第2話 刻ノ時

「芥川大輔、お前に選択肢はない。」


空が裂け、彼の体が歪んだ空間に引きずり込まれる瞬間、謎の男――「時守」の声が頭の中に響いた。意識がぐらつく中、大輔は必死で抵抗しようとしたが、全身が重く、動けない。それはまるで無限の圧力に押し潰されるような感覚だった。

目を開けると、そこは――現実ではなかった。灰色の空に、黒い月が浮かんでいる。地面は何もない無機質な空間が広がり、どこまで続いているのかさえわからない。風も音も、何も感じない。目の前にはただ、異様な静寂が広がっていた。

「ここは……?」

自分の声が響かない。大輔は周囲を見回すが、どこにも人影は見当たらなかった。それでも確かな感覚として、この場所が「刻ノ時」であることを理解していた。この異空間は、通常の時間の流れから隔離された場所――そして自分が刻竜の能力を使うために強制的に引きずり込まれたのだ。

「何が起こっているんだ……?」

そう独りごちた時、不意に背後から気配を感じた。振り返ると、黒いローブを纏った影が現れていた。顔はフードで隠れているが、鋭い視線だけがこちらを貫いてくる。

「芥川大輔、ようこそ『刻ノ時』へ。」

その声には、どこか冷ややかな響きがあった。大輔は身構えながら、相手をじっと見つめた。

「お前は……さっきの男か?」

「そうだ。俺は『時守』。時を操る能力者を監視し、その運命を見守る者だ。お前のような刻竜の使い手が、過去に干渉し過ぎぬように、な。」

「干渉……し過ぎぬように? 俺は何も……!」

大輔が声を荒げようとするも、時守は冷静な口調で続ける。

「お前はすでに一度、過去を変えた。そしてその代償として、大きなものを失った。忘れたとは言わせない。あの日、何が起こったのか。」

大輔の脳裏に、過去の記憶がよみがえった。彼が初めて刻竜の能力を使ったあの日。最初は好奇心から、少しだけ過去を変えてみようと思った。だが、その一瞬の選択が、取り返しのつかない出来事を引き起こした。


五年前のあの日。


中学生だった大輔には、大切な友人がいた。彼女の名前は「由香」。優しくて、どこかおっとりとした性格の由香は、いつも大輔の隣にいた。彼女はクラスの人気者ではなかったが、大輔にとっては唯一心を許せる存在だった。そんな彼女が、ある日突然、交通事故で命を落とした。

「もし、あの日、止めていれば……」

そう思った大輔は、初めて刻竜の力を使った。時を逆戻しし、由香を救おうとした。しかし、結果は最悪だった。彼は確かに過去を変え、由香を救ったものの、その代償として別の友人が命を落としたのだ。

「お前はその時、刻竜の力の本質を知ったはずだ。過去を変えることには、必ず代償が伴う。すべての出来事は繋がっており、簡単に変更することはできない。」

「……それでも、俺は……」

言葉が喉に詰まる。大輔は拳を強く握りしめながら、過去の自分の愚かさを噛みしめていた。あの日の後悔と罪悪感が、今もなお彼の心に重くのしかかっている。自分には過去を変える資格なんてない。それを知って以来、大輔は二度とその力を使わないと誓ってきた。

「だが、お前は再びこの力を使うことになる。それが運命だ。」

時守の言葉は冷酷だった。大輔は震える拳を握りしめたまま、彼に睨みつける。

「俺は、もう過去を変えるつもりはない……!」

「そう言っても、逃れることはできない。『刻ノ時』が現れた以上、お前はその運命に逆らうことはできない。」

時守はそう言うと、手を軽く振り上げた。すると、周囲の空間が変化し、目の前に光の柱が立ち上がった。大輔はその光景に目を見張った。

「これは……?」

「『刻ノ時』の扉だ。ここから先は、過去と未来が交差する場所。お前の力を使い、閉じ込められた人々を救え。さもなくば、時空そのものが崩壊し、世界は破滅を迎えるだろう。」

「救え……だと? そんなこと、できるわけが……」

「お前はすでに見ただろう? 空の歪み、そして閉じ込められた人々。お前の周りの人間が一人、また一人と『刻ノ時』に引きずり込まれていく。あれは始まりに過ぎない。」

大輔はその言葉に息を呑んだ。確かに、自分が目撃した異変は現実のものだった。空が裂け、特定の人物が光の中に飲み込まれていった光景。それが「刻ノ時」の影響だというのなら、時守の言葉にも一理ある。だが、それを認めるわけにはいかなかった。

「それでも……俺にはもう、過去を変えることはできないんだ……!」

大輔の叫びが虚しく響く。だが、時守はその言葉に微動だにせず、ただ冷たく言い放つ。

「ならば、お前の無力さを自ら知るがいい。」

その瞬間、光の柱が大輔を包み込み、彼の意識が再び引きずり込まれた。視界が真っ白に染まり、彼の体が宙を舞うように感じた。気づけば、彼は違う場所に立っていた。

――そして、彼の目の前には、泣き叫ぶ少女が一人、倒れていた。

「由香……?」

目の前の少女は、五年前に失ったはずの幼なじみ――由香だった。彼女は恐怖に怯え、目の前で何かを叫んでいたが、その声は大輔には届かない。彼女の周りには、無数の時計の針が宙に浮かび、時を刻んでいた。

「なんだ……これは……?」

大輔は震える手で時計の針に触れようとするが、彼の手はすり抜けてしまった。まるで幻を見ているかのように、彼の体は何も干渉できない。

「これが……『刻ノ時』の真実か?」

絶望感に打ちひしがれながら、大輔は必死に周囲を見渡すが、何の答えも得られない。ただ目の前には、救うことのできなかった少女の姿があるだけだった。

「俺は、どうすればいいんだ……?」

大輔の心に、再び後悔と絶望が襲いかかる。そして、その瞬間、時守の声が再び響いた。

「お前が本当の意味で力を使う時が来た。過去を乗り越え、未来を選ぶのだ。」

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