第21話
虎珀の訃報を暗冥の世界に集まって開口一番に告げられた和奏は、驚愕で開いた口が塞がらなかった。なんて、と訊き返しそうになってしまって、寸前で止まる。兄が死んだという知らせを二回も言わせるなんて、あまりにひどいと自分で思ったからだ。
「どうして……虎珀は、死んではなかったんだろ?」
美蘭は心底から困惑していることを表情に出していた。
虎珀は、陽波を殺した直後は生きていた。ならば、いつ死んでしまったのだろう。植物状態で昏睡していたのに突然目覚めて自殺、という死に方はあまりに不自然だ。暗冥の世界で死んでしまったからそうなったとしか思えない。
しかし、その問いの瞬間に作玖は更に表情を暗くした。
「目覚めたんだ」
「え……?」
「目覚めて、自分で、自殺した」
暗冥の世界の法則は、ルールは、どこまでも歪みない。対象がどのような人間でも、どのような状態でも、いっそ残酷なくらいに。
「……陽波、ちゃんは?」
あの時、『いじめられっ子』に惨殺された陽波は。
頭の中ではわかっている。きっと陽波は、現実の世界では自らの命を絶っていると。けれど、疑問符を浮かべずにはいられなかった。そうすることで、陽波がもう存在しない人間になったという現実を直視したくなかった。
「どうして⁉︎ なんで二人とも死ななきゃならなかったの⁉︎」
思わず、叩きつけるように叫んだ。この世界の惨さに、悍ましさに、恐ろしさに、叫ばないと正気を失ってしまいそうだった。まともな人間としての感性を捨て去ってしまいそうだった。
「……そんなの、このシナリオを書いた人に言ってよ」
冴良が吐き捨てる。不愉快そうに、苛立ちすら滲ませて。その怒気に和奏は一瞬言葉に詰まり、しかしすぐに冴良を睨みつける。『シナリオ』なんて言い方が、気に入らなかった。まるで誰かが意図的にこの結果を作ったようではないか。
「ごめん、言葉を間違えた。……『運命』って言い方の方が、いいかな」
「運命……?」
その運命とやらに、二人は殉じたとでも言いたいのか。彼らが暗冥の世界に来たのも、死んでしまったのも、全てその運命のせいだとでも言いたいのだろうか。暗冥の世界の存在自体、その運命によるものだとでも。
だとしたら、それが本当だとしたら、和奏は運命というものを恨む。
どうして、こんな世界があるの。
慟哭しようとして、それは遮られる。
それは、和奏のものよりずっと小さいけれど、悲痛で、溢れそうな悲嘆を必死に抑え込んだ泣き声だった。
「っく、ぐす……ぅ、ひぐ」
嗚咽を噛み殺しながら、溢れる涙を袖で擦り続けながら、作玖が泣いていた。
家族を失った。しかも助けられるかもしれないと一瞬でも希望を持った家族を。その痛みは想像するに余りある。しかも、つい昨日今日の話だ。心の傷はぐずぐずで血を流し続けているだろう。もしかしたら膿んで腐って血を流すことすらできなくなっているかもしれない。
人を失った痛みは比べられる訳がないけれど、きっと和奏より作玖の方が悲しんでいる。
美蘭が作玖に寄り添って、その背中を撫でた。泣き顔を見られたくないのか、作玖は美蘭の胸に顔を埋める。
「もう、嫌だ……!」
ほんの数日間にあった出来事で、作玖のまだ幼い未成熟の心は限界を迎えた。
兄が植物状態となった理由に相対し、憎いとはいえど知り合った人間が惨殺され、兄の死体を目の前にした。
凄惨なものを短い間に立て続けに見続けてきて、精神が疲弊するのは当然だ。それにとうとう限界がきた。積載量を超過した。それだけの話だ。
「もう嫌だって、どういう意味?」
