第六話 勉強って何?

人様のご意見


「じゃあ、勉強って何?」


「そう言うだろうとは思ってたけど、実際言われると滅茶苦茶うぜえな」


 暗闇の中モソモソと動く人影は、それでも立ったり座ったりする事なく寝転んだままで。



「だ、だってね!? あたしの言い分は正しいと思うんだ!」


 四つん這いでアスマのベッドに近付くと、「言い分?」と低い声が返ってくる。



 その声に誘導されるようにベッドの脇まで辿り着いたあたしは、そこに腰を落ち着けて口を開いた。



「親にも言われたってか、よく言われるんだけど、『勉強しろ』って言われる度に思う事があるの」


「…………」


「勉強って言ってもさ? 学校で教わる事って実際社会に出ても使わないじゃん!?」


「…………」


「方程式とか漢文とかさ? そりゃそういう専門的方面に進む人には重要かもしれないけど、普通に生活してれば使わないでしょ!?」


「…………」


「アスマ使う!? 普段英語で文章書いたりする!?」


「いや」


「でしょ!? じゃあ、学校で勉強してる事なんて無駄だと思うんだよね!」


「…………」


「ね!? あたしの言い分正しいでしょ!?」


「…………」


「でも、それを言ったら殴られた」


「…………」


「殴り返したけど!」


「…………」


「そしたらまた殴り返されたんだけど!」


「それは聞いた」


「うん。でも何回も言いたいくらいムカついてる! だってあたしが正しい事言ったからって、悔しいのか何か知らないけど、殴る事ないじゃんねえ!?」


「…………」


「『分かった風な口聞くな!』って殴るんだよ!?」


「…………」


「でね!? 結局そうやって学校で教わってる勉強は将来役に立つ訳でもないから、学校辞めるって言ったのね!?」


「…………」


「そしたらまた殴られた!」


「…………」


「殴り返したけど!」


「…………」


「更に殴り返されたんだけど!」


「…………」


咄嗟とっさに手で防御したら、手にグーパンチがクリーンヒットしてこんな事に……」


 そう言いながらアスマの方に突き出した手には、あざがくっきり出来てる。



 さっき自動販売機の前でお金を差し出した時、アスマが一瞬反応したのはそれの所為。



 だから今更アスマの方に手を突き出したところでアスマは知ってるし、この暗さじゃ見えないんだけど、



「ね!? 痛そうでしょ!? 痛いの!」


 被害の酷さを伝えるべく、アスマの目の前でプラプラと揺らしてみせた。



 けど。



「…………」



 アスマは何にも言わない。



 同情する事も、賛同する事もなく、黙ってこっちを見てる。……と思う。



 微かに感じる視線と、静まり返った部屋。



 どうして何も言ってくれないのかと、もしかして寝ちゃったんじゃないだろうかと、



「アスマ?」


「何だよ?」


 掛けた声に反応があってホッとした。



 だけどその反面、やっぱり黙ってるって事に不安を感じる。



 いつもはベラベラと持論をくのに、何故か黙り込んだままで。



「……何で黙ってんの?」


「んあ?」


「何で何も言ってくれないの?」


「何を言えって?」


 あたしの問い掛けにもいまいち反応が薄い。



「何をって……いつもみたいに……」


「言う事ねえし」


「え!?」


「もう寝るぞ」


「え!?」


「うるせえ」


「ちょ、ちょっと待ってよ! アスマ!」


「……何だよ」


「何で言う事ないの!?」


「俺が言う事ねえだろ」


「何で!?」


「そういう話は学校でセンセーに聞け」


「何で!?」


「俺の許容範囲じゃねえんだよ」


「え? 何範囲!?」


 聞き返したあたしに、「はあ」って大きいアスマの溜息。



 分かる。



 もう分かる。



 今日はやけに重いその口を、アスマがやっと開き始めるって事が。



「学校の勉強が今後どう役に立つかなんて事、俺が知る訳ねえだろ。そういうのは教えてる本人に聞いてこい」


「え……」


「俺は役に立たねえとは言い切れねえし、立つとも言い切れねえ」


「うう……」


「何があるか分かんねえだろ。絶対なんてもんこの世にはねえんだから」


「そう……だけど……」


「だから言う事はねえんだよ」


「で、でもさ!? 何でそんな役に立つか立たないか分からないもの勉強しなきゃいけないの!?」


「もしもの場合に備えてとかじゃねえの? 知らねえよ」


「でもでも! 絶対に——とは言えないけど、明らかに役に立ちそうにない授業だってあるじゃん!」


「まあな」


「でしょ!? そうでしょ!? なのに勉強って――」


「ただ、それはお前が言う事じゃねえ」


「へ?」


「お前が言うとまた意味が違ってくる」


「……意味?」


「お前のはただの言い訳」


「言い訳?」


「勉強したくねえって事を、『役に立たないからしなくていいはずだ』って言い訳してんだよ」


「そ、そんな事ないもん!」


「あっそ」


「『あっそ』って、何その言い方!」


「そうじゃないっつーならそれでいいんじゃね?」


「何でそんなに投げやりなの!?」


「聞く気ねえやつに話してるほど暇じゃねえんだよ。つーか眠いっつってんだろ?」


「聞く気あるじゃん! さっきