第5話 光と穢 4
夕方に拾った男の介抱をしていた赤髪のメイド、モニカがルイシーナの部屋にやって来た。
「アデライア様は会うつもりがないようで『早く追い出してしまいなさい』とおっしゃったのですが……ルイシーナ様はいかがなさいますか?」
モニカは夕食後にサロンでくつろいでいたアデライアの元を訪ね、屋敷に連れて来た男が自分を助けてくれた煌女に礼を述べたいと言っていることを伝えたというが、断られたようだ。
けれどルイシーナには拒否する理由が無かったので、二つ返事で承諾した。
モニカは部屋の前まで男を連れて来ると言ったが、先ほどまで倒れていた人物に無理はさせられないと、ルイシーナは自室を出る準備をした。ショールを羽織り、仮面を被る。そうしてモニカの後について、男がいる使用人の部屋を訪ねた。
夕方の男を運び込んだのは四人一組の相部屋だった。相部屋は四つのクローゼットと二つの二段ベッドがあるだけの簡素な部屋で、夕方の男は二段ベッドの下の段に寝そべっていた。
包帯でぐるぐる巻きにされた上体や伸びた四肢はやはり男にしては細い。助けた時は見られなかったけれど、瞳は灰青色であるようだった。
「ルイシーナ様!」
無言で見つめていると、ルイシーナに気づいた男は顔をしかめながら上体を起こした。馬に蹴られたわけではないが、ずいぶん身体を痛めているらしい。
男の脇に膝を折ろうとするとモニカが椅子を出してくれたので、ルイシーナは椅子に腰かけた。
「貴方のおかげですルイシーナ様。死にかけていた僕を救ってくださり、本当にありがとうございます」
死にかけていたにしてはハキハキと話す。いかにも食べ足りていなさそうなひょろひょろの身体だが、これだけしっかり話せるなら大丈夫だろう。
「元気になったようで何よりです。貴方の御家族が心配なさっていることでしょうから、お家までお送りいたします。お家はどこですか?」
男は申し訳なさそうに頭を掻いた。
「えっと、すみません。僕、家族がいないんです。両親も兄弟姉妹も親戚もいない。そればかりか住むところも点々としていて。だから帰る家はありません」
「あら……そうでしたか」
帰る所の無い天涯孤独の身と言われても驚かなかった。煌女として孤児院や病院へ奉仕に行っているため、そういう人間が思っているより多いことを知っているからだ。
「では、貴方はどうしたいのですか?」
「僕がどうしたいかを聞くんですか?」
男は不思議そうに瞬いた。
ルイシーナは己がおかしなことを言ったとは思わなかった。目の前の男は未熟な子どもではなく、大人だ。お節介にあれこれしてやるのではなく、本人の希望を叶えてやるのが手っ取り早いと思ったのだが。
「おかしいでしょうか?」
「僕みたいな人間にどうしたいかを聞くなんて、普通じゃないですよ。有無を言わさずその辺りに放り出されて終わりかと思っていました」
「そんな可哀想なこといたしません」
「ルイシーナ様は優しいですね」
男は眩しそうに目を細めてから「だったら」と続けた。
「ここで働かせてくれませんか?」
今度はルイシーナが目を大きくした。まさかそんなことを言われるとは思ってもみなかったのである。
「僕、一生働ける場所を探しているんですがなかなか見つからずに困っているんです。だから良ければ此処で働かせてもらいたいな、なんて。いろいろなところを点々としたのであらかた何でもできますから、どうか雇ってもらえませんか? お願いです」
潤んだ瞳で希われてしまっては無下にできなかった。とはいえトーレス家の雇用についてはルイシーナが決められることではない。
「……わたくしは構いませんけれど、決定権を持ちません。父に聞いてみますから、少々お待ちください」
ルイシーナは立ち上がり、部屋を出たところでふと思い立って振り返った。
「貴方、食事は? 父に聞いてくる前にお腹が空いているなら用意しますけれど、どうしますか?」
「良いのですか!? 是非」
子犬のように目を輝かせるので、ルイシーナは小さく笑い声を立てた。
「あまり上手くはありませんから、期待はしないでくださいね。食べられない物はありますか?」
「ひょっとしてルイシーナ様が作ってくださるのですか!?」
そのつもりだった。通常時間外の一食のために侍従の休息を邪魔するわけにはいかないと思ったからだ。
頷くと男はより目を輝かせた。
「恐れ多いです! でもすごく嬉しいです! あ、僕、豪華な物は食べ慣れていなくて胃が受け付けないのでスープとパンでお願いします!」
妙に遠慮をせず、正直に伝える男に好感が持てた。人の顔色を伺って胸の内を探るのが下手なルイシーナには、これくらい正直な方が有り難かった。
「分かりました。待っていてください」
それでは、とルイシーナは部屋を後にして厨房へ向かった。後ろからモニカが「お手伝いします」とついてきたので、言葉に甘えることにした。
