酔っ払い悪魔
「なあんでお前が」
アスマの第一声はそれだった。
訳の分からない感情に戸惑いながら、それでもすぐに気持ちを切り替えて、スガ先輩から地図を受け取り、アスマの地元へと向かった。
駅を降りた頃にはすっかり陽が暮れていて、スガ先輩の地図も分かり辛いから迷いながらそこに辿り着いた。
飲み屋さんが建ち並ぶ路地から少し離れた場所。
ポツンと佇む小さいお店の入口には、『吉四六』と書かれた看板がある。
その看板の横には、『準備中』の札。
それでも気にせずドアを開けると、カウンターの中にアスマよりちょっと年上っぽい男の人がいた。
「あの、アスマ……いますか?」
おどおどと声を掛けたあたしに、男の人は少しだけ微笑むと店の奥を顎で指す。
指された方へと視線を向けると、一番奥のテーブル席に、見るからに泥酔してるって感じありありの男の人が三人いた。
あたしから正面に見える男の人はふたり。
ひとりはテーブルに突っ伏してて、もうひとりは後ろの壁に頭を付けて天井を見上げてる。
ピクリとも動かない感じからそのふたりが寝てる事は確実。
そのふたりの正面。
あたしからは
ゆっくりと近付くあたしの胸は何でか妙にドキドキしてて、
「……アスマ?」
衝立から覗き込むように顔を出すと、椅子に片足を上げ、煙草を吸うアスマの姿が目に入る。
あたしの呼び掛けにアスマの視線がゆっくりと動く。
その何もかもを吸い込んでしまいそうな漆黒の瞳が、形容しがたい色気を纏ったままあたしに向けられ――。
「なあんでお前が」
「なあんでお前がここにいんだよ」
フラフラと頭を揺らすアスマの目は笑っちゃうくらいに
「何でってアスマが呼んだんじゃん。迎えに来いって」
「呼んでねえよ」
記憶喪失まで起こしてるらしかった。
「呼んだよ! 電話してきたじゃん!」
「電話だあ?」
「そうだよ! さっきしてきたんだよ!」
「んああ?」
「『きちょに迎えに来い』って電話してきた!」
「ばーか、俺が呼んだのはお前じゃなくて――ああ、お前に掛けてる。間違えた」
スマホの発信履歴を見ながらおっとりとした口調でそう言ったアスマは、あたしに視線を戻すと「間違いだ、間違い」と繰り返す。
だけど視点が合わせられないくらいに酔っぱらってるらしいアスマの目は、あたしじゃなくもっと後ろを見てて、それがまた可笑しかった。
「アスマ大丈夫?」
「な訳ねえだろ」
「だいぶ飲んでる?」
「かなり……二十時間くらい……」
「はい!?」
「たいきゅう勝負だ、たいきゅう勝負」
「耐久って……他の人寝てるじゃん」
「なら、俺の勝ちだなあ」
「っぽいね」
「ああ、やべ……もうやべえ……」
「じゃあ、帰ろうよ。送ってくから」
「なあんでお前がここにいんだよ」
「だから呼ばれたんだってば!」
「呼んでねえよ」
「間違えたんでしょ!? もう分かったから、ほら立って!」
「なあんでお前が」
「分かったって!」
「お前ここでなあにしてんだよ」
「分かったってば!」
どうしようもないくらいぐでんぐでんのアスマの腕を掴んで、無理矢理立たせようとしても女のあたしじゃ到底無理で、
「アスマ立って!」
「なあんで」
手に負えないって思いながら、普段からは想像出来ないアスマの姿に、こんなところが見れて嬉しいって思ってしまった。
「アスマ眠いでしょ!?」
「眠てえ」
「んじゃ、家に帰ろうよ」
「歩くのが面倒臭え」
「引っ張ってってあげるから!」
「んー」
「ね!? ほら立って! ふかふかの布団が待ってるよ!」
「布団……」
三分の二は閉じちゃってる瞼で、それでも何とか立ち上がったアスマは、その途端にフラッと足元をフラつかせ、テーブルに手をつく。
だけどその手の力さえももう無くなっちゃってるらしく、そのままテーブルの方に倒れそうになったアスマを、あたしは慌てて全身で支えた。
「アスマお酒臭いいいい」
「うるせえ」
「臭いいい」
「飲んでんだから仕方ねえだろお」
「重いいい」
「歩けえ」
「ええ!?」
「このまま歩けえ」
「無理いい!」
正面からアスマを抱きかかえた所為で、その重さに背中が海老反り状態のあたしに、アスマは「さっさと歩けえ」って呂律の回らない口調で命令してくる。
こんなのどうしようもない。
あたしにどうにか出来る訳ない。
だからもうここに置き去りにして帰るしかないのかって思った直後。
「タクシー来たぞ」
カウンターの方から声が聞こえて振り向くと、さっきの男の人がこっちに向かって歩いてきてた。
「タクシー……?」
「迎えが来るか分かんなかったから、呼んであったんだ」
無愛想って訳じゃないけど、お店の人にしては愛想のないその男の人は、あたしの背後で足を止めると、アスマの腕を掴んだ。
「タクシーまで連れて行く」
あたしを一瞥してそう言った男の人は、グイッと片手でアスマを引っ張り、肩に腕を回すと半分引きずりながら歩いていく。
その後ろをついて行きながら、タクシー代はどうしようって考えてた。
ここからアスマの家までそんなにお金は掛からないと思うけど、財布の中にはもう帰りの電車賃くらいしか入ってない。
到底タクシー代を払える金額じゃなく、だからってアスマがお金を払ってくれる状態じゃないのは確かで――。
「家に着きゃシャンとする」
あたしの考えを知ってか知らずか、男の人はアスマをタクシーに押し込むと、振り返りそう告げた。
「シャンと……ですか?」
「ああ。部屋までは自力で歩けんだろうよ」
「えっと……じゃあ……」
「んでも一応ついてってやってくれ。もしもって事がある」
「あ……はい」
「家に着いてもこの状態なら」
「この状態なら?」
「本堂行って親父さん呼べばいい」
「え……」
思わず言葉に詰まったあたしに、男の人は不敵に笑い、タクシーの中を指差す。
後部座席のアスマは、向こう側の窓に頭を付けて既に眠ってて、
「まあ、九割大丈夫だ」
男の人はそう言うと、さっさとお店の中に戻っていった。
事前に男の人が行く先を告げてくれていたらしく、あたしが乗り込むとタクシーはすぐにアスマの家の方角へ走り出した。
家に着いたらシャンとするって言葉を鵜呑みにした訳じゃないけど、何となく、本当に何となく、そうなるような気がした。
今までのアスマの行動からして、品行はよくないにしても、家族に迷惑を掛けないという事だけは心掛けてるらしい。
――もしかしてアスマのお父さんは怖いんだろうか。
お坊さんって優しいってイメージと、怖いってイメージがある。
「喝っ!」って棒で背中だか肩だかを叩くお坊さんは怖そうだし、アスマのお父さんもそんな感じなんだろうか。
そんな事を考えてたら妙に怖くなった。
何にもしてないけど怒られるんじゃないかって、変な事ばかり考えてた。
チラリと向けた視線の先には気持ち良さそうに眠るアスマ。
呼吸と一緒に上下する体の動きを見て、本当に起きるんだろうかと、また急に不安になった。
あたしの不安を乗せたタクシーは雑木林の坂道を上がって行く。
起きなかったら本当にお父さんを呼ばなきゃいけないのかとか、でも呼ばなかったらタクシー代が払えないとか、モヤモヤと考えてる内にタクシーはお寺の大きな門の前で停車した。
「着きましたよ」
バックミラー越しにこっちを見るタクシーの運転手の目が冷たい。……気がする。
これもきっとあたしの受け止め方だか見え方の問題なだけなんだろうけど、「さっさと金払え」って催促されてる気がしてならない。
だからアスマの肩に手を掛けて、軽く数回揺すったのに、アスマは起きるどころか「うん」とも「すん」とも言わず、スースーと寝息を立てたまま。
これは……まずい。
色んな意味で厄介。
お金はないし、アスマは起きないし、本堂に行ってお父さんを呼んでくるにしても何をどう言えばいいのか分からない。
お父さんに「あんた誰だ」って聞かれてもどう説明していいのか分からないし、やっぱりどう考えてもお父さんを呼びになんて行けない。
「ア、アスマ!」
ハラハラするあたしに、バックミラー越しの運転手さんの視線が突き刺さる。
「アスマってば!」
結構な力で肩を叩いてみてもアスマは起きる気配がない。
「アスマ起きて!」
「…………」
「もう着いたよ!」
「…………」
「着いたんだってば!」
「…………」
「ねえ、アスマ!」
「…………」
「家に着いたよ!」
「……んっ」
「家」の一言でようやく声を出したアスマは、閉じていた瞼をスッと開くと、無言でポケットから財布を取り出す。
これが今の今まで爆睡してた人の動きかってくらいに機敏に動いたアスマは、運転手さんにお金を払うと「下りろ」とあたしを急かした。
奇跡――にしか思えなかった。
さっきまでのアスマの状態からは考えられない動きのよさに、タクシーを降りて茫然としていると、まだ少しだけ足元をフラつかせながらタクシーから降りてきたアスマは、まるで気合いを入れるように大きく深呼吸をしてお寺の門へと振り返った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。