一章

第1話 王弟殿下

 私は兄である先代のタルサリア王の元、王を支え続けてきた。長く王弟殿下などと呼ばれてきた私は、王が私の息子へと変わった今でも王弟殿下などと呼ばれる。先代の王の時代を懐かしむかのように。


 私は王位を直接息子へと譲り、継がなかった。旧王都が滅んだとき、兄が魔族に討たれたとき、その最後の一粒種ひとつぶだねであるアイゼ王子が魔族に連れ去られたという目撃を信じ、前線に立ち続けたかったのだ。


 前線を押し上げ、ついに王子を取り戻した時は既に4年近い月日が流れていた。



 ◇◇◇◇◇



「ゆぅとろわ、るはうぐるぃ?」


 鼻に掛かるような音や痰を吐こうかと言うような不快な音、時には唇を震わせるような音を交え、魔族の言葉を話すアイゼ王子に私も、そして周りの誰もが困惑した。7歳になってすぐに魔族に攫われた王子は魔族に育てられ、すっかり人の言葉を忘れてしまっていたのだった。


 ただ、素行が魔族のように乱暴なわけではなかった。

 常に落ち着いていて腹が減っても騒ぎ立てることなく、我々の言葉に耳を傾け、食事こそナイフ一本しか使わなかったが、姿勢正しく静かに食べていた。



 ◇◇◇◇◇



「オークの言葉なんだって!」


 城の侍女の娘であったエイリスはアイゼ王子と同い年で、小さい頃から王子の遊び相手として傍に置かれていた。王都が落ちたときは偶然都を離れていたため無事だったが、アイゼ王子が捕らわれたと聞いて私と同じく酷く胸を痛めていたそうだ。それから彼女は剣の腕を上げたらしい。


 そのエイリスが戻ってきたアイゼ王子に付きっきりで面倒を見、辛抱強く言葉を交わしていた。そして今、侍女である母親にそう話しかけていた。


悪鬼オークだと!?」


 私はエイリスとその母親の会話に割り込んだ。


「はい、殿下。アイゼ……アイゼ王子殿下が、お、おっしゃるには……」


「よいよい。王子の事は普段通り話してよい」


「は、はい、殿下。ア、アイゼは私たちの言葉は分かるそうです。オークの言葉しか喋れないだけで。オークは魔族デオフォルではなく、冥府アビスの誇り高い種族なのだそうです」


「馬鹿な! 悪鬼オークは女を捕らえて犯す野蛮な存在だ!」


 ひっ――私が声を荒げたことでエイリスは怯えた。私は無礼を詫び、話の続きを促した。


「オークはもともとアイキという種族だそうです。オルクスという魔族デオフォルの『祝福』で呪われているのだそうです。その呪いがオークをそのような行動へと突き動かすのだそうです」


「呪いか……」


「その、アイゼも魔族の祝福を受けたと……」


「なんだと!?」


 私はエイリスと共にアイゼ王子から話を聞いた。王子はエイリスとの会話で少しずつ人の言葉を取り戻していった。王子は囚われていた間、オークの族長に育てられていた。その中でオークたちの言葉を覚え、彼らを理解していったと言う。


 アイゼ王子はまた、我々が『魔族』と十把一絡じっぱひとからげにしていた存在について詳しく教示してくれた。魔王ダイナストに支配された異界の高位存在が魔族デオフォル魔族デオフォルが使役する異界の存在がエルフやオークなのだそうだ。


 我々が『魔族』と呼んでいたその多くが使役された存在だった。そしてそれらの使役された存在は魔族デオフォルの影響を大きく受け、さらには複数居る魔王ダイナストの性質が魔族デオフォル全体の性質を決めるという。私には到底理解が及ばなかった。


 そして同じオルクスから受けたアイゼ王子の呪いは、王子の成人と共に顕現されると知った…………。



 ◇◇◇◇◇



 アイゼ王子の呪いを解く方法を探し、私は高地ハイランドの蛮族へと辿り着いた。蛮族には呪いを専門とした『魔女』という特異な存在が居り、彼女らの導きで王子は蛮族の信仰する地母神の祝福を受けたのだった。