厨房には夕食で余った数種のパンとスープが残っており、モニカが手際よく準備をし始めたのでルイシーナは手を出さなかった。代わりにルイシーナがしたのは、はちみつを混ぜたラム酒を火にかけたものに菓子パンを漬けることだった。
「それは何ですか?」
モニカが覗き込んでくる。
「お菓子ですよ。アディが以前お茶会で教えてもらったというお菓子を再現してくれたことがありました。それが美味しくて食べやすかったので、ドルチェにどうかと思ったのです」
出来上がった菓子をモニカに食べさせると「美味しいです!」と感激してくれた。ルイシーナはアデライアに感謝しながら菓子を皿に移してワゴンに乗せ、おや、と疑問符を浮かべた。
「パンもスープも少なくないかしら?」
ワゴンに乗ったパンは一切れ。スープは器の半分にも満たない。子どもでも足りない量というのは一目瞭然だ。モニカはあ、と口を開いたけれどそれ以上は何も言わず、目を泳がせた。もしかしたらどのくらい振る舞って良いか分からず遠慮したのかもしれないとルイシーナは受け取った。
「パンとスープくらいお腹いっぱい食べさせてあげて構わないわ。食べきれないくらい持って行ってあげましょう」
「はい。お嬢様」
結局パンはバスケットに山盛り一杯、スープは大皿に並々と注いで持っていくことにして、ルイシーナとモニカは二手に分かれた。ルイシーナはサロンにいるはずのカルロスの元へ。モニカはワゴンを押して男の元へ。
サロンには案の定、カルロスが家族と楽しそうに団らんを過ごしていた。大きなソファの真ん中に座る父の隣にはそれぞれ第一夫人と第二夫人。金髪で線の細い女性がルイシーナとアデライアの母クロエで、癖の強い黒髪で豊満な身体の女性が義母バレンティア。一人掛けのソファにはバレンティアの息子であり、ルイシーナとアデライアの異母弟であるドロテオが座っている。向かいの広いソファにはアデライアが寝転がって仮眠していた。ローテーブルの上にはチーズとハム、それから空いたワインボトルが三本。空気は酒気を帯び、陽気の中に微睡がある。
カルロスは家族を大事にしており、必ず食事は全員でとるようにして、仕事をしていない時は自室に籠らずサロンで過ごしている。カルロスにとって、この時間は憩いの時間だった。
雰囲気を壊すのは忍びなかったが、ルイシーナは静かに歩み寄ってカルロスに時間をもらい、助けた男が屋敷で働きたいと言っていることを告げた。カルロスは酒に酔っている所為もあってか豪快で、二つ返事で了承した。ルイシーナはほっと胸を撫で下ろし、良い知らせを聞かせるために男の元へ向かった。
男はベッドに腰かけ、料理をワゴンに乗せたまま食事をしていた。モニカが傍でパンをちぎってスープに浮かべて男の食事を手伝っている。ルイシーナは黙って充分ふやけたパンをどれだけ噛むのだというくらい口を動かして咀嚼する男の様子を観察していた。
「お嬢様」
モニカがルイシーナに気づいた。モニカはルイシーナの傍に来ようとしたが、ルイシーナが掌を見せて首を振ると足を止めた。
「お口に合いますか?」
ルイシーナは部屋の外から呼びかけた。
男は口の中に入っていた物を飲み込んで、にっこり可愛らしい笑顔を見せた。
「美味しいです! 全部ルイシーナ様が作ってくださったんですか?」
「いえ。わたくしが手を加えたのはドルチェだけで、パンとスープはモニカが用意してくれました」
「そうなんですね。ありがとうモニカさん。ありがとうございますルイシーナ様」
男はそれまで食べていたパンとスープを置いてドルチェに手をつけた。そうして一口食べた途端、感激した様子で顔を綻ばせたのだった。
「すごい! 口の中でほどける! これ、すごく食べやすくて美味しいですね! 初めて食べました! どうやって作ったんですか?」
丁寧に説明してあげると「皆にも教えてあげよう」と頷いた。家族や親類がいなくても感動を共有できる人はいるらしい。
男はドルチェをあっと言う間に平らげ、再びパンとスープに手を伸ばした。どうやら食事は続くようだ。ずっと食事風景を見ているのも悪い気がして、ルイシーナはここらで良い知らせを聞かせて退散することにした。
「父に先ほどのことを聞いて参りました。快く承諾してもらえましたよ」
ぱっとまた笑顔が輝いた。
「わ! 本当ですか!? ありがとうございます」
まるで少年のようだ。年上の男に抱く感想ではないだろうが、無邪気に笑う姿は可愛らしい。ここで働きたいと言われた時はいきなりで各方面様々な不安があったけれど、杞憂に終わりそうだ。
「貴方、お名前は何というのですか?」
「ベルナルドです」
「明日からよろしくお願いしますねベルナルド」
「こちらこそよろしくお願いいたします!」
こうして名も無き怪我人だった男、ベルナルドは、トーレス家で働く侍従になった。
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