嘘の解

「無理だよ、訴えたってなんにもならないもん。っていうかもう接点を持ちたくない。お母さんと関わるとロクなことにならない。絶対にお兄ちゃんを近づけたくない」


 苺果ちゃんは悲痛な表情をしていた。


「顔を合わせるのが、怖い……?」


「うん、怖い。おばあちゃんは、お兄ちゃんが一緒にいてくれたから耐えられるけど、お母さんは多分……耐えられない……」


「こんな事実を知った僕のほうが耐えられない」


 苺果ちゃんが口を薄く開けたまま、固まる。


 再び言葉が発せられるまで、少しの時間があった。


「…………嫌いに、なっちゃった? 私のこと……お兄ちゃんも見捨てる?」


「見捨てるわけない」


「やだ、見捨てないで……」


 感情がいっぱいいっぱいになってしまったのだろう、苺果ちゃんは膝から崩れ落ちた。涙が滂沱と零れ落ちる。

 僕は日記を放り出して、苺果ちゃんを抱きしめて支えた。


「お兄ちゃんにまで見捨てられたら、私、もう生きていけない。耐えられないよ、あともうこんな人生が、何十年と続くの……無理だよ、もう十分だよ……」


「うん」


「あのね、あのね……中学の時は一番地獄だったけど、高校はそんなでもなかった。なんとかお母さん経由じゃない客見つけて、お母さんから逃れて百万貯めて、東京にマユと二人で出たの。そっからは、超天国だった。体売らなくていいし、デパスもらってラリったり、マユと昼も夜も遊んで……」


「うん」


「マユは今はシンママやってて私とは遊ばなくなっちゃったから、死にたいのは私ひとりだけになったと思ってた」


「うん」


「でも、お兄ちゃんをあのとき、見つけられたから。お兄ちゃんと死にたいって思ったの」


「……声をかけてきたのは、一緒に死にたかったから?」


「最初はそうだったけど……お兄ちゃんと付き合ってるうちに、楽しくなってきて、ほんとに結婚もありなのかなって思えてきた」


「…………」


「怒った?」


「裏切られたとか、べつに思ってないよ。僕も最初は、孤独を癒してくれるなら誰でもいいって思ってたし」


「今は?」


「苺果ちゃんがいい。あのとき声をかけてくれたのが苺果ちゃんで、よかった」


「……そう言ってもらえて嬉しい」


「ずっと一緒にいてくれ」


 こんな小汚い場所で、変なことを言っているという自覚はなかった。

 ここが意地の悪いおばあさんが住んでいる、猫の多頭飼いで不潔で嫌な家なんて、今は忘れていられた。

 苺果ちゃん以外、僕は意識してない。


「……ありがとう。羊くん。私、あなたに言わなきゃいけないことがある」


「うん、なんとなく、察しはついている」


 いま、僕を名前で呼んだから。


「自殺したお兄ちゃんがいるって、嘘なんだ。私はひとりっこなの」


「日記に書いてなかったから、わかってた」


「……私のこと、嘘吐きだって軽蔑しない?」


「しないよ。その嘘に救われたから」


 嘘でよかったとすら思っている。

 苺果ちゃんの心を曇らせるようなことすべて、この世界から消えてくれ。

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