「最近よく来るな。ココ、嫌いなくせに」


 スズさんが置いたジュースを当たり前のように手にして缶を開けたアスマさんを横目で捉え、笑ってそう言ったマサキさんの言葉に、「え?」と困惑の声を出したのはスズさんだった。



 アスマさんは涼しい顔で缶ジュースを口許に運び、スズさんに目を向けると。



「嫌いじゃねぇよ。ぬるすぎて苦手なだけだ」


 言ったのはマサキさんなのに、スズさんに説明するように口を開く。



 その言葉にホッとしたように息を吐き、スズさんはにっこりと満面の笑みを浮かべた。



――温すぎる。



 その意味はよく分からない。



 分からないけどアスマさんもわたし同様この場所が苦手だと思ってるという事に安堵した。



 自分だけじゃないんだと、やっぱりここは“何か”が違うんだと、それを肯定されたようで安堵した。



 おかしいのはわたしじゃなく、この人たちだ。



「つーか、んな事どうでもいいんだよ」


 気だるそうに言葉を吐き出し、ポケットから煙草を取り出したアスマさんは、体を少しマサキさんの方へと向けると、「で?」と聞いた。



 さっきわたしの事をアスマさんから聞いていたと言ったマサキさんの言葉からして、このふたりの間では既に話が進んでいるらしく、マサキさんはその短い質問だけで意味を理解したらしい。



「もうちょっと事情を聞かないと絞り込めない」


 言葉と共にマサキさんの目がスッとわたしに向けられる。



「え?」と驚いたわたしに、マサキさんは――不気味に感じる――笑顔を見せる。



「お姉さんの事、もうちょっと詳しく教えて欲しいんだけど」


「姉の事……ですか?」


「うん。その男とどこで会ってたのかとか、どんな容姿してるのかとか教えて欲しいんだ」


「それは……分かりません。姉には名前しか……“アスマさん”としか聞いてなかったので……」


「お姉さんに聞く事は出来ない?」


「出来ません。姉に内緒で探してるんで……」


「そりゃ何とも余計なお世話だな」


 マサキさんとわたしの話に突然入り込んできたアスマさんの声は妙に冷めてて。



「は?」


 その言い草にカッと来て思わず声が刺々しくなった。



 他人に余計なお世話だなんて言われたくない。



 それは他人だから言える事であって、“家族”であるわたしにはそうせざるを得ない事。



 本当ならわたしもこんな事したくない。



 こんな事に大事な勉強の時間を遣いたくない。



 だけど放っておけないのが“家族”ってもので、妊娠した姉の話を聞いて知らぬ顔は出来ない。



 誰だって、そうに違いない。



 誰だって——。



「頼まれてもねえのに動くなんざ、余計なお世話としか言えねえだろ」


 無意識に睨んでしまっていたわたしを、アスマさんは顔色ひとつ変えずに見据え、口許に微かに――バカにしたような――笑みを浮かべた。



「た、頼まれてなくても、そうするのが家族じゃないんですか!?」


「家族って言葉を盾にした押し売りだろ」


「押し売りじゃないです! わたしは姉を思って」


「でもあんたの姉貴は望んでねえんだろ?」


「望んでないとは言ってません!」


「でもあんたに頼んでねえんだろ?」


「そ、それはそうですが――」


「なら結局それは、姉貴の為じゃなくあんたの自己満――」


「まあまあ。アスマの気持ちは分かったから、それくらいで」


 ハラハラとした表情でわたしとアスマさんのやり取りを見ていたスズさんとスガ先輩とは違い、実に穏やかな声の調子で間に入ったマサキさんは、ずっと変わらない笑顔でわたしを見つめ、「ごめんね? アスマ機嫌悪いみたいで」と謝る。



