第18話

 ──1920年代。大陸、上海で姚神狐ヤオシャンフー有限公司の前身である映画製作会社が産声を上げた頃、この香港にも映画製作会社があった。何も驚くような話じゃないよね。日本だって1920年代には幾つもの映画製作会社が誕生しただろう。映画という娯楽は世界中で製作され、観客を集め、大きな金が動く一大産業となった。

 姚神狐ヤオシャンフー有限公司を率いる一族がこの土地に移住してきたのは、一説には1930年代に勃発した日中戦争がきっかけだったと言われている。大抵の人間はその説を信じている。でもね、別の見方をすることもできるんじゃないかな。一族は商売に長けた一族だった。彼らは大陸で映画製作を続けることに限界を感じていた。先見の明があったんだよ。始まった戦争はいずれ終わる。だが、戦争を無事に乗り切ったとして、大陸で今まで通りに、戦前のように、自由に映画を作り続けることはできるだろうか? 一族の作る映画を受け入れていた観客たち──彼らは何も変わらないかもしれない。だが、もっと他の……政権は? 国家は? 一族は戦時中、いわゆるプロパガンダ映画の製作を拒否した。それは、映画製作会社を率いる人間としては正しい態度だったのかもしれない。だが戦後……一族が無事でいられるという保証を自ら放り捨てた、と言っても間違いではないよね。だから彼らは香港に逃げた。大陸を離れて新天地に。それに手を貸したのが、三会會Triadだ。一族、姚神狐ヤオシャンフー有限公司と三会會Triadの繋がりは深い。葛原二式。魈皓空シウ・ホウフン。きみたちが思うよりもずっと、ずっとね。


 ──さて、香港に移住してきた姫一族はまず何をしたか? 彼らは手始めに、。もちろん姫一族が直接手を下したわけではないよ。彼らは黑幫ヤクザではない。商売人だからね。動いたのは三会會だ。ある時は香港で映像製作をしていた人々の手首を切り落とし、ある時は木箱に閉じ込めて高い丘の上から突き落とし、ある時は親族の肉で作った食事を摂るように強要し、ありとあらゆる手段を使って映画製作から手を引かせた。


 だが、姫一族が目を付けた俳優や監督に関しては別だ。死なない程度の加害を行った上で、姫一族の人間が助けに入る。そうして言うんだ、「自分たちは三会會と対等な立場で映画製作を行っている。我々の会社に入れば、あなたにも、あなたの家族にも、これ以上の加害行為は許さない」ってね。唐突に暴れ始めた三会會によって仕事も生活もすべて奪われた人々が救いを求めて姚神狐ヤオシャンフー有限公司になだれ込んだ。そうして彼らは、──香港イチの映画会社として世界に名を馳せるようになる。


 ──ところで、きみたち。どう思う? なぜ三会會Triadはここまで姚神狐ヤオシャンフー有限公司に尽くしたのかな? 姚神狐ヤオシャンフー有限公司の活動を補佐することで、三会會Triadはいったい何を得たのかな? 考えてもご覧よ。姫一族なんていう……確かに映画を作る才能と金儲けの才能を持ってはいるけれど、とはいえそんなに……それほど……殊更特別扱いをする必要のない一族をさ、三会會Triadという巨大組織が全力でバックアップする。その理由は、いったいなんだ?


 ──ヒントを与えよう。大丈夫、私は三会會とをしているだけの情報屋だからね。いざとなったら契約なんて一方的に破棄して、どこか遠く……どこに行っても三会會の支部は世界中にあるとはいえ、私を含めたの繋がりだって負けず劣らず広く強い。どこかの誰かのもとに逃げ込んでしまえば、三会會だってそう簡単には追ってこられないさ。え? このタトゥー? こんなの、上からなんか綺麗な紋様を描いてしまえばすぐに消せるよ。気にするようなものじゃない。それよりヒントだ、若いおふたり。三会會のシノギは日本の黑幫ヤクザと良く似ている。麻薬や武器の密売、人身売買、人殺しに強盗窃盗、それに……だ。


 ──そろそろ結論が見えてきたんじゃないか? 葛原二式、魈皓空シウ・ホウフン。きみたちはもしかしたら三会會に目を付けられるかもしれない。私はこれ以上きみたちに情報を与えることができない。もしその気持ちがあるなら、ふたりで空港に行きなさい。ジェット機に乗って、それこそ……日本にでも行きなさい。黑幫ヤクザと三会會はひどく仲が悪いから、もしかしたら守ってもらえるかもしれない。


 ──命が惜しくないというのなら。撮影所に戻るといい。私は──春天はきみたちを止めることができない。


 ──ただ無事であれと祈っているよ。本心だ。きみたちの行動は、勇気などという美しい感情を動機とするものではない。蛮勇だ。愚かだと思う。でも私は、愚かな若者たちが、結構嫌いじゃない。


 ──ああ、最後に。葛原二式、きみの通訳をしていた女性に対して哀悼の意を示す。彼女は本当に勇敢だった。早くに、きみの正式な通訳担当である逢坂がまともな人間ではないことを見抜き、誰からの助けも得られない若者、葛原二式を自分の手で守ろうとした。ああいう人間から順に命を奪われていく、三会會Triad姚神狐ヤオシャンフー有限公司といった人でなしどもに蹂躙され、搾取されていく現状を私はあまり好んではいない。……だからかな。今夜を最後に、この土地を去ろうなんて思うのは。葛原二式。繰り返しになるが、きみと、隣に立つ彼はあまりにも若く無謀で愚かだ。だが大切なひとの仇を討ちたいという気持ちがあるのなら、私、春はその愚かさを全力で応援する。


 ──無事でいてくれ。そうだな。五十年も経ったら、また会おう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る