ひとりで帰れるから送らなくてもいいと言ったのに、スガ先輩は「危ないから」と家の近くまでバイクで送ってくれた。



 生まれて初めて乗ったバイクは、決して乗り心地がいいものじゃなく、出来ればもう二度と乗りたくないと思う代物しろもので、声も出せないくらいに恐怖におののくわたしを、何が面白いのかスガ先輩は笑ってた。



「そういう反応、新鮮でいいな」


 家の近所でフラフラしながらバイクから降りたわたしにそう言ったスガ先輩は、「また遊びに来いよ」と笑ってすぐに来た道を引き返していく。



 わたしもすぐに家に帰りたかったけど、ブレーキランプが見えなくなり、バイクの音も聞こえなくなるまでその場にいたのは、足が震えて動けなかったから。



 どうもわたしはバイクという乗り物に相当むいてないらしい。



 ようやく家路についたのは、その場で五分程過ごしたあと。



 それでもまだ門限までには充分時間がある。



 予備校に行ってる時の方がまだもう少し帰宅が遅い。



 だからコンビニで時間を潰し、時間を調整して再び家路についた。



 家路への足取りは軽かった。



 少なくても自分で姉の相手を探すよりは、アスマさんやマサキさんに任せた方が見つかる率が高いと分かってるから心が軽くて、探さなきゃいけないという事から解放された気分で、わたしは少し浮かれていた。



――けど。



「イチコ……お父さんが呼んでる……」


 玄関を開けてすぐ、今回の元凶の姉にそう言われ、姉のその顔が強張っている事に、わたしも体を強張らせた。



 その呼び出しがよからぬ事だと聞かなくても分かる。



 そしてその理由も、何となく分かる。



 お父さんがいるらしいリビングに向かうわたしの背中に、心配してるであろう姉の視線が痛く刺さった。



 リビングのドアをノックし、開けるとそこにお父さんがいた。



 ダイニングの奥にある、応接セットのソファに座っていたお父さんが、読んでいた本を下げる。



 本に隠れていたその顔を、嫌でも見てしまい体に緊張が走った。



 怒られる。



 怒鳴られる。



――ののられる。



 表情から分かる顛末に、嫌な汗が噴き出る。



 怖さで硬直した体。



 ゾッと寒気がする背中。



 ツーッと流れる変な汗と共に血の気が引いていく。



「どこにいた」


 低い声にビクリと体が震えた。



 やっぱりこれかと――予備校に行っていないのがいよいよバレたかと、腹を括《くく》りゴクリと唾を呑み込んだ。



「用事があって……」


「用事?」


 威圧的なのは声だけじゃない。



 わたしの言葉にほぼ被せるように言葉を紡ぐのも、威圧の一つだと思う。



「ちょっと……知り合いの所に行ってました」


「ずっとか」


「…………」


「毎日毎日予備校にも行かず、ずっとその“知り合い”の所に行っていたのか!」


「……ごめんなさい……」


「一体何を考えてる! 大学受験はもうすぐだぞ!」


「……はい」


「何のつもりで予備校を休んだ! 金を払ってる方の身にもなれ! 浪人なんかさせんぞ! 大学を落ちるなんて恥晒しはうちにはいらん!!」


「ごめんなさい……」


「お前は出来が悪すぎる! どうしてこうも違うんだ!」


「……ごめんなさい……」


「少しは姉さんを見習え!」



――その、姉の為に予備校を休んだんだと、口が裂けても言えなかった。



 その自慢の娘が妊娠したんだと、お父さんに言える訳がなかった。



 ただ只管ひたすらに謝り続けた。



 正座をさせられ1時間、延々とお叱りの言葉を貰った。



 怒鳴られ、罵られ、さげすまれ、侮辱される。



 それでもわたしは俯いたまま、膝に置く両手をギュッと握り締め、「ごめんなさい」と謝り続けた。



 こうしてお父さんに怒られていると、たまに情けなくて涙が出そうになる。



 わたしという人間が実にくだらないものだと散々言われ、情けなさに涙が出そうになる。



 だけど泣きたくはないと思う。



 お父さんの前で泣くのは悔しいと思う。



 だから決して涙は見せず、込み上げる嗚咽を何度も呑み込み、「ごめんなさい」と言い続ける。



 解放されてホッとするのは、やっと部屋で泣けると思うからで、頭を下げてリビングを出たわたしは、すぐに部屋に行きベッドに潜り込んだ。



 それでも奥歯を噛み締め、嗚咽を呑み込む。



 部屋の外に聞こえないように、布団を握り泣き耐える。



 こんなもの日常茶飯事にちじょうさはんじだと、いつもの事じゃないかと自分をなぐさめ、溢れる涙を止めようと必死になる。



 わたしは泣く事さえも出来ない、くだらない人間だ。



 大声で泣き叫びたいと思うのに、そんな事は出来ない。



 喜怒哀楽を出来るだけ抑え込んで、毎日を必死に生きてる。



 ふと――異界の住人を思い出す。



 喜怒哀楽を素直に出すあの住人たちが頭に浮かぶ。



 あれだけ感情をあらわに出来れば、さぞ楽しいだろうと思う。



 生きているんだと全身で実感しているんだろうと羨ましく思う。



 こちら側とあちら側。



 幸せなのはどちら側なんだろうか。



 だからといって、もしもあちら側が幸せだったとしても、わたしが生きていける場所ではないのだけれど。

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