 呪いの影響こそ無くなったものの、アイゼ王子には君主としての特別な力は何もなかった。我が兄のように『名君』の祝福に目覚めたわけでも無い。エイリスのように自らの努力に依って『剣士』のような祝福を得ることもなかったし、魔術に秀でていたわけでも無かった。ただそれでも王子は努力を怠ることは無かった。戦略・戦術を学び、時には高地ハイランドの蛮族へ、時には帝国属州プロウィンキアへと教えを請いに赴いた。



 ◇◇◇◇◇



 王子が15才の夏、ついに我々は支配的な地位にある魔族の一人を倒し、小さな妖精フェイの氏族をひとつ、解き放った。ゴブリンと呼ばれたその妖精は小さい割に力が強く、とにかく数が多かった。解放と共にそのゴブリンの一氏族は戦場から姿を消した。


 次に倒した有力な魔族はノッカーと呼ばれる穴掘り妖精の一氏族を支配していた。穴掘り妖精は魔王軍に豊富な鉱物資源をもたらしていた。その一部を削いだのだ。


 確かに我々はそうやって魔王軍の力を削いでいたが、魔王軍の抜けた穴は別の魔族がすぐに埋めた。新しく派遣された魔族は以前よりも強力な配下を従えていることも多い。数多くの魔剣を打っても、それを振るう者がタルサリアには居なかった。


 王子は帝国属州プロウィンキアへ協力を願い出た。交渉の甲斐もあり、属州へと赴いたエイリスたちは多くの兵士を貸与され、兵糧などの物資を齎した。それはまた、次々と襲い来る魔王軍を退けるに十分な力だった。



 ◇◇◇◇◇



 王子が16才の秋の事だった。

 魔王軍が引き連れてきた長蛇ワームと呼ばれた長大な怪物の群れは我が軍に大きな被害をもたらした。それは単純に相手が強かったというだけではない。『祝福』を受けた将官があまりにも不足していたことが大きかった。


 属州から送られてくる兵士たちは訓練こそ受け、砦の建設などは得意としていたものの、戦歴は無きに等しく、ましてや我々の軍のように『祝福』に目覚めた者など居なかった。神々が授けてくれる『祝福』の力は大きい。人知を超える力を発揮し、怪物どもを薙ぐ。


 我々はそれらの将官を戦闘で失ったわけではなかった。女性将官がたびたび属州総督府に戦況の報告に呼ばれ、不在が重なったのだ。さらには将官の総督府滞在が長引き、戻ってきたとしてもエイリスのようにアイゼ王子に対して余所余所しくなる者も居た。そのためもあって我が軍には属州総督の悪い噂が流れるようになった。



 ◇◇◇◇◇



 王子が17才の春。女性将官の不在が続く中、属州総督府へ赴いた高地ハイランドの聖女様が帰ってこなくなった。こちらから聖女様の帰還を要請しても総督府からは本人の希望で滞在されているとしか返ってこなかった。


 そんな中、事故は起こった。少数の精鋭を連れて前線の偵察に出ていた王子が魔王軍に捕らえられてしまったのだ!

 普段であれば『祝福』を授かった精鋭たちが魔王軍の雑兵に後れを取ることなどありえないのだが、その時は相手が悪かった。魔術を使うエルフの一団に遭遇したのだ。地母神の力で常に王子を守り続けた聖女様が不在だったことも大きい。王子を救えなかった精鋭の話では、有り余る魔力で50尺を超える巨体となったエルフたちに襲われたのだという。


 私は絶望に打ちひしがれるとともに、属州総督府へ全ての将官を即刻送り返してもらえるよう要請した。







--

 本作は主にヒロイン視点で展開されていきます。

 『堕チタ勇者ハ甦ル』と同じ方式です。ただ、あちらは計画的に切り替えてましたが、こちらは気の向くままなので、ある程度まとまって描かれる予定です。

 次回からはエイリス視点です。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る