第10話
その日もまた、和奏は暗冥の世界に訪れた。そしてすぐに、異変に気がつく。
怖くないのだ。
暗冥の世界が、普通の学校かと思ってしまうくらいに普通の世界になっている。窓から差す夕日は赤黒さはなく、橙色の柔らかな光だ。廊下も老朽化はしているものの不気味な雰囲気はなく、夕暮れの公立高校といった風情だ。
廊下などの構造が和奏の高校とは違うので、暗冥の世界だとは辛うじてわかる。しかし、それだけだ。全く別の学校に転移したと言われたならば納得してしまうだろう。
困惑して右往左往していると、「おーいっ!」と廊下の向こうから陽波が走りながら手を振ってきていた。その後ろには虎珀と美蘭もおり、図書室外であるにも関わらず冴良以外の全員が集合した。
「和奏ちゃん、これなに? 何が起こってるの?」
陽波もこの状況の原因がわかっていないようで、困惑が表情に出ていた。他二人も同じだ。
「これ、暗冥の世界……なんですよね」
「それは間違いないと思うぞ。ここには俺たちしかいないし。職員室なんかも覗いてみたけど、誰もいなかった」
「怪異もいなかったんだ。こっちに触れてこないのなら今までいたけど、全くいないのは初めてだ……」
人の気配がなければ、怪異の気配もない。四人以外の人間が一切消え失せてしまったかのようだ。
「さらちゃんは?」
問うたのは陽波だった。ここには冴良の姿だけない。彼女は無事だろうか。
「ひとまず、図書室に行こうぜ。冴良も先に来てるかもしれない」
美蘭の一言に全員が頷く。数分間周囲を警戒しながら歩いたが、やはり自分たち以外の気配は皆無だった。
図書室には、美蘭の予想通り冴良がいた。しかし、彼女は平静とは言い難い状態だ。
冴良は、明らかに動揺していた。窓の外を眺めて、その様子に瞠目し、小刻みに震えていた。黒鳶色の瞳はぐるぐると渦を巻いており、絶えず思考が繰り返されているようだ。
「冴良ちゃん……?」
呼びかけると、彼女は数瞬の間を置いて緩慢にこちらを見た。最早恐慌に近かった混乱の色が、少し薄れる。
「みんな……学校の様子は、見た?」
「見た。どう言うことだ、冴良。何が起こってる?」
美蘭が一歩歩み出て詰問した。冴良は口をまごつかせて、答えに窮している。それはしかし、答えがわかっていないという様子ではなかった。彼女は絶対に何かを知っていると、和奏は不思議と確信する。
問いを黙殺しようとする冴良の顔を、和奏は覗き込んだ。
「どういうこと?」
優しく、けれどもどこか強制的に感じる声音で促した。冴良はぐっと喉に何かを詰まらせたような音を出して、唇を開いては閉じることを数度繰り返す。
そして、ようやく決意したように口を開き。
「今日は……多分、和奏さんの日だよ」
そうとだけ言って、また口を噤んだ。
「私の……?」
おかしいと、すぐに思った。
だって、和奏は自他共に認める臆病者だ。様々なものを恐れ、様々なものを怖がる。そしてそれを、彼女自身が強く自覚している。
そして、この暗冥の世界は人が恐怖しているものを形にする世界だ。つまり、和奏が恐れているものを顕現させている。だと言うのに、この暗冥の世界は今や恐怖のない世界に変貌している。どういうことだろうか。
それきりすっかり閉口してしまった冴良に少なからず不信感を覚えながら、それぞれが散り散りになる。和奏はずっと扉の窓から廊下の様子を眺めていたが、怪異が出現する様子も風景が不気味に変貌することも、ついぞなかった。
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