第6話 ヴァタウ 1

「タルサリアの王子を篭絡せよ」


 軍団長としてスワルタリア第三軍団を任されている私に、場違いとも思える命令が下った。命令を下すのはスワルタリア属州総督アウグスト・エタニスだった。



 この男とは裸の付き合いがあった。とは言え、これまで私の貞操を許したことはない。今だ亡き夫の物であったのはひとえに、鍛え上げたこの体と『戦士』の祝福故だった。


 この男は属州の全軍を率いて我が故国を襲った。我が夫は国の戦士たちを率い、勇猛果敢に戦い、そして散った。もはやこれまでと、私は戦える者をかき集め、少数でエタニスの居る本隊を側面から奇襲した。


 いくら奇襲とは言え多勢に無勢、斬っても斬っても次から次へと湧く軍団兵。ただそんな状況にも拘わらず、いつしか私は嬉々としてあぶらまみれ、敵の血で喉の渇きを潤すことに悦びを見出していた。軍団兵たちは恐れおののき、ついに私はエタニスの目前まで辿り着いたのだ。


 エタニスは泥濘の上を逃げまどい、這いまわり、小便と糞を漏らしながら震えあがっていた。私はこんな惨めな男をこれまで見たことがなかった。私はその可笑しさに、手にした斧を下げ、大笑いしていたのだ。何故かその後、私はエタニスに帝国の属州民として誘われ、軍団を任されることとなった。


 この男は何度も私を襲った。殺そうとして……ではない、女としてだ。しかし、私は軍団を任されたのであって妾として雇われたわけではない。風呂に投げ込み、床を這いつくばらせて踏みにじり、時には鞭で打ったこともある。その度にこのだらしない身体の男は、悦びを湛え、感謝の言葉を告げた。正直、気味の悪い男であった。



「タルサリアの王子はまだ幼子ではないのか?」


 確かタルサリアの王の子は皆死んで、今は幼子が一人だけと聞いていた。


「その王子ではない。先代の残した王子だ。知らぬか? 未だに王子と呼ばれておるし、今の王もそれを許しておる」


「ふむ。……だが私にそのような器用な真似ができるとでも?」


「ヴァタウよ……お前は十分に魅力的だ。大勢の女を見てきた儂から見ても、属州でも、いや帝国でも一番、二番の女だ」


「くだらない世辞は聞き飽きた、エタニスよ」


「アウグストと呼んではくれまいか」


「断る」


 そう言ってやると男は身悶えした。


「良いのお、その儘ならぬところが」


 心底気味の悪い男だった。


「――実のところ、既に女は送り込んだ。だが、不能か知らぬが誰も篭絡できないでおる」


「男色か?」


「確かにいくらか女顔で顔は良い。女の将官があれだけ居ると言うのに周りに男を置くことも多い。ただ、許嫁と噂されるエイリス嬢は見る目麗しい淑女だ」


 フッ――と鼻で笑った。


「淑女か。この世にどれだけの淑女が居るものか……」


「少なくともタルサリアから招いた女の半数は淑女であったぞ」


「馬鹿馬鹿しい! 貴様のような男に股を開く女のどこが淑女か!」


 このような気味の悪いことを言う男から狙われたタルサリアに、私は同情を禁じ得なかった。


「――タルサリアを手にしてどうするつもりだ」


「タルサリアは魔剣を産する。だが、あれらは魔剣を国外には持ち出さぬ。ならば国ごと属州へ取り込めば、スワルタリアの軍団は帝国最強の軍団となり、高地ハイランドも平定し、次代こそはこの私が皇帝に選ばれようぞ」


 この男の野望には興味があった。私は亡き夫のためにも、亡き国のためにも名を上げて、私と言う存在を世に知らしめたかった。


「よかろう。私が篭絡できるかはわからんが、タルサリアを手に入れた暁には、私にさらなる強大な軍団を任せてくれよ」


「ああ、お前ならすぐにでもタルサリアの王子を地に這いつくばらせ、靴を舐めさせることもできよう」


 なるほどそれも悪くない――そう返した私はタルサリアへと赴いた。







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 一応このおっさんズ(心におっさんを飼っている)は、淑女=貞淑な女=処女ということで会話をしています。


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