冴良が目の色を変えた。黒鳶色の瞳が、ぞっとするほど温度をなくして、作玖の姿を覗き込む。真っ黒なビー玉に映り込んだような、魚眼に歪んだ己の姿を作玖は見てしまう。
「どういう意味?」
答えに詰まった作玖に、冴良は再度問う。追い討ちをかけているようだった。
「さ、冴良ちゃん……?」
「おい、どういうなんだよ」
美蘭が一歩前に出て作玖を背に隠しながら、美蘭が冴良を睨みつけた。鋭い視線に、しかし冴良は物怖じする素振りすらない。
「そのまんまの意味。もう嫌だって、死にたいって意味なのか、ここから逃げたいって意味なのか」
その問いの意図に、和奏は気がつく。もし作玖の発言にある含意が前者だったのなら、それは危ういことだ。希死願望を抱いた果ての姿が、あの陽波の無惨で原型すら残さない哀れな死に様なのだから。
あのように、作玖もなってしまったら。想像することすら憚られる。考えたくもないと、和奏はそこで思考をストップさせた。
「死にたいの? 生きたいの?」
詰まるところは、そういった質問なのだ。
作玖は美蘭の後ろで、目をぐるぐると回している。混乱している。自分でもその答えがわかっていないことが顕著に表れていた。
ふと、その瞳の焦点が定まって。
その瞬間、作玖は自分の口元を抑えて床に座り込んだ。
作玖は、気がついてしまった。
自分がずっと死にたくて死にたくてたまらないことに。
「作玖……?」
美蘭が不安げな瞳で作玖を見つめる。その視線が煩わしくてこの上ない。そして、そう思ってしまった自分に対して作玖は強烈な嫌悪感を抱く。
「……」
冴良が、不思議そうな瞳で作玖を見ていた。和奏は驚きつつも、どこか納得が含まれている目だ。無理もない、と思っているのだろう。
自分の感情に気がついた瞬間、同じ言葉が脳内をリフレインする。
死にたい、死にたい、死にたい、と。暗示のように。呪いのように。
暗鬱とした感情、特に希死願望は暗冥の世界においては格好の餌だ。陽波が死んだように。
「しに、たい」
思っていたことがぽつりと言葉になって唇から滑り落ちた瞬間、空気が変質した。図書室を白く照らす蛍光灯が不安定に明滅した。カーテンの隙間から、赤黒い光が漏れ出す。
百足を想起させる数の手が、床から一斉に生えのびた。和奏達には見向きもせず、一直線に作玖に向かって。
何かを渇望するように、必死に作玖を掴む掌。
「っ、作玖くん!」
冴良が焦った声を出して薙刀を振るうも、数が多すぎて一薙ぎでは消えない。手に取り囲まれた作玖が、ヒッ、と引き攣った悲鳴をあげる。
「作玖っ……!」
美蘭が手を伸ばした。作玖は呆然と、赤く染まっていない生きた者の手を見て、
そして、乱暴に叩き落とした。
「……は」
肌と肌がぶつかり合う、乾いた音が脳内で反響する。叩かれた痛みは、そのまま拒絶された痛みだ。
作玖は、虚ろな漆黒の瞳で美蘭を一瞥して。
そのまま、地面から生えた赤い手に体を預ける。
床が歪む。波紋のような模様が広がり、同時に軟体化して沼のようになった。ズブズブと、作玖の体がそこに沈む。
「まずっ……!」
冴良が更に焦って薙刀を振るが、倍の数の赤い手が更に床から表れて作玖の体を包み込み、覆い隠してしまった。
最早無数の手を繋ぎ合わせた上から赤いペンキを振りかけたかのような物体と化したそれは、手ごと床に沈み込む。質量を増したからかその速度は早くなった。冴良、美蘭、和奏。三人ともが引き留めようと手を伸ばすも、それはあまりに遅く。
とぷん、と床に波紋が広がる。
それを最後に床はいつも通りの硬さを取り戻し、沈黙した。
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