14


「何それ!? 怖い話!?」


 話し終えたアスマさんにそう聞いたスズさんは悲壮な顔で。



「昔話だろ」


「昔話!?」


 アスマさんの返事に、今度は困惑の表情を作った。



 でもそれはわたしも同じだったと思う。



 自分で自分の顔は見れないから絶対にとは言い切れないけど、周りから見れば十二分に困惑しているだろうと思う。



 ただわたしはスズさんと違ってそれを言葉に出す事はなく、呆然とアスマさんを眺めていた。



「昔話って何!? 桃太郎とか金太郎とかと同じ分類!?」


「知らねえよ。そうじゃねえの? ガキの頃、親父に聞かされた話だ」


「ええ!? そんな話を!?」


「親は子供に絵本とか読むだろ。あれの代わりだ。そういう話ばっか聞かされた」


「何か……凄いね」


「凄いかどうかは知らねえ。俺にはこれが普通だ」


 普通だと言われればもう何も言える事がなくなったらしく、スズさんは「ほええ」と、驚いたような感心したような何とも言えない声を出した。



 アスマさんは、そんなスズさんを見下ろすと、「俺にしてみりゃ」と続ける。



「俺にしてみりゃこの男と、他の誰も違いはない」


「え?」


「この話の男の“幸せ”も、他の奴の“幸せ”も同じくらい理解出来ねえし、したいとも思わねえ」


「…………」


「こっちは理解出来ねえけど、あっちは理解出来るってのは自分勝手な解釈だろ。結局それはそうやって、“自分”のモノサシで測ってんだろ」


「……うん」


「だから安易に“幸せ”がどうとかって他人の心配するもんじゃねえんだよ。それがどんな形であろうとそいつの“幸せ”を受け入れる覚悟があんならそうしろ」


「…………」


「思考は人それぞれだ。誰が口出しするもんでもねえ。でもそれをみんな心のどっかで分かってる。だから“幸せ”かどうか“心配”すんのは、ただの興味本位だ」


「興味本位?」


「そいつが幸せなのかどうなのか知りたいだけだって事だ。“幸せ”だからどうだとか、“不幸”だからどうだとか、そんな事は考えてねえんだよ。心配なんて行為は、ただの野次馬根性だ。俺はそういう興味が全くない。他の奴なんかどうでもいいと思ってる」


 そう言い切ったアスマさんにスズさんはもう何も言わなかった。



 言えなかったという方が正しいのかもしれない。



 ただその表情は複雑な心境を表わしていて。



「……また」


「んあ?」


「またあたし捻くれたかも」


「知るか」


 スズさんの言葉にアスマさんはぞんざいにそう口にすると、わたしに向き直り「分かったか」と吐き捨てるように言った。



 わたしも相当納得出来ないような顔をしていたらしい。



 でもアスマさんはもっと違う部分に気付いていたのかもしれない。



「何が“幸せ”で何が“不幸”か分からねえようなもんに、“自分”以外が心から心配する訳がねえ。身内であっても赤の他人であっても、それはただの興味本位だ。でもそれが普通だ。だから別に——」


—―そこに後ろめたさはいらねえんだよ。



 アスマさんはまるでわたしに教えるようにそう言った。



 興味本位なんだろうか。



 だけど本当に心から心配してるのかと聞かれても正直分からない。



 姉がそういう人生を選んだ事に対し、それが正しいと思っていると言えば嘘になる。



 だからわたしはもしかすると心のどこかで、姉に対して“幸せにはなれない”と思っているのかもしれない。



“幸せになれない”と思っているからこそ、その結果を知りたいと思うのかもしれない。



 それならこれはやっぱりアスマさんが言うように、“興味本位”の域なんだと思う。



 わたしが思った事や感じた事が正しいのか、確認したいという興味なんだと思う。



 そして心配するという行為が“自分の為”だというのも分かる気がした。



 血縁だからとか他人だからとかそういう問題じゃなく、血縁であったとしても、それはやっぱり“自分の為”の“心配”なんだと思う。



 幸せであって欲しいという願い。



 幸せだと言われれば、よかったと安心する。



 その安心を得られるかどうかの心配であり、とどのつまりが“自分の為”だ。



 少なくてもわたしはそうだと思う。



 ただそういう事は無自覚で、言われなければ分からない。



 もしかするとこれまでも同じような事があったかもしれない。



 同じような気持ちで“誰か”を“心配”していたかもしれない。



 ううん。きっとあったと思う。



 そもそもわたしが姉の相手を探し始めたのは――。



「おい」


 いつの間にかアスマさんの目はスズさんに向けられていて。



「へ?」


 きょとんとスズさんが聞き返すと、アスマさんは「どうすんだ?」と短く聞いた。



「どうするって何が?」


「今日どうすんだって聞いてんだよ」


「今日?」


「自分の家に帰んのか」


「ううん! アスマの家に泊まる!」


「ならジュース買ってこい」


「いつもの?」


「五本」


「分かった!」


「おら、さっさと行け」


「いってくる!」


 アスマさんのポケットから出された千円札を掴み、突然スズさんは闇の方へと走り出す。



 状況が把握出来ないわたしはその後ろ姿を眺める事しか出来なくて、



「タクシー呼ぶか?」


 アスマさんの問いにハッと我に返り「いえ」と首を左右に振った。



 闇がまた深くなる。



 いつの間にかアスマさんの漆黒の髪が、夜の闇と同化していた。



 白い肌が――暗闇に浮かぶ。



「あの」


 話し掛けてしまった理由は分からない。



 ただ沈黙に耐えられなかっただけかもしれない。



 向けられる瞳に居心地の悪さを感じ、それでも逸らす事の出来ない目を、どうにか逸らせたかったのかもしれない。



「んあ?」というアスマさんの返事はどうでもよかった。



 返事があろうとなかろうと、わたしは話すつもりでいた。



「シゲルさんの事なんですが」


「ああ」


「あの怪我、わたしが見る限り“事故”ではないようなんです」


「へえ」


「シゲルさんは怪我について何も言いませんが、わたしが思うにあれは“誰か”に殴られたんじゃないかと」


「そうか」


「それが“誰”の仕業しわざなのかは分かりませんが——」


 チラリと視線を落とす。



 病院に駆け込んだ時、ジーパンのポケットに突っ込まれていたアスマさんの両手が、今はダラリと体の横に置かれたまま。



「あれは天罰か何かでしょうか」


 そのわたしの言葉に、アスマさんはフッと小さく鼻で笑った。



「“天罰”なんてもんはねえ。それが仮令たとえ神だか仏だかの仕業だとしても、ただの怨みだ」


「怨み……ですか?」


「ああ。罰だろうが何だろうが、与えた時点でそりゃ怨みだ。悪さしたから罰を与えていいって道理は、人間にも神だか仏だかにもねえんだよ」


「では、シゲルさんが受けたのは怨みなんですね?」


「ただの私怨だろ」


「そう――でしょうね」


 言葉を止めるとその場所は、シンと静まり返る。



 妙な話かもしれないけど、シンという音が聞こえたような気がした。



「アスマさんは、スズさんの事をどう思ってるんですか?」


「どうって?」


「わたしが思うにおふたりは、お互い想い合ってるような気がします。なのにどうしてアスマさんが、その距離を詰めないのか……余計なお世話ですが気になって」


「あんたさ」


「はい」


「あいつといて、イラつかねえか?」


「はい?」


 逸らした目を向けるとアスマさんは、スズさんが消えた方をジッと見ていて、



「俺はイラつく」


 その視線のまま、ゆっくりと口を開いた。



「イラつく……?」


「ああ。むちゃくちゃイライラする。あいつっていうより、“あいつら”か」


「あいつらっていうのは」


「“巣穴”の奴ら」


「…………」


「あそこは特別な場所だ。あいつが特別甘やかされてる訳じゃなく、みんながみんなを甘やかしてる。あいつがあんな性格なのは、“巣穴”で過ごしてきたからだ」


「特別とは、どう特別なんですか?」


「あそこは無菌室みてえなもんだ。辛いも悲しいもない。全員が無菌状態で生温い。“巣穴”はマサキが守ってる。無菌状態でるように、マサキが守り続けてる。生温いだろ? “巣穴”にいる奴らは全員マサキに守られてんだよ」


「…………」


「俺から言わせりゃあの場所はあり得ない世界――“異世界”だ」


「異世界……」


「まあ、自分の世界以外を異世界っつーんだろうけど、俺にはあの生温さがイラつく」


「…………」


「でもそれは羨ましいって気持ちの裏返しなのかもしれねえんだよ」


「嫉妬という事ですか?」


「かな。あんな場所、然う然うあるもんじゃねえ。だから、あんな場所生温くて嫌だって思うのと同じくらい、そういう場所がある事が羨ましいのかもしれねえ。あそこにいる奴らが素直すぎてバカだと思う反面、それくらい純粋でいられる事が羨ましいのかもしれねえ」


「その気持ち……分かるかもしれません」


「俺は その“巣穴”から、あいつ引っ張り出す覚悟が出来てねえんだよ」


「覚悟?」


「無菌室から出された人間がどうなんのか、想像は出来るだろ?」


「…………」


「今の俺じゃあいつを守ってやれねえよ」


「ではいつかは」


「ああ。いつかは引っ張り出すだろうな。俺の覚悟が決まったら」


「でももしその頃にスズさんの想いがもうアスマさんになかったらどうするんですか?」


「そうはならねえように努力してんだろ」


 口許を緩めたアスマさんの目は遠くに向けられたまま。



 微かにパタパタとこちらに向かってくる足音が聞こえる。



「ああ、そうだ」


「はい?」


「マサキは一見いい奴に見えるかも知れねえけど、ありゃ相当に極悪だ。俺とは比べもんになんねえぞ。あいつには何があっても関わるな」


「関わる事はもうないと思います」


「そうか」


「はい。スズさんにも――アスマさんにも」


「それがいい。あんたの為だ」


 こちらに向かってくる足音が大きくなってくる。



 暗闇に人影が見え、近付いてくる。



 それを見ている隣のアスマさんは、楽しげに目を細め、男の色気を醸し出す。



「シゲルさんを殴った手はもう治りましたか?」


 そう質問したわたしに、隣に立っている美麗な男は、酷く冷たく妖艶な――悪魔のような――笑みを浮かべた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る