第24話
「何度も言いますけどね、僕は、何も、知らん」
陽光映画製作株式会社に所属するマネージャー──広東語も英語も喋れないため、今回の香港行きには同行しなかった山田という男性──がマイクを手に押し寄せる記者たちを追い払うのを横目に見ながら、二式は唸るように言った。
「ああいう事件が起きとったのは残念なことやと思うし、被害者の人たちはかわいそうや。せやけど僕は、香港では嫌な目ぇには遭わされんかったし、友だちもできた。いつか、……今回の件で
そのような言葉を長々と口にしたのに、新聞に載ったのは「若きスタア・葛原二式は怪我ひとつなく無事に帰国」というシンプルすぎる一行だけだった。陽光映画製作株式会社から貸し与えられている自室で新聞に目を通した二式はため息を吐き、さっさと新聞そのものを焼き払った。嘘を書かれるぐらいなら、単純に適当な情報を載せられる方がずっといい。これで良かったのだと思った。
二式が陽光映画製作株式会社に復帰し、一日数カ所の撮影所を掛け持ちするという日常に戻った頃、
「野郎、社長室になんか入ったこともないくせにな」
「それってつまり……あんたが伝えたってことか? 逢坂」
「そうは言ってねえよ」
斯くして、東洋のハリウッドこと
「このまま香港から、映画は消える?」
その夜、葛原二式と逢坂一威は京都、祇園にいた。陽光映画製作株式会社の社長と、大阪に本拠地を構える暴力団・東條会会長の会席にそれぞれ同行するよう命じられたのだ。座敷で楽しげに酒を飲む上司たちを他所に、二式と逢坂は別室で煙草を咥えていた。二式が望んだ再会ではなかった。だが、社長に強引に引きずってこられたのだ。「おまえ、香港で東條の若いのに世話になったんやろ」──という言葉とともに。
世話になったというよりは、主に迷惑をかけられていた、と二式は思っている。
「あれ? そういえば二式おまえ、煙草」
「僕やって変わるで、多少はな」
「煙草は……良い変化だとは思えないけどな」
逢坂の苦笑いを無視して、二式は吐き出す紫煙で輪を作る。煙草も酒もろくにやらない、綺麗で気難しい若造、というのがこれまでの陽光映画製作株式会社内での葛原二式への評価だった。だが、この先は違う。母の死を、父の呪いを正面から受け止めて、生まれ変わらなくてはならない。
「消えないだろうよ、映画は──そりゃ確かに
座布団の上にあぐらをかき、ガラス製の灰皿に煙草をねじ込みながら逢坂が言った。黙って紙巻きを咥える二式を横目で見る逢坂は、徳利を持ち上げ、手元の猪口に手酌で酒を注ぎながら彼は続ける。
「今隣の部屋で舞妓と遊びまくってるおまえの会社の社長だって、当分引退はしないだろ? あんなに元気じゃ病気で死ぬってこともなさそうだし」
「ああまあ……そらそやな。音原兄さんが社長のお嬢さんと結婚して、後を継ぐって話もあるし」
「ああ、あん? なんだ……あの熱愛報道は本当だったのか」
「なんやその言い方。わざわざ嘘言う意味がないやろ」
「今度また新しい映画公開するじゃないか、音若ペアでさ。だからその宣伝のために、恋人ごっこをメディアに流しているのかと……」
「逢坂、あんた、ほんまにどうしょもないな。そうやって何もかもを疑ってるうちに
「さあな。どっちでもあるし、どっちでもないよ」
逢坂の気のない応えを耳にしながら、二式は新しい煙草に火を点ける。
(いっそ、日本に招いて──)
いや、そんなのは夢物語だ。
葛原二式は、葛原二式たったひとりを食わせていくのが精一杯の俳優で。
そんな葛原二式に、
メディア相手にはああ啖呵を切ったが、自分は二度と香港には行けない──戻れないのではないかと思うことがある。葛原二式は日本人ではない。かといって、香港の人間でもない。半端者。まったくもってその通りだ。
葛原二式とは、いったい何者なのか。
その謎が解ける日は、未来永劫こない気がする。
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