そのカフェにしたのは、スズさんの為だった。



 見知らぬ相手について来るというのは、やっぱり警戒してしまうだろうと、スズさんが通っている高校近くのカフェを選んだ。



 店内にはスズさんと同じ制服を着た生徒が数人いる。



 それだけでも少しは気持ちも楽になると思う。



 とにかくわたしに危害を加える気はないと――怪しい者だと思われたくない一心での選択だった。



 なら結局は、スズさんの為じゃなくわたしの為なのかもしれない。



 わたしの為のスズさんへの気遣いといった感じなのかもしれない。



――ただ。



「ねえ、本当に何頼んでもいいの? パフェとか頼んじゃってもいい?」


 スズさんにわたしの気遣いは、余り伝わってないようだった。



 警戒心がない。



 もっとかしこまってもおかしくないはずなのに、そんな素振りは見せず、無防備――を通り越してバカなんじゃないかと思ってしまう。



「お好きな物をどうぞ」


「マジで? マジでいい? パフェとジュース飲んでいい?」


「……どうぞ」


「ふたつだよ!? 本当にいいの!? あとからワリカンって言われても、あたしお金持ってないからね!?」


「お好きな物をどうぞ。ご馳走しますので」


「イチコさんは何にする!?」


「わたしは珈琲を」


「じゃあ、ホットケーキセットにしたらどう!?」


「……は?」


「んで、あたしにちょっとホットケーキ頂戴ちょうだい?」


「はあ……」


「パフェかホットケーキか悩んだってか、今も悩んでるんだよね!」


「そう……ですか……」


「だからイチコさんはホットケーキセットにして、あたしはパフェにする!」


「……分かりました」


 完全に相手のペースにまらなきゃいけないわたしは、スズさんに言われるがままにホットケーキセットを頼み、あれほどパフェだと騒いでいたスズさんは何故かクレームブリュレを頼んだ。



 注文を聞きにきていた店員がいなくなったあと、「ブリュレって何だろう!」と妙にはしゃいでいるスズさんを見て、やっぱり頭はよくないんだと確信した。



 でもまああんな偏差値の低い高校に行ってるなら、それも仕方ない。



 これは最初からある程度分かってた事で、どう見積もってもわたしとは生きている世界が違う。



 異界の住人スズさんは、ブリュレが来るまでブリュレがどんな物なのかについて自分の想像を熱く語っていた。



 そんな事の何が楽しいのかと、呆れてモノが言えなかった。



 来れば分かる。



 答えはすぐに来る。



 なのにどうしてそんなに盛り上がれるのか不思議で仕方ない。



 その思考がわたしにはさっぱり分からない。



 想像を張り巡らさなくても、求めている答えはすぐに目の前に現れるのにと思う。



 数分ののち、実際のブリュレを目にしたスズさんは少し困惑気味だった。



 というより残念そうな表情をしていた。



 スズさんの予想は、シュークリームの大きい物だったようで、それとは違う実際のブリュレにがっかりしたらしい。



 そうやって残念な気持ちになるなら、最初から予想なんてしなきゃいいのにと思う。



 何かに期待するからこそ、失念する羽目になる。



 なら最初から何も期待しなければいい。



 それが現実を見るって事。



 表面を飴色になるまで焦がしたそれを、スズさんはスプーンで突く。



 それをぼんやりと眺めていたわたしは、



「その制服って、城苑高校だよね? あの高校行ってるって事はイチコさんめちゃくちゃ頭いいんだ?」


 こちらを見ずにされた質問に、ビクリと体を震わせた。



 別に高校を当てられたからって訳じゃない。



 そんなの制服で来なきゃならなかった時点でバレる事は分かってた。



 ただ油断をしていたから驚いただけで――。



 人と話す時は目を見るものだと思ったわたしに、スズさんの目がスッと向けられた。



「あ、あの、わた、わたし——」


 口籠ってしまったのは、顔は俯かせたまま上目使いで、まるで睨んでるかのように、スズさんがこちらを見つめたからで、



「学校、サボったの?」


「――え!?」


 図星を指され大いに驚いたのは、相手をバカだと思ってたから。



「だって、城苑高校ってここから何駅もあるじゃん? なのにさっき校門にいたって事は、少なくても六時間目はサボったんでしょ?」


 そんな事を考えられる相手じゃないと思ってた。



 スズさんには申し訳ないけど、そういう事すらどうでもいいと――そんな事気にもしない能天気な人なのかと思ってた。



「事情が……事情ですから……」


 何となく申し訳ない気持ちになり、思わず目を伏せてしまったわたしに、スズさんは「何年?」と聞いた。



「三年です」


「やっぱあたしより年上だった! そんな気はしてたんだよね! 何か落ち着いてる雰囲気だし!」


「落ち着いて……ますか?」


「うんうん。アサミ先輩くらい落ち着いてる! あ、アサミ先輩ってあたしの地元の先輩でね? すっごく綺麗なのにそういうとこ鼻に掛けない面白い先輩なの!」


「はあ……」


「知ってる? アサミ先輩」


「いえ、存じません」


「そっか。……じゃあ、マサキさん関係じゃないんだ」


「え?」


 ボソリと言われた最後の言葉に伏せていた目を向けると、スズさんは「こっちの話」とにっこりと笑う。



 その屈託のない笑みを見て、ふと自分が最後に笑ったのはいつだっただろうかと、くだらない事を考えた。



「で? アスマの事で大事な話って何?」


 コツンと、持っていたスプーンを置き、炭酸飲料に手を伸ばしたスズさんの目がしっかりとわたしの目を捉える。



 やっぱりこの人はアスマさんの事に関しては過剰に反応するらしい。



 思ってた事は――間違ってない。



「アスマさんに会いたいんです」


「へ?」


 スズさんの目を見つめ返し、素直に口にしたわたしの言葉に、スズさんはきょとんと目をしばたかせ、



「それが大事な話?」


 不可解だという声を出した。



 その気持ちは分からなくもない。



 普通に会える人からすればこの頼み事は、理解しがたいものなんだろうって分かってる。



 でもわたしは会えない。



 会いたくても会えなかった。



――行き着く事が出来なかった。



 女に非道な男だと、噂はいくつも耳にした。



 何人もの女と同時に付き合う男なんだと、噂だけは耳にした。



 だけどその姿を見る事は叶わず、どこに行けば会えるのかも分からなかった。



 地道に噂を手繰たぐり、行き着いたのがアスマさんと親しい女子高生がいるという情報。



 その女子高生が今、わたしの目の前にいる。



 スズさんに言えば会えるんじゃないかと、写真を売ってくれた女の子が教えてくれた。



 その子はスズさんと知り合いという訳ではなく、友達の友達なんだと言っていた。



 二週間の時間を要して、ようやくここまで辿り着いた。



 だからわたしはどうしても、今日ここでスズさんに了解してもらわなきゃならない。



 時間が――ない。



「会わせて頂けないでしょうか?」


「何で?」


 案の定というべきか、思っていた通りの反応をしたスズさんは、



「会わせるのが嫌って訳じゃなくてね? あ、でも全く嫌って気持ちがない訳でもないんだけど。ただそういう事するとアスマが怒るかもしれないし……」


 唇を半分尖らせてモノを言う。



 きっと拒否するその大半が「会わせたくない」という気持ちなんだと思った。



 アスマさんの事に関して過剰に反応するその態度から、スズさんがアスマさんに好意を抱いている事だけはすぐに分かった。



 もしかしたらこれまで調べていた過程でも、そういう人がいたのかもしれない。



 会わせたくないと思い、嘘を吐いた人がいるのかもしれない。



 ただ今までは“それ”を見抜く事が出来なかった。



 だけどスズさんは分かりやすいくらいに思いが顔に出る。



 きっと嘘を吐けないタイプというのは、こういう人の事を言うんだと思う。



 わたしとは違う。



 わたしは“嘘を吐かない”だけで、“嘘を吐けない”訳じゃない。



「……諸事情がありまして」


「“しょじじょー”?」


 わたしの言葉にスズさんは少しだけ首を傾げ、



「どうしても会わなきゃならないんです」


「“しょじじょー”って何?」


 食い入るようにこちらを見つめる。



「…………」


「ねえ、何?」


「それは……」


「うんうん」


「…………」


「言い辛い事?」


「いえ、ただその……お話する前にお聞きしたい事があります」


「あたしに?」


「はい」


「何?」


 まるで無邪気を形にしたようなスズさんは、ニコニコとその笑みを絶やさず聞き返してくる。



 こういう人は――苦手だ。



 わたしの周りにはいないタイプ。



 やっぱりスズさんは異界の人だ。



――だから。



「スズさんはアスマさんとどういう関係なのですか?」


 どうしても先に確認しておきたい事を、どういう風に言えばいいのか分からず、結局わたしは直球で質問する事しか出来なかった。



 噂を辿ってここまで来たのはよかったけど、ふたりの関係がはっきりしない。



 仲がいいというのは分かってる。



 写真をくれた女子高生も、仲がいいらしいと言ってた。



 スズさんがアスマさんに対して好意を抱いている事も分かった。



 でも “だから”どうなんだって事が分からない。



 付き合ってるのか、それとも友達という間柄あいだがらで、スズさんが片思いしてるだけなのか。



 友達だとすればどれくらいの距離の友達で、どこまでの信頼関係を築いてるのか。



 そういうこまやかな事が一切分からない。



「関係?」


 質問に、スズさんは少し困惑の表情を作り、



「実は今から話す事は私的事情を含んでいまして……」


「“してきじじょー”?」


 さっきよりも深く首を傾げる。



「はい。とてもプライベートな内容なんです」


「ぷらいべーと」


「アスマさんも深く関わっている事で、安易に全てを話していいのか分からないので」


「あ、そっか。えっと、関係ね? 関係……って言われても、あたしも分かんない」


「分からない?」


「うん。えっとね? アスマに会ったのは紹介だったのね? スガ先輩が紹介してくれたの。あっ、スガ先輩ってこれまた地元の先輩なんだけど、しかも紹介って言っても“そういう”紹介じゃなくて、あたし元カレに浮気されてさ? って、その時は今カレだったんだけどね!? まあとにかく浮気されてさ? で、スガ先輩がショック受けてるあたしを見兼ねてアスマを紹介してくれたのね? あ、だから“そういう”紹介じゃなくて、世の中にはもっと酷い男がいるんだぞ的な?」


「酷い男――ですか?」


「そうそう! アスマって酷いのね? あ、いや、あたしは何にもされてないよ? シてって頼んでも断られたしね!? あ、それはまあいいか。で、紹介してもらったの」


「……はあ」


「うん、そういう事」


「は?」


「そういう関係」


「はい?」


「あたしとアスマの関係でしょ? そういう関係なの」


「………」


 一体何をどう考えたら、わたしの質問に対してその答えだけでいいと思うのか分からないけど、スズさんは本当にそれ以上言う事はないといった様子でニコニコと笑う。



 やっぱりこういうタイプは苦手だ。



 計算にしても天然にしても、無邪気な人間とはどう接していいのか分からない。



「えっと……それではスズさんとアスマさんの関係は恋愛関係ではないと?」


 とりあえず、そこだけは確認しておきたいと思ったわたしの質問に、スズさんは「へ?」と素っ頓狂な声を出して目を瞬かせる。



 そして、何かおかしな事でも言ったのだろうかと不安になったわたしに、



「それはあたしがどうとかって事じゃないと思うよ? アスマは誰とも恋愛関係にならない」


 そう笑った。



「誰とも――ですか?」


「うん」


「でもアスマさんは沢山の女の人と付き合ってると噂で……」


「ううん。付き合ってない」


「付き合ってない?」


「そうそう。それはあれだよ。体だけの関係。でもちゃんとそういうの割り切れる女の人としか関係もってないみたい。面倒になるとポイッてしちゃうし」


「ポイ……?」


「うん。あたしも一回その現場見た事あるけど、酷いもんだった」


「…………」


「でもね? アスマいわく、それは女の人も悪いんだって。あたしにはよく分かんないけど」


「…………」


「とにかくアスマは誰とも付き合ってないっていうか、誰とも恋愛関係にはなってないよ? 今、あたしが猛アタック中だけど」


「猛アタック……ですか」


「うん! あたし、アスマ好きなの。ってそれは気付いてたでしょ? 何かあたしって分かりやすいみたいなのね? 自分で自分の気持ち気付く前に周りが気付いちゃったりしてさあ? だからイチコさんも気付いてたでしょ?」


 やっぱり――と思っていいのか分からないけど、スズさんの片思いだった。



 スズさんの写真を見た時から、拭えなかった違和感。



 スズさんはアスマさんと関係を持っていると聞く女性とは全くタイプが違う。



 どうしてこの人がアスマさんと仲がいいのかと、人違いじゃないかと不安になった程だった。



――ただ“あの人”もタイプは違う。



「で、“しょじじょー”とか、“してきじじょー”って何?」


 興味津々という感情を一切隠そうとしないスズさんに、言うべきかどうかを躊躇ためらった。



 理由を話せばきっとスズさんは、アスマさんに会わせてくれるだろうと思う。



 会う事は叶わなくても、話を通してくれるだろうとは思う。



 だけど言っては可哀想だと――そうも思ってしまう。



 もちろんスズさん自身「分からない」と言っている関係の人に話す事ではないし、別にスズさんに義理立てする事はないんだけど。



 ここで言わなくても最終的には分かってしまう事なんだろうけど。



 そうは思っていても、目の前にいるスズさんを、傷付けていいのかと考えてしまう。



 でもそんなわたしの思いなんて、微塵も感じ取る事の出来ないらしいスズさんは、



「理由教えてくれたらアスマと会わせるの考えてみる!」


 ただ自分がその理由を聞きたいが為だけにそんな事を口走る。



 後悔する事も知らずに。



 傷付く事も知らずに。



 黙ってアスマさんに会わせてくれれば、まだ当分は幸せでいられるかもしれないのに。



「理由を言えば……考えてくれるんですね?」


「うん。大事な用事があって、“しょじじょー”があるなら」


 小さく息を吸い込んだわたしを、スズさんは食い入るように見つめる。



 今からわたしが口にする内容に、スズさんが一体どんな反応をするのかと、考えただけで背筋がゾクリとした。



「実は……」


「実は?」


「わたしの姉がアスマさんの子を妊娠しました」

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