第11話
早寝をすると言い張っていた
「こっちはこっちで喋っているが、おまえは勝手に眠れ」
と
「
「それじゃない」
両手の人差し指でツノを模して見せる二式に、
「俺たちにとっての
「遠回しな言い方やめてんか。もっと率直に言うてくれ。結局のところ、なんなん? 日本のオニと、香港の
「ゆうれい」
「
呆気に取られた様子の藍に、
「この日本人と仕事をすると決まった時に、郭女士に幾つか日本語を教えてもらった。メモを貰ったんだ。別にこいつのためじゃない。俺が便利に感じるからこれを参考にしているだけだ」
と、しれっとした表情の
「で、葛原二式。俺の言葉は伝わったか」
「お、おん……
「おばけ? は俺には分からないが……俺たちが死んだ人間のことを、
つまり要するにおばけか、と思いながらも、二式は
「この撮影所には
「
「阿藍、こいつには伏せるような話じゃねえと俺は判断した。口を挟むな」
「で、でも……」
焦りに焦った様子でソファから立ち上がったり座ったりを繰り返している様子の藍を、二式は振り返らない。ベッドに腰を下ろしている、
「その鬼……日本語で言う幽霊の正体は……二十年前に殺された女性?」
「意外と察しがいいな」
薄い口の端を歪めるようにして、
「名は
「
「ああ? なんでそんなこと……てめえ、あの時ちょっと話したことをきちんと覚えてやがる。気持ち悪いな、忘れろよ」
「そっちが勝手に色々話してきたんやろ! ……それで、その」
「ああそうだ」
「その、間違いなく
「そこまでははっきりはしねえが……そもそも、第五撮影所自体がもう二十年間立ち入り禁止状態で、中に入るやつはほとんどいねえからな」
「ほとんど」
反復する二式をいかにも嫌そうな目で見上げた
「てめえなんぞにこの話をしようと思った俺が阿呆だったかもしれねえな」
「何やその言い方。僕の察しが良くて助かるって話やろ。ほとんど、って言うたな。誰や。ほとんどに該当するんはいったいどこのどちら様や。誰が、その封鎖された撮影所に勝手に入り込んで
「誰ってこともねえさ。俳優、スタッフ、それに観光客」
「観光客?」
想定外の言葉にきょとんとして首を傾げる二式に、
「ええっと……うちの会社は観光名所としても有名でね。撮影所内でも一箇所だけ、第二撮影所だけは国内外からの観光客のために解放されてるんだよ」
と藍が注釈を入れる。
「とは言ってもうちの会社と提携してる旅行会社が組んだツアーの一環でしか入ることはできないし……問題の第五スタジオは二階にあるから、そう簡単には入れないはずなんだけど……」
「カネだよ、カネ」
「警備員にカネを握らせて、こう……な?」
「な? って言われても僕にはよう分からんわ。なんで
問い掛けに対し、
表紙の色褪せた、しかし保存状態の良い雑誌だった。二十年前の──映画専門雑誌。現在で言うところのアイドル雑誌とでも言えば分かりやすいだろうか。表紙には爽やかな笑顔を浮かべる柄シャツ姿の男性と、白いワンピースに身を包んだ若い女性。ぺらぺらとページを捲って進んでいくと──
「……
彼女はもうこの世にいない。
「綺麗だろう」
二式には、黙って頷くことしかできなかった。
「家族で香港に渡ってきて、うちの会社に所属することになって。最初に表に出たのがその雑誌だと、俺も母から聞いた」
「お母さんから……」
「だが、動いて喋る紅花姐姐(姉さん)の映像は残されていない」
「映画の製作が始まる前に……殺されてしまった、から?」
「ああ」
生きていれば四十代半ば。きっと、現在の
「この……
「そうとしか考えられん。葬儀を終えた後第五撮影所には祈祷師に入ってもらい、すべてのセットを撤去した後幾つものお札が貼られている──というのはまあ、俺も母親から聞いた話で、実際に見たわけじゃねえが……」
「……」
逢坂が──今どこで何をしているのかが分からない逢坂一威が。警察官に囁いた言葉のうちのひとつ、「
「てめえのスカスカな脳味噌でも理解できたか? リテイク十回」
「やかましわ。おまえとの共演シーンでは一発OK出したるからなこんクソが」
「ああ?」
「なんや? 喧嘩売ったんはそっちやぞ?」
「まあまあまあまあ!」
二式の背中の向こうから大声が響いた。睡眠を妨害され続けている
「空哥も阿二も……大事な話はそれだけじゃないでしょう」
「阿馬、おまえ寝なくて大丈夫なのか?」
「空哥と阿二が大声を出しているあいだは眠れません!」
「てめえ。おい、俺の後輩が困ってるだろうが」
「だからなんで全部僕の責任になるんや。こんな時間に乗り込んできたんはそっちやろ!」
「春天」
次に声を上げたのは、李藍だった。
「……ってどういう意味ですか、空哥」
「ああ」
灰皿に煙草をねじ込み、
「声が聞こえたわけじゃねえ。だが、くちびるの動きから察するに『春天』と『
「春天っていうんは……?」
「普通に考えれば季節の『春』だ。日本語の『はる』」
「普通に考えなかった場合は?」
無精髭の浮いた顎を撫でながら、
「……
──できれば、耳にしたくない響きだった。
「そういう名前のめちゃくちゃ大きな組織が存在するって話だけは、逢坂さんから聞いたけど」
二式の言葉に、
「たとえば葛原二式、おまえたちの国には
「……何て?」
「ああ……ヤクザ、ヤクザだ」
郭からもらったという紙を見ながら、
「国中にいったい幾つの組織があるか、てめえ把握してるか?」
「ええ……? そんなん急に言われてもなぁ。僕、ただの役者やし」
「ただの役者でも、ヤクザと繋がりを持っている人間はいるだろう」
「それは……」
「
断言され、決して広くはない部屋に嫌な沈黙が落ちた。藍の顔色が見るからに悪くなり、情は布団の中に頭ごともぐり込もうとしている。
「ひ……ひと、つ?」
絞り出すように尋ねた。
「三会會を名乗る組織はたったひとつ。所属人数は分からない。一応は香港を拠点としているが、活動範囲は全世界。もちろんてめえの国、日本にも三会會の人間は潜んでいる」
「ちょっと……急すぎる……」
「春天というのは」
「誰も顔を見たことがないと評判の、三会會幹部の通称だ」
「は──」
返す言葉が見当たらない。
それは、つまり、どういう。
警察官たちを「春天」のただひと言で追い返してしまった逢坂一威はいったい。
そして鬼。
幽霊と三会會。
「葛原二式」
「てめえの心配をしているわけじゃねえ。ただ、てめえの通訳は、あまり信用できる人間じゃない」
「……」
「今後通訳はすべて郭女士に頼め。部屋は移動しろ」
「ど、どこに」
まだ香港に辿り着いて三日──頼れる人間は、逢坂以外に心当たりがない。
「俺の家に来ればいい」
「はあ!?」
「あ、そういえば」
布団の中からぼそぼそと馮情の声がした。
「哥哥は寮住まいじゃなかったですもんね……」
「ああ。日本人ひとり隠しておくぐらいの部屋はある」
そういうことになった。
なってしまった。
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