 だけどアスマさんは謝る気なんて毛頭ないらしく、フイッとわたしから目を逸らすとずっと出しただけで持っていた煙草を口に咥え火を点けた。



 機嫌が悪いとか知らない。



 それが本当だとしても、それじゃわたしはただ八つ当たりされたって事だから納得が出来ない。



 どうしてわたしが八つ当たりされなきゃいけないのかって余計に腹が立ってくる。



 異界の住人は自分の感情が優先で、他人の事なんて考えないから腹が立つ。



 自分が良ければそれでいいって、そう思ってるのが言動ににじみ出てる。



 わたしはこんなに周りの為に動いてるのに。



 いつだってわたしは――。



「まあ、あいつの気持ちも察してやって」


 納得がいかず苛立ちを抑え切れずに尚もアスマさんを睨んでいたわたしに、マサキさんは苦笑混じりに言葉を発する。



 仲間同士かばい合ってるのか、マサキさんはアスマさんをチラリと見つめてわたしに少し近付き、



「こういうの滅多にないんだ」


 胡散臭く不気味な笑顔を見せた。



「八つ当たりがですか?」


「八つ当たり?」


 自然とマサキさんに目を向けたわたしの言葉に、一瞬きょとんとマサキさんは聞き返し、



「あっ、ああ、うん。でも八つ当たりって事でもないんだけどね」


 やっぱり笑顔だけは絶やさず口を開く。



 でも声は少し小さく、ヒソヒソとしていて、それがアスマさんたちに聞こえないようにしているという事が理解出来た。



「八つ当たりじゃないんですか?」


「滅多にないって言ったのは機嫌が悪い事じゃなくて、相手を探そうってしてる事」


「探そうとしてる事?」


「そうそう。今までも散々アスマの名前騙って悪さしてた奴がいたんだけど、そういうのアスマは一切気にしてなかったから」


「放っておいたって事ですか?」


「うん。どうでもいいって感じ? あいつそういう面倒な事しないから」


「え、なら今回はどうして——」


「巻き込まれちゃったからね」


「巻き込まれ……?」


「うん。大事なもんが」


 そう言って、チラリとマサキさんが視線を向けた先は、アスマさんの腕に纏わり付くスズさんがいて――。



「あっ!」


 それがどういう意味なのか理解出来、思わず大きな声を出してしまったわたしに、マサキさんは自分の唇に人差し指を押しあて「しーっ」と囁いた。



 八つ当たりじゃない。



 何もかもわたしの所為だ。



 わたしがスズさんを巻き込んだから、今回アスマさんが動いた。



 そのそもそもの原因が、姉に黙って勝手にわたしが動いている事だと知ったから、アスマさんはあんな事を言った。



 筋が通ってる。



 通らない筋を通そうとしていたのは、わたしの方だ。



「わたしの所為……なんですね……」


「んー、それもちょっと違うかな」


 巻き込んでしまった事にも筋違いに腹を立てていた事にも気まずさと申し訳なさを感じ、俯いていたわたしが「え?」と顔を上げると、マサキさんは大した事じゃないって顔でこちらを見ていた。



「今回たまたまイチコちゃんだったってだけ」


「たまたま……ですか?」


「遅かれ早かれこういう火の粉がスズちゃんに飛び火するのは分かってた事だし、それは俺もアスマも覚悟してた」


「でもアスマさんは」


「うん。覚悟してたけど実際そうなると色々思うところがあるんじゃないかな」


「色々?」


「結局は自分で撒いた種だしね。腹が立つんだろうな。だからまあ、イチコちゃんの言う通り八つ当たりといえば八つ当たりなんだろうけど、あいつも色々思ってるみたいだし、気持ちんでやって」


「…………」


「アスマは酷い奴だけど、悪い奴じゃないから」


「あの……」


「うん?」


「スズさんとアスマさんはその……付き合ってはないんですよね? スズさんに聞いても付き合ってないと言ってたんですが……」


「ないね」


「で、でもアスマさんは——」


「それもまあ、色々あるんだと思うよ。俺には分からないけど」


「…………」


「でも、アスマが他の女とスズちゃんを区別してるのは確かだね。こういう事があって動くくらいには大事にしてる」


「そう……ですか」


 歯切れが悪くなったのは、本当に申し訳ないと思ったから。



 自分の事ばかりを考えて、巻き込まれるスズさんの事を考えてはいなかったから。



 自分の事ばかりなのはわたしだった。



 異界の住人たちの方が、よっぽど周りを気に掛けてる。



 何よりも悔しいのは、こうしてマサキさんに言われるまでそれに気付かなかった事。



 もしこうして話をしてくれなかったら、わたしはずっとアスマさんに腹を立て続けてたと思う。



 スズさんの事があったからとはいえ、わたしの事でわざわざ動いてくれているのに。



「まあその話はさておき、イチコちゃんのお姉さんの事聞かせて?」


 自己嫌悪に陥るわたしに、マサキさんは笑った。



 その笑顔がさっきよりは不気味に感じなくなっていた。



 わたしの感性とは何とも自分勝手なものらしい。



 これが異界の魔力というならそれでもいいと――騙されてもいいとまで思っていた。



 それからマサキさんに聞かれたのは、わたしの家の場所とお姉ちゃんの行動範囲。



 知っている事だけでいいからと言われ、お姉ちゃんの大学と友達が住んでいる場所を教えた。



 話し終えたあと、「その範囲で絞り出してみる」と言ったマサキさんの言葉に、いつから話を聞いていたのか分からないけど、アスマさんは「急げよ」と一言言った。



 多分、姉の話はそれで終わった。



 そういう感じだった。



 それから暫くアスマさんとマサキさんが話していたけど、正直姉の話なのか分からなかった。



 何を話しているのかも分からない。



 聞こえる単語が全て理解出来ないものにすら思えた。



 でもそれはスズさんも同じようで、アスマさんの顔を穴が開くほど見ているものの、その会話に入ろうとする気配はなかった。



 アスマさんはどれだけスズさんに見つめられても気にする素振りも見せず、むしろそれに気付いていないかのようにマサキさんと話し続ける。



 これがこのふたりの当たり前なのかと思って、スズさんは虚しくないのかと思ってしまった。



 それこそが余計なお世話なんだろうと思いながら。





「さて、と。俺はそろそろ帰る」


 はっきりと「解散」という言葉はなかったけど、アスマさんが腰を上げるとスズさんも一緒に立ち上がり、それが解散の合図になった。



 アスマさんのあとについて部屋を出て行くスズさんに、わたしもついて部屋を出ようと立ち上がり、「よろしくお願いします」とマサキさんに頭を下げると、マサキさんは何も言わずにっこりと笑った。

 


 スガ先輩と一緒にスズさんたちのあとを追い、玄関に出ると外にはスズさんとアスマさんがいた。



「アスマ、今日は電車で来た?」


「ああ」


「電車で帰る?」


「いや」


「もしかしてこのあと、約束あんの!?」


「吉四六」


「友達と?」


「いや、ひとり。飯だ、飯」


「あたしも行く!」


「来なくていい」


「あたしも行く!」


「来なくていいっつーんだよ」


「やだ、あたしも行く!」


 スズさんはまるで子犬――というより蛇のようにアスマさんに纏わり付き、しっかりとその手でアスマさんの腕を掴んでいる。



 傍からふたりを見て似合わないと思ってしまう。



 デコボココンビというんだろうか。



 身長の差だけじゃなく、容姿全てに於いてとても差がありデコボコとしてる。



 だからってきっとアスマさんに似合うような女の人は然う然うにはいなくて、誰が隣にいたとしても同じような事を思うんだろうと思う。



「スガ」


 不意にアスマさんがこちらへと視線を向け、わたしの後ろにいたスガ先輩に声を掛けると、スガ先輩は「はいはい」と返事をしながらわたしを追い越し外に出る。



 アスマさんの手前まで駆けて行き足を止めたスガ先輩を、靴を履きながら見ていたわたしに向かってアスマさんは指を差した。



「あの子送ってやって」


「いいッスよ」


「こいつ、うるせえから連れてく」


 腕に半分ぶら下がった状態のスズさんを横目で一瞥して、溜息混じりに言葉を吐いたアスマさんの言葉に、スズさんは嬉しそうに「イェイ!」とピースサインを作る。



 相当嬉しいらしいスズさんは、これまで見たどの顔よりも無邪気に笑っていて、何だか少し羨ましいと思ってしまった。



 そういう顔が出来る事を羨ましく思う。



 心底楽しいだとか嬉しいだとかいう感情を、わたしは抱いた事がない。



 あったとしてもそれは記憶にないくらいにずっとずっと昔の事で、ここ何年も笑った事さえない気がする。



「スガもあとから来るか? 来るなら飯奢ってやる」


「マジッすか!」


「やだ! スガ先輩は来なくていい!」


「いや、俺も行く!」


「あたしとアスマの時間なのに!」


「絶対に行く!」


「やだやだ! あたしとアスマのラブラブの時間なのに!」


「んな時間、端からねえよ」


 スズさんとスガ先輩のやり取りに、呆れた声を出したアスマさんは、



「男が誰か分かったらこいつに連絡させる」


 わたしに目を向け、スズさんを指差しながらそう言って、さっさと歩き出す。



「よろしくお願いします」と頭を下げたわたしに、アスマさんはもう振り返る事はなく。



「イチコさん、またね!」


 アスマさんの代わりに振り向いたスズさんは、やっぱりとても嬉しそうに笑っていた。

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