
「見つけましたよ。さぁ……!?」
振り返った男の子に、ルイシーナは息を飲んだ。
目にいっぱいの涙を溜めて見つめる男の子の口元には両手が当てられており、指の隙間から粘りのある黒い物が垂れていた。足元には固形の黒い何かが落ちている。
【穢】だ。異臭の原因は【穢】だったのだ。
「……貴方」
「ごめんなさい! ごめんなさい! ゆるしてください! いま、のみこみますから! かたづけますから! おねがいすてないで!」
男の子は大粒の涙を流し、必死に【穢】を飲み込もうと手を口に突っ込んだ。
声が出る前に身体が動いた。ルイシーナは男の子の後頭部を抱いて己の胸に顔を押し付けた。
「大丈夫、大丈夫よ。貴方を捨てたりしませんから。大丈夫、落ち着いて。しんどかったでしょう? 一人でずっと大変だったでしょう? 大丈夫よ。もう一人ではありませんからね」
男の子が安心できるよう、ルイシーナは大丈夫を繰り返して背中をさすってあげた。
腕の中で強張っていた身体は次第に緩んでいった。
男の子が落ち着いてくれたことにルイシーナは安堵した。けれど、男の子が「あっ」と言って再び硬直したので、ルイシーナの身体にも緊張が走った。
目を見開いて一点を見つめる男の子の視線の先を追った。
「……ベルナルド」
ベルナルドは何も言わずに踵を返し、小屋を出ていった。
こうしてはいられない。ルイシーナは男の子を抱いて急いで立ち上がった。
五、六歳の男の子はとても重かった。煌女になってから重たい物を持ったことが無かったルイシーナはよろめいたが、足を踏ん張って耐えた。男の子を放したら怖ろしいことが起きてしまうと分かっていたので、降ろせなかった。
何とか馬車まで連れていこう。屋敷で養えないだろうか。子どもが一人くらい増えたって構わないはずだ。無理だったら別の孤児院や里親を探してあげよう。とにかくこの場さえ取り繕って、この子を馬車に隠すことさえできれば何とかなるはずだと、ルイシーナはよろよろ歩き出した。急く気持ちとは裏腹に、立っているのがやっとでなかなか前に進まない。それでも何とか外に出られるというところまで来て、男の子を抱え直した時だった。
「!」
現れた誰かに腕を掴まれた。
「いやっ放して!」
腕を振り払おうとしたり、踏ん張って耐えようとしたりしたけれど、非力なルイシーナでは何の抵抗にもならず、強引に小屋の奥まで戻されてしまった。
腕を掴んだ人物に無言で肩を押されて膝を折り、床に座り込む。近くで人が屈んだ気配がして恐る恐る顔を上げると、傍らに水を張ったバケツを二つ置いたベルナルドが片膝をつけていた。
「口を漱いで」
ベルナルドは男の子に向かって言った。
気持ちが悪かったのだろう。男の子は警戒しつつもルイシーナから離れ、バケツの水で口を漱いだ。漱ぎ終わるとルイシーナの膝に戻って来て抱き着いた。ルイシーナも男の子に腕を回してしっかり抱いた。
「今日は何を食べた?」
ベルナルドの質問に、男の子はルイシーナを伺ってから答えた。
「……パンとスープ」
「そうか。パンはできるだけふやかして食べるんだ。それからたくさん噛んで細かくして飲み込む。吐いた時、塊がない方が隠しやすいからな。いつも何処で吐いてる?」
「くさのところとか」
「悪くない。けど穴を掘ったところに吐いて穴を塞いだ方がもっと良い。あとは吐きたくなるのを待つんじゃなくて、自分で今だと思った時に吐けるよう練習をすればほとんど気づかれなくなる。吐き方は後で教えてやる。だから心配しなくて良い。俺たちは君の味方だ」
ベルナルドが大きな手で男の子の頭を撫でる。男の子はぎゅっとルイシーナのドレスを握って頷いた。ぽろぽろと涙が零れる。ルイシーナは男の子の涙を親指で拭ってやった。
男の子の涙が落ち着くと、ベルナルドはもう一つのバケツを持ち上げて言った。
「さて。それじゃぁ、ちょっと息を止めて。ルイシーナ様も。後でお叱りは受けますから」
何故、と思ったのと、バシャッと頭から水をかけられたのが同時だった。
意味が分からなくて仮面の下で目を瞬いていると、今度は頭から鶏糞が混ざった土をかけられた。こんなことは庶民だった頃にも経験したことがなく、ルイシーナは呆気に取られて固まった。
「これで匂いも汚れも誤魔化せますね。その子は僕が預かりますよ。おいで」
ベルナルドは半ば放心状態のルイシーナの腕から男の子を奪った。
「これは僕とルイシーナ様だけの秘密ですよ」
土でどろどろになった男の子を片腕に抱いて、もう片方の手を差し伸べてくる。ルイシーナが手を取ると引っ張って立たせてくれた。
「さ、行きますよ」
ベルナルドはルイシーナの手を掴んだまま狭い小屋の中から外へ移動した。
広場に出たところで人が集まって来た。たくさんの子どもたちに、院で子どもたちの世話をしている大人たち。ベルナルドが「かくれんぼをして遊んでいたら小屋に積んであった土の入った麻袋を落としてしまいました」と謝ると、皆はそれを信じた。男の子の服が汚れている理由も、異臭がする理由も、すべて土の所為になった。良く調べたら分かっただろうが、大人たちはルイシーナの着ているドレスが汚れているのを見て焦っていてどうでも良さそうだった。
ルイシーナは一時でもベルナルドを疑ってしまったことを恥じた。彼は優しく、それでいて頭が良く回る人物だ。ルイシーナは男の子を連れて逃げることしか考えられなかった。ベルナルドのように頭の回転が速ければ罪のない子を助けることができるのだと思うと羨ましかった。
見つめていると目が合って優しく笑いかけられた。
――なんて魅力的な人。
この時のベルナルドの笑顔が頭から離れなくなり、ルイシーナはその後どうやって屋敷に帰ってきたかも覚えていないくらい、ぼうっとしていたのだった。
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