第18話  疑念の影

怪物の核が破壊され、街に平穏が戻ってから数週間が経った。人々は再び日常を取り戻し、佐々木優の功績は「怪物を打ち倒した英雄」として讃えられ、彼自身も一時は安堵の中でその役割を全うできたことを喜んでいた。


だが、佐々木の心には、依然として不安が残っていた。怪物の核を破壊した時に感じた、何か拭いきれない影のような感覚――それが彼の心にしこりを残していた。


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ある日、警察本部での定例会議の後、佐々木は一人、屋上に立って街を見下ろしていた。人々の生活は平穏そのもので、かつての恐怖が嘘のように消え去っているように見えた。


「本当に…これで終わったのだろうか…」


彼は呟き、街の灯りを見つめた。怪物の脅威が消えたことで、人々は再び日常に戻りつつあったが、彼の心にはまだ、怪物が完全に消滅したとは言い切れない不安が残っていた。


「佐々木さん」


不意に声が聞こえ、彼は振り返った。そこには、対策チームの一員であり、彼の旧知でもある河野直樹(こうの なおき)が立っていた。河野は、髪の毛の怪物との戦いから生き残った数少ない者の一人で、佐々木とはその後も共に多くの任務をこなしてきた。


「河野か、どうした?」


佐々木は微笑みながら、彼に近づいた。だが、河野の表情は暗く、何かを言いかねているようだった。


「少し、気になることがあって…」


河野は口を開くと、何かを考えながら言葉を選んでいるようだった。


「気になること?」


佐々木は彼の様子に不審を抱き、問いかけた。河野は一瞬ためらったが、やがて静かに話し始めた。


「この前、佐々木さんが怪物の核を破壊した時のことなんですが…あの時、タンクの中にあった無数の意識が解放されたって話を覚えていますか?」


「もちろん覚えている。あのタンクには、怪物に取り込まれた人々の意識が閉じ込められていた。そして核を破壊したことで、それらが解放された」


佐々木は頷きながら答えた。河野はさらに続けた。


「それが、どうもおかしいんです。解放されたはずの意識たちが、どこにも確認されていないんですよ。つまり、その後の記録が一切残っていない」


「それはどういうことだ?」


佐々木は困惑しながら河野を見つめた。彼の言っていることが、どうにも理解できなかった。


「意識が解放されたなら、その後どこかに行ったり、何かしらの形で記録されるはずです。例えば、他の人に取り憑くとか、何らかの痕跡を残すとか。でも、全くそれがないんです」


河野の言葉に、佐々木は徐々に冷や汗が流れ始めた。怪物の核を破壊したことは確かだが、解放された意識がその後どうなったのかについては、彼自身も確認していなかった。


「まさか、解放された意識が…またどこかで怪物の一部となっている…とか?」


佐々木は恐る恐る尋ねた。もし、それが本当なら、怪物は完全には消滅していないことになる。河野は静かに頷いた。


「その可能性も否定できません。でも、現時点ではそれを証明する証拠もないんです。ただ、気になるのは、最近いくつかの場所で人々が突然意識を失ったり、原因不明の昏睡状態に陥るケースが増えていることです」


「原因不明の…昏睡状態?」


佐々木はその言葉に耳を疑った。怪物の脅威が消えた今、そんなことが起きているとは思ってもみなかった。


「ええ。しかも、その人たちのほとんどが、以前怪物によって命を奪われた人々の親族や友人だったりするんです。まるで、何かが彼らを狙っているかのように」


河野の言葉に、佐々木の心は凍りついた。怪物は意識の中で生き続け、再びその影を街に忍び寄せているのかもしれない。


「くそっ、まだ終わっていなかったのか…」


佐々木は拳を握りしめ、悔しさを滲ませた。彼が命を賭けて守ったはずの平穏が、またしても脅かされようとしている。


「僕たちにできることは、彼らの意識に何が起きているのかを調べることです。もし、怪物がまだ存在しているなら、それを見つけ出し、完全に消滅させなければならない」


河野の言葉に、佐々木は静かに頷いた。彼らは再び、怪物との戦いに身を投じなければならなかった。


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数日後、佐々木と河野は、意識不明の状態に陥った人々が収容されている病院を訪れていた。病院の一室には、昏睡状態にある数人の患者が横たわっており、医師や看護師たちが忙しなく動き回っていた。


「彼らが、意識不明の状態にある人々です」


担当医師が二人を案内しながら説明した。


「どの患者も、健康だったにも関わらず、突然意識を失い、そのまま昏睡状態に陥りました。脳波や神経系の異常は見られず、外傷もありません。ただ、目覚める兆しは一向に見られないんです」


佐々木は患者たちの顔を見つめた。彼らは皆、安らかに眠っているように見えたが、その表情にはどこか苦痛が滲んでいるようだった。


「ここにいる全員が、かつて怪物に襲われた人々の親族や友人ということですか?」


河野が医師に尋ねると、彼は静かに頷いた。


「ええ、皆さん、怪物の事件で家族を失ったり、心に深い傷を負った方ばかりです。その後、精神的なケアを受けながらも、なんとか生活を取り戻していました。しかし、突然こんなことに…」


佐々木はその話を聞きながら、心の中で何かが軋むような音を感じていた。もし、怪物が彼らの意識に干渉しているのだとしたら、どうやってそれを止めればいいのか――彼には答えが見つからなかった。


「これらの患者の意識を調べることはできますか?」


河野が尋ねると、医師は首を横に振った。


「残念ながら、私たちの技術では意識の中で何が起きているのかを調べることはできません。ただ、患者の脳波は非常に活発で、まるで何かと戦っているかのようなパターンを示しています」


「戦っている…」


佐々木はその言葉に反応し、患者たちの顔を見つめた。彼らは今も、怪物の中で何かと戦い続けているのだろうか。それとも、既に怪物の一部として取り込まれてしまったのだろうか。


「何か、手がかりはないか…」


彼は悩みながら、病室を歩き回った。その時、ふと一人の患者の手元に何かが落ちているのに気づいた。それは、小さなペンダントだった。

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