体裁
本当にさっきまでのは何だったんだってくらいにシャンとしたアスマは、あたしを一瞥すると門へと歩き始める。
アスマの目が「帰れ」と言ってるのは分かった。
分かったけど、いくら今はシャンとしてるからってどこで倒れるか分からないから、心配でついて行く事にした。
……なんてのは口実で、まだアスマと一緒にいたかったんだと思う。
でもやっぱりこの時のあたしは、そんな「本心」にすら気付いてなかった。
門を潜り石畳から外れ砂利を歩くアスマの後ろをついて行くあたしに、アスマは気付いてる。
だけどアスマは何も言わない。
というよりは、むしろ何も言えないのかもしれない。
全然話そうとしないのは、シャンとした振りをしているのが精一杯で、口を開く余裕がないんだと分かった。
でもそのお陰でアスマについて行く事が出来たんだから、あたしにしてみればラッキーだったのかもしれない。
無言のまま一直線に家の方へ向かうアスマは、何度か足をフラつかせたけど、何とか自分の部屋へと辿り着いた。
部屋のドアを開け、中に入ったその直後、アスマは膝から崩れるようにしてその場に座り込み、びっくりしたあたしは思わず「わっ」って驚きの声を出した。
部屋に入ってすぐの場所でぐったりとするアスマに、
「大丈夫?」
「…………」
声を掛けても返事はない。
だけど入口すぐで座ってるから後ろにいたあたしは中にも入れなくて、開いたドアの前の廊下で右往左往していると、「早く入れ」とこれまた驚くほど擦れた声をアスマが出した。
「お邪魔します」
座り込むアスマを
「…………」
「…………」
「……アスマ、寝るならベッドで寝なきゃ」
「……るせえ」
「そんなとこで寝たら体痛くなるってば」
「……連れてけ」
「無理だよ! 重いもん!」
「じゃあ、ここでいい」
「ダメだってば!」
我儘というより子供の甘えみたいな事を口にするアスマは、本当にいつもの感じが全然ない。
「
「ベッドで寝なよお」
らしくないその姿を、可愛いと思ってしまう。
「ダリい」
「風邪ひくってば!」
何を言っても動きそうにないアスマの頭近くにしゃがみ込んで、少しだけ左に傾けられた顔を覗き込むと閉じてた瞼を開けられた。
「……何だよ」
不貞腐れた態度で掠れた声を出すアスマに、
「顔、ちょっと赤いね」
クスクス笑いながらそう言ったら、アスマは「うるせえ」ってまた目を閉じる。
泥酔してても頬が赤くても、綺麗な顔。
色白だから頬の赤さが余計に目立つんだろうけど、それがまるで頬紅付けてるみたいで綺麗だと思う。
「ねえ、アスマ」
「…………」
「さっきまでシャンとしてたじゃん?」
「…………」
「何で家だとシャンとするの?」
「…………」
「お父さん怖いの?」
「…………」
「でもさ? さっきシャンとしてたって事は出来るって事だよね?」
「…………」
「って事は、今も出来るって事だよね!?」
「……出来ねえからここにいるんだろ」
「何で!? さっき出来てたじゃん!」
「出来てたんじゃなくて、しなきゃなんねえだけだ」
「でも出来てたじゃん!」
「出来るのと、しなきゃなんねえのとは違うだろ」
「何で? 出来る事は出来る事でしょ?」
「必要に迫られて無理しただけだ。今は無理する必要ねえだろ」
「え? でも出来るんでしょ?」
「だから……あれだ。火事場のクソ力ってのと一緒だ。出来る訳じゃねえんだよ」
「あっ、なるほど」
「…………」
「って事はやっぱりお父さんが怖いの?」
「んあ?」
「お父さんに怒られたら怖いからシャンとするの?」
「怖くねえよ」
「じゃあ、何でシャンとするの?」
「…………」
「ねえ、何で?」
「…………」
「何で? 何で?」
「……うぜえ」
「だって、怖くないならする必要ないじゃん!」
「……世間体だ」
「せけんてい?」
「檀家に対しての
「『だんか』って何?」
「辞書引け」
「え!?」
「うるせえ……。寺に属してる家の事を檀家っつーんだよ」
「他の家が?」
「ああ」
「その人たちへの体裁?」
「あと、近所とか……」
「アスマ、そんなの気にするの!? やっぱお寺だから!?」
「寺は関係ねえだろ」
「へ?」
「世間体だの体裁だの気にすんのは寺がどうこうじゃなく、『家族』だからだろ」
「家族だからって何で?」
「……説明面倒臭え」
「頑張って!」
「…………」
「頑張って説明して!」
「…………」
「アスマ頑張って!」
「…………」
「アスマ、ファイト!」
あたしの応援に大きな溜息を吐いたアスマは、本当に体がダルいのか床に転がったままで。
「家族っつーのはそういう存在だ」
それでも随分と呂律の回りがよくなった口調で、話し始める。
「そういうってどういう?」
「唯一、当人のした事がまんま評価として反映するだろ」
「意味分かんない」
「例えばお前が殺人を犯したとしたら、それはお前だけの問題じゃねえだろ」
「うん?」
「家族までそういう目で見られんだろうがよ」
「あ……うん」
「何してもそうだ。いい事も悪い事も、何をしても当人の行動がそのまま家族の評価になんだろ。嫌だ嫌だと思っても世間はそうだ」
「うん」
「だからだよ」
「つまりアスマは家族思いって事?」
「違え。最低限の事してるだけだ」
「最低限?」
「近所の人に会ったら挨拶すんのと同じレベルだ」
「あっ、でもそうだよね! 本気の本気で体裁とか考えてるなら、激しく女遊びしたりしないもんね!」
「ほっとけ」
「でもさ!? そういう評価っていうのは、家族だけじゃなく恋人だってじゃない? 恋人が犯罪犯せばそういう目で見られるじゃん!」
「でも別れられんだろ」
「うん」
「別れりゃ『元』だろ。『元』なら痛くも痒くもねえんだよ。お前も浮気したあの彼氏が今頃何しててもお前には関係ねえだろ」
「うん」
「でも家族は何があっても縁が切れねえんだよ」
「そっか」
「だから、世間体を一番気にしなきゃなんねえんだ。世間体だの体裁だのは自分の為にあるんじゃなくて、家族の為にあんだよ」
「うん」
「……喋りすぎた」
「ちょっとは目が覚めた?」
「計画通りですって言い方すんな」
呆れた声を出しながら、それでも多少は目が覚めたらしいアスマは、心底気だるそうではあるものの、ゆっくりと体を起こして立ち上がり、
「ジュース取ってくれ」
ベッドに行くなら自分で取れる距離にあるのに、冷蔵庫に目を遣りノシノシとベッドに向かっていく。
それでもベッドに行ってくれるだけマシだと、冷蔵庫からジュースを取り出したあたしは、ベッドに辿り着くとすぐそこに倒れ込みぐったりとしたアスマに手渡しながらふと思った。
体裁を気にするアスマの話を聞いて思った事。
それはきっと間違ってないんじゃないかと思う。
そう思うとアスマを迎えに来る前に感じてた何とも言えない重い気持ちがスッと浄化されたように消えていくのを感じる。
「ねえ! アスマ!」
「……あんだよ」
うつ伏せに寝転んだまま器用に炭酸ジュースを飲んでいたアスマは、口から缶を離しうざったそうにこっちを見る。
「あのね!? アスマが女の人に家を教えたくないって聞いたんだけどさ!?」
「スガにか」
「うん! で、それって女の人が勝手に家に来ちゃ嫌だからって聞いたんだけどね!?」
「ああ」
「それも体裁とか世間体?」
「ああ」
「だよね!」
「あ?」
やっぱりそうだって分かった途端、物凄く気持ちが軽くなって、自分でも分かるくらいに満面の笑みを浮かべたあたしを、アスマは不可解だって表情で見ていた。
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