第七話 永遠って何?

変化



 きっとこの頃から、あたしの中で変化が始まってたんだと思う。





「オイッス! オイッス!」


 聞き慣れた声の方へ顔を向けると、開いたドアの向こうからスガ先輩が入ってくる。



「スズじゃねえか! 久しぶりだな!」


 あたしを見つけたスガ先輩は満面の笑みで、



「何で最近来なかったんだよ?」


 今までと変わりなく、近くに腰を下ろす。



 そんなスガ先輩から視線を逸らし、今の今まで読んでいた雑誌に目を向けながら、あたしは「うん」と曖昧な返事をした。



 親と喧嘩して家出して、アスマの家に泊めてもらってから数日。



 スガ先輩とアサミ先輩が抱き合ってるのを見た日から、来なかった「巣穴」に来たのには理由がある。



 事は単純、ただの約束。



 アスマとの、大事な約束。



 アスマの家に泊めてもらった翌日、アスマに言われた通り家に帰ろうとしたあたしに、アスマは言った。



「『巣穴』に行け」と、「お前にとっちゃ大事な場所だろ」と、「大事な場所を簡単に手放すな」と。



 それでもやっぱり行き辛いから、「うん」とも「ううん」とも答えなかったあたしに、アスマは「『巣穴』じゃねえならもう話は聞かねえ」と言い放った。



 それは当然と言えば当然の事で、そもそもあたしが「巣穴」の人間だからアスマは渋々ながらも構ってくれてた訳で、「巣穴」じゃなくなればあたしになんて構う必要はない。



 そう分かってるけど結局行動に移すまでに時間が掛って、今に至る。



「巣穴」に行ってるか行ってないかなんて、アスマには確認出来ないんだし、嘘吐けばどうとでもなると思った。



 けど、何でかアスマには嘘を吐けない。



 というよりは、吐きたくない。



 アスマはあたしの質問に、思ってる事を嘘偽りなく答えてくれる。



 そんなアスマに嘘を吐く事は裏切ってる事になる気がした。



 だから。



「何だ? 元気ねえな。何かあったか?」


 いくら顔が合わせ辛いって思ってても、心配そうに顔を覗き込んでくるスガ先輩と、今まで通りにしなきゃいけない。



「何にもない! 大丈夫!」


「ならいいけど」


「心配ないない!」


「そっか」


「そうそう! 全然心配ない!」


「…………」


「何の問題もない!」


「…………」


「めちゃくちゃ元気!」


「……おい、スズ。何かあったろ」


「ないってば! ないって言ってんじゃん!」


「いや、怪しい。言い方が白々しいにも程がある」


「あ、怪しくないよ!」


「まさかアスマさんと何かあったとかじゃねえだろうな?」


「は!? 何でアスマ!?」


「スズ、まさかお前アスマさんに――」


「アスマには何にもされてないよ!」


「…………」


 やっぱりどうしてもおかしくなってしまう態度に、スガ先輩の疑いの眼差しが向けられて、



「本当だもん! お泊りしても何にもなかったし!」


 その疑いの矛先がアスマの事で良かったってホッとした。



 ――のも束の間。



「何だと!?」


「え!? 何!?」


 突如大声を出したスガ先輩にぶったまげた。



「今、何つった!?」


「え!?」


「今、何て言ったんだって聞いてんだよ!」


「何て言ったっけ!?」


「アスマさんと泊まったって言ったか!?」


「い、言ったっけ!?」


「言った! 言ったぞ!」


「じゃ、じゃあ言ったのかも!」


「泊まったのか!?」


「泊まったと思う!」


「何で曖昧なんだよ!?」


「だってスガ先輩怒ってて怖いんだもん!」


「正直に言え! アスマさんと泊まったのか!?」


「泊まった!」


「どういう事だ!?」


「どういう事ってどういう事!?」


「何でアスマさんと泊まってんだって聞いてんだよ!」


「い、家出したから!?」


「はあ!?」


「お、親と喧嘩して家出して、それでアスマに――」


「どうしてそこでアスマさんなんだ!?」


「どうしてって……さぁ?」


「まあいい! それはいい! そんな事より泊まったってお前まさか――」


「だから、何にもない! 何にもしてないし、されてない! アスマの家に泊めてもらっただけ!」


「何だとう!?」


 更に大声を出したスガ先輩は物凄い形相で、驚きと困惑と焦りにを混ぜ合わせたような顔をする。



 だけどそこに怒りの感情はない。



 だから決して怒ってるって訳ではなく、



「アスマさんの家に泊まったって言うのか!?」


 心配してくれてる……んだと思う。



「う、うん。アスマの家」


「アスマさんの家ってあれだぞ!? あそこだぞ!?」


「うん。お寺」


「マジかよ!?」


「マジ」


「マジで行ったのか!?」


「うん。マジで行って泊まった」


「……そうか」


「うん。って、スガ先輩どうしたの?」


 急に勢いを失くしたスガ先輩は、まるで憐れんだような目であたしを見つめ、



「スズ……可哀想にな」


「え!?」


 両眉をこれでもかってくらいに垂れさせて、何故か肩をポンッと叩いてくる。



「確かにそうなると困るとは思ったけど、これはこれで……」


 ブツブツと呟くスガ先輩に、「何が!?」って聞こうとしたその時、ポケットに入れてマナーモードにしてあったスマホが大きく振動して、驚きに体が震えた。



「……え?」


「ん?」


 ポケットからスマホを取り出し画面を見たあたしの反応に、スガ先輩が画面を覗き込もうとする。



 そんなスガ先輩をスッと交わし、そそくさと距離を取ったあたしは、通話ボタンを押してスマホを耳に押し当てた。



 直後に微かに聞こえてくる、数人の話し声。



 それに混じって聞こえる、



『ああ、俺……』


 力無いアスマの声。



 半分眠ってるような、ぐったりとしたその声に、何かあったのかと焦ったあたしに、続けられるアスマの言葉は、少々意味が不明だった。



『きちょ……むかえ……こい……』


「え?」


『きちょだ、きちょ。昨日から……ずっと……飲んでんだよ……もう無理だ……』


「はい!?」


『すぐな、すぐ――』


「え!? ちょ、ちょっと待って! アスマ!?」


 必死の呼び掛けむなしく通話を切られて、握り締めたスマホを茫然と見つめる事しか出来ず。



「……『きちょ』って何?」


 いつもは答える側のアスマから疑問を作られどうしていいのか分からなくなった。



 全くもって分からない。



 ヒントらしいものもない。



 だけど迎えに来いって言ってる。



 ……「きちょ」とやらに。



「……スガせんぱあい」



「ん?」


 この状況じゃ頼れる相手は1人しかいないと、振り返った先にいるスガ先輩をすがるように見つめ、



「『きちょ』って何ですかあ?」


 半分泣きそうになりながら質問すると、「きちょ?」とスガ先輩が繰り返した。



「今のアスマからの電話で……」


「アスマさんから?」


「昨日から飲んでてもう無理だから迎えに来いって……」


「ああ、そりゃ『吉四六きっちょむ』だ。アスマさんの知り合いがやってる居酒屋だ」


「吉四六か! 場所は……?」



「アスマさんの地元だけど、マジで迎えに来いって?」


「はい」


「スズに?」


「電話でそう言ってて……」


「んー、スズ行かせて意味あんのかなあ? まあアスマさんがそう言ってんならいいか。地図書いてやるからちょっと待ってろ」


「…………」


「何だよ? 何でジッと見てんだよ?」


「スガ先輩が気持ち悪い!」


「気持ち悪いだと!? 何が気持ち悪いか! どこが気持ち悪いか!」


「だって止めないんだもん! いつもはアスマの事になるとムキになって止めるのに!」


 すんなりアスマの所に行かせてくれようとした上に、地図まで書こうという優しさまでみせたスガ先輩を、逆に気持ち悪いと思ってしまう。



 でもあたしの言葉にニヤリと口角を上げたスガ先輩は、



「もういいんだ。マジでアスマさんがスズの事、女と思ってねえって分かったからな」


 そう言うと近くにあった紙にペンで地図を書き始めた。



「そ、それって……意味分かんない」


「ん?」


「アスマがあたしを女と思ってないって……」


「ああ、家だ家」


 地図を書きながらこっちも見ないで話し続けるスガ先輩が、何だか凄く意地悪く見える。



 でもそれが「そう見える」だけだという事にどこか気付いてた気がする。



「家って……?」


「アスマさん、女に家教えんの嫌なんだよ」


 きっとスガ先輩はいつもと変わらない。



「お寺だから……?」


「いや、寺は関係ねえ。何つーか、女って勝手に会いに来たりすんだろ? ストーカー的に」


 問題はスガ先輩にある訳じゃなく。



「…………」


「だから絶対え女に家教えねえんだ。そういう事されんのマジでウザいらしい」


 あたしの受け止め方……しくは、見え方にある。



「……へえ」


「それでもスズを連れてったって事は、スズを女だと思ってねえっつーか、そういう対象にはしてねえって事だろ」


「…………」


 何故だかズシン重くなる胸は、微かに息苦しさも感じさせる。



 言われてる内容がイチイチ胸に引っ掛かって全身を駆け巡る。



「ってな訳で、俺としても安心だって事だ。よし、出来た。スズこれが吉四六の地――どうした!?」


「……え?」


「何かしょぼくれてねえ!?」


「そんな事……ない……」


 この時のあたしは、その感情の正体をまだ見出せていなかった。



 自分の中で起こってる変化に気付いてなくて、まだ心と思考がバラバラで、自分で自分が分からなかった。

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