7
「あ、もう来てんのか」
「でもアスマはまだっぽいです」
表札すらない“その”家の前にバイクを停め、勝手に鍵の掛かってない玄関を開けたスガ先輩が開口一番言った言葉に、スズさんは答えるようにそう言って、さっさと靴を脱ぎ始める。
どうして誰が来てるか分かるのかと不思議に思ったのはほんの一瞬で、
「アスマさん来てない?」
「だってアスマの草履はないですよ」
それが玄関にある靴の所為だとすぐに理解出来た。
“溜まり場”と言ってた割に玄関にある靴の量は少ない。
もっと沢山人がいるのかと想像してたけど、そうではないようで、“溜まり場”という割には案外ショボいものなんだと思った。
家の人に挨拶はしなくていいと言っていたスズさんは、まるで癖のように「お邪魔します!」と、どことも分からない場所に声を掛けて玄関からすぐの場所にある階段をい上っていく。
だけど本当に家の人からの返答はなく、スズさんも特にそれは気にしてないようだった。
さっさと階段を上がっていくスズさんは、わたしの存在を忘れているのか振り返りもせず、どうすればいいのかと中に入らず玄関の前でオロオロとしていたわたしに、スガ先輩は靴を脱ぎながら振り向くと、少しだけ目尻の垂れた目でにっこりと笑った。
「そこ、鍵しなくていいから」
「え?」
「この家、鍵はしなくていいから。入ってもそのままにしといて」
スズさん同様、人懐っこい笑顔でスガ先輩に言われ、反射的に「あ、はい……」と返事してしまったわたしに、「暑いから早く行こうぜ」とスガ先輩は促す。
ここまで来ておいて断る事も出来ず、階段の手前で手招きまでされてしまい、わたしは渋々家の中に入った。
他人の家は何だか落ち着かない。
だからって自分の家が落ち着く訳じゃないけど、何というか人の家の匂いが落ち着かない。
そういうのに慣れていない所為だと思う。
友達の家に行く事が余りないからだと思う。
わたしはこういうのが苦手だ。
一応「お邪魔します」と家の中に声を掛けたけど、やっぱり返事はなかった。
脱いだ靴を玄関に並んで置き、ついでにスズさんとスガ先輩が脱ぎ散らかした靴も並べて家に上がると、「んな事しなくてもいいのに」とスガ先輩は笑う。
どうせ誰かに踏またり蹴られたりしてグチャグチャになる——と、当たり前のように当たり前じゃない事を口にしたスガ先輩は、わたしを先に階段へと上がらせた。
狭い階段はやっぱり築数十年は経っているらしく、踏む度にミシリと小さな音がする。
階段の踏み板が黒ずんでいるのは、何十年もここを往復してる証拠だと思う。
二階に上がり足を止めると、「そこ」と後ろからすぐ傍にあるドアを指差され、さっさと行けと言わんばかりに背中を軽く押されたわたしはそのドアノブに手を掛けた。
足元のドアの隙間から、ひんやりとした微量の風が吹き出てくる。
ドアを開けた途端にその風が全身を包み、
「もしかして、もうアスマ帰っちゃったって事はないですよね!?」
スズさんの声が聞こえた。
ドアの正面。
灰皿や雑誌やジュースの缶が散らかる部屋の窓際。
スズさんが腰を下ろすその隣に、白髪の男が座っていた。
でもよく見るとそれは白髪じゃなく、窓から射し込む陽の光の加減らしく、色を抜き過ぎたのかそれともそういう色に染めているのかは分からないけど、白髪に近い金髪だった。
銀髪――とでもいうんだろうか。
どうして異界の人達は皆こうも派手なのかと思う。
派手にする事が異界の住人であるというステータスなんだろうか。
――でも、アスマさんは違う。
髪も染めず、特に派手な格好もしてない。
ただ顔立ちが綺麗で目立つというだけで、外見を
わたしからすれば“派手”な事には変わりないんだけど。
結局それが異界の人達だという目安になるのだけど。
わたしはこの人達に、どれほど地味映っているのだろう……。
「君がイチコちゃん?」
クーラーの冷たい風に乗って、スーッと耳に入ってくる声。
窓際に座る男の人はフッと穏やかな笑みを浮かべる。
なのに。
とても穏やかな笑みを浮かべているのに、何故か背筋がゾッとした。
怖い。
何かが怖い。
この男の人は――怖い。
理由も分からず直感のようなものが、危険だと信号を発する。
でもそれは、スズさんにもスガ先輩にもアスマさんにも感じなかったもので、よく分からない感覚に戸惑ってしまう。
異界にも色々あるんだろうか。
この人はまたスズさん達とは違う種類の異界にいるんだろうか。
それがどこだとしてもわたしにとって異界だという事には変わらないのだけど。
「はい。イチコ……です」
自分でも理解出来ない恐怖を悟られないように小さく返事したわたしに、
「アスマから聞いたよ。大変な事になってるみたいだね」
男の人は笑みを絶やさない。
だけどやっぱりゾッとした。
「おいで」と軽く手招きされて、まるで魔法に掛けられたかのように足が勝手に進む。
男の人の近くで足を止め、その場に腰を下ろし、嗚呼この人もまた綺麗なんだと、その顔を近くで見て思わず感心した。
こういうのを類友というんだろうか。
今まで見た事もないような
ただアスマさんとは種類が違う。
綺麗だとは思うけど、この人にはどこか影がある。
喩えるならまるでヴァンパイアのようだと思う。
肌は血管が見えそうな程に色が白いけど、どこか青白さがある。
決して病弱って訳じゃないんだろうけど、病的な何かを感じる。
血生臭い何かを感じる。
だから怖いと思う。
やっぱりこの人は――危ない。
「あ! イチコさん、この人がマサキさん! この家の人ね!」
スズさんはわたしのようには感じないらしく、これまでと変わらない態度でその人を紹介してくれる。
分からないんだろうか。
それとも感覚が麻痺しているんだろうか。
マサキさんが持つこの雰囲気の得体の知れない気味の悪さに。
この目の不気味さに。
「初めまして……」
「で、マサキさん! アスマもう帰っちゃったって事ないですよね!?」
とりあえず挨拶をしたわたしの言葉に被るように、スズさんがマサキさんに話し掛けその目が逸らされた。
だから凄くホッとした。
ホッとして、思わず安堵の息が漏れた。
「うん。アスマはまだ来てない。でも多分そろそろじゃないかな?」
「本当に!?」
「うん」
終始笑顔を絶やさないマサキさんに、スズさんもニコニコと満面の笑みで、いつの間にか近くに座っていたスガ先輩も笑ってる。
それが凄く――気持ち悪かった。
何故か落ち着かない気持ちになった。
何が楽しくて笑っているのだろうと、無性にイライラとした。
合わない。
ここはわたしには合わない。
この空間を無意識に拒絶してる自分がいる。
「あ、そういえばスズ! メット返せよな!」
「へ?」
「『へ?』じゃねぇよ! 昨日の夜帰ろうと思ったらメットなかったぞ!」
「あたしじゃないです」
「嘘を吐け、嘘を! 靴隠した仕返しだろ!?」
「あたしじゃないです!」
「嘘吐くなって!」
「本当にあたしじゃないもん! 今日隠そうと思ってたんだもん!」
「スズ、嘘吐きは泥棒の――」
「スガ、それ俺だ」
「ええ!? マサキさん!? え、何でマサキさん!?」
「ほら、あたしじゃない! あたしじゃなかった!」
「俺のメット割れて、昨日勝手に借りてった。忘れてたわ」
「割れた!? メットが割れた!? 何で割れるんスか!」
「謝って! スガ先輩あたしに謝って!」
「ちょっとゴタゴタに巻き込まれて割れた」
「ゴタゴタって! あ、いや、もうそれ以上は聞きませんけどね!?」
「ちょっとスガ先輩! あたしに謝ってってば! あたしじゃないのにあたしの――アスマ!」
楽しげに笑って会話をしていた三人と、それを呆然と見ていたわたしの目が、その声にドアへと向かう。
いつの間にか開いていた部屋のドア。
すかさずスズさんが腰を上げ、駆け出したドアの前に、気だるそうなアスマさんがいて、それが何故かホッとした。
ここにいる人達とは違う雰囲気を持つアスマさんにホッとした。
異界は異界でもやっぱり違う。
ここの人達は何かが違う。
つまりアスマさんはまだ、わたしの世界寄りの人間――という事なんだろうか。
「アスマ! アスマ!」
「うるせえ」
「あたしも今来たんだよ!」
「分かったから離れろ。暑いんだよ」
「ジュースあるよ! アスマのジュース! 買ってきた!」
「分かったから離れろって」
「ジュース飲む!? アスマ、ジュース飲む!?」
「離れろよ……」
そしてそのアスマさんの隣に、当たり前のように座ったスズさんは、鞄の中から炭酸飲料を取り出すとアスマさんの前に置いた。
腰丈の窓の下にマサキさん。
並ぶようにしてアスマさん。
そこから少し体を斜めにしてアスマさんを見上げるスズさん。
スズさんの横にはスガ先輩が座り、わたしはスガさんとマサキさんの間、スズさんの対角線上に座っている形になる。
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