第4話 光と穢 3

 【光の大集会】は間もなく閉会を迎えた。


 ルイシーナは段上を降りて司祭に礼を述べ、カルロスとアデライアに合流した。


 父親であるカルロスは、黒々とした黒髪の恰幅の良い男である。


「大事は無かったようだな。お前は気が弱いから、あんな老人が現れて驚いただろう。アディがいて良かったな」


「父さんが行ってくれれば良かったのに」


「俺が行くよりお前が行った方が演出になるだろう」


「大した演出家だわ」


 二人は酒気を帯びた匂いを漂わせながら先を歩いていった。ルイシーナが返事をしなくても、会話には滞りが無い。だからルイシーナはいつも口を閉じて二人の傍にいるだけだ。


 集会堂の外には修道士たちが並んでおり、三人の姿を見とめると首を垂れた。いつものことだが慣れないルイシーナは小さくなって修道士たちの前を通り過ぎ、待機させている馬車の元へ向かった。


 馬車は二つあった。一台で来れば良いものを、アデライアが車内で膝がぶつかるのを嫌がるので三人以上の時は二台で行動していた。


 カルロスとアデライアはすでに馬車に乗り込んでおり、ルイシーナを待たずに馬を走らせていた。ルイシーナが慌ててもう一台の馬車に乗り込むと、馬車は二人の乗った馬車を追いかけるように石畳を進んだ。


 大通りは道が混んでいるのか頻繁に馬が停まった。


 何処を見るでもなく窓の外に視線を投げて考える。ルイシーナが考えているのはもちろん集会場に現れた【穢】を持った老爺のことだった。


 人は生まれながらにして【光】や【穢】を持つ。人口の三割が【光】を持って生まれ、三割が【穢】を持って生まれ、残りの四割は母親の腹の中で【光】も【穢】も落として生まれてくると言われている。身体が発光する【光】を持つ者は清く正しく人を導く存在として崇められており、あらゆることを優遇される代わりに教会に属し奉仕をする。教会以外で発光してはならない規律もあった。対して腐った物を吐き出す【穢】を持つ者は天罰が下った醜い存在だと蔑まれ、自警団や兵士に捕まると【塵捨て場】と呼ばれる収容所に入れられる。そして奴隷として一生過酷な労働を強いられるのだった。


 首都マレスリードの中央部から長い橋を渡った小島に【塵捨て場】は存在する。


 塵捨て場は分厚い煉瓦の壁に囲まれており、たった一つの出入り口は重い鉄の門に塞がれている。周囲は常に兵士が見回り、門には二人の屈強な兵士が立つ様はまさに監獄。中では【穢】を持った人物が昼夜を問わず無償労働をさせられていて、環境は劣悪。食事も休憩も充分に与えられず、そこかしこに腐った異物が散らばっていると聞く。また、一度入ったら出られないとも言われており、長い歴史の中で脱走を許したのは十数年前のたった一回。それも脱走者は一週間足らずで皆殺しにされてしまったそうだ。


 本当にそんな場所にあの老爺を連れて行ったのだろうか。劣悪な環境にも過酷な労働にも耐えられなさそうな老爺を?


 窓の外へ視線を投げようとしたらガラスに映った仮面の女と目が合った。


 どうしてお前は老爺を追い出す者たちを止めなかったの? どうして助けてやらなかったの?


 窓に映る仮面の女に問いかけた。


 すると突然、走っていた馬車が急停止した。


「きゃあ!」


「うわぁ!」


 御者の叫ぶ声がして、馬の蹄が石を蹴る音が響いた。


 馬車の揺れが収まってからルイシーナは何があったのか確かめに車から降りた。


 馬の前に人が転がっている。ドッと心臓が嫌な音を立てた。


 ルイシーナは急いで倒れている人間の元へ駆け寄った。


 肉付きの悪いひょろ長い体躯と癖の強い長い黒髪。みすぼらしく汚れた衣服をしている割に、繊細な顔の造りをした男だった。長いまつげ、下唇の厚い魅力的な唇に高い鼻梁、整った輪郭。頬が腫れて唇が切れているけれど、造形が良いのは変わらない。


 声をかけて男の身体を揺さぶったけれど反応が無い。


「ぶつかったの?」


 御者は首を振った。馬には蹴られていないようだ。


 安堵したルイシーナの頭の中に、この男を助けてやらなければという義務感が芽生えた。なんてことはない。助けられなかった老爺の代わりだ。胸をじくじく蝕む罪悪感を少しでも拭い去るための逃げ道だった。


 しかし人を助けたことが無く、応用力のないルイシーナにはこの先どうすれば良いか分からなかった。


 もたもたしていると周りの人間が気づいて騒ぎ始めた。


「おい、あの方は奇跡の煌女様じゃないか?」


「まぁ本当だわ!」


「すごい! 初めて見た! 本物だ!」


 あっと言う間に人だかりができた。


 ルイシーナは集まって来た人にどうすれば良いか尋ねようとした。ひょっとしたら聞かなくても見かねた誰かが知恵を授けてくれるのではないかとさえ思っていた。けれど人々は倒れた男ではなく、ルイシーナを見ていた。


「煌女様! 握手してください!」


「私にも【光】をください!」


「煌女様!」


 懇願する人々にルイシーナは混乱した。助けてほしいのはこちらなのに、どうして【光】を求めるのか。皆が己を見る目が怖ろしくなって、ルイシーナは倒れた男を抱いて頭を下げていた。そこへアデライアがやってきた。


「ちょっと姉さん! 何をしているのよ!?」


 民衆はアデライアに気づくと「アデライア様だ……」「なんてお美しい方なんだ」「煌女様を二人とも見られるなんて」などと呟きながら退いた。


 アデライアは民衆を無視してルイシーナの脇に仁王立ちした。


「そんなところで座っていないで帰るわよ。早く立って」


 脇を掴んで引っ張ってくる。ルイシーナはぐっと力を入れて精一杯抵抗した。


「待ってアディ。この人意識がないみたい。助けてあげなければ」


「助ける? そんなの……」


 アデライアは言葉を切り、ちらと周りを確認してから膝を折った。


「……そうね。可哀想な人を助けてこそ、私たちだわ。屋敷に連れ帰って介抱してあげましょう」


 にっこり、天使のように笑いかけるアデライア。


 民衆はわっと湧いた。


「すごい! さすがアデライア様だ!」


「煌女様って身も心もお美しいのね!」


「煌女様万歳! 万歳!」


 盛り上がる民衆にアデライアは手を振って応えた。


 ルイシーナは横たわった男の頭にそっと顔を寄せて声をかけた。


「良かった。貴方、アデライアのおかげで助かったわよ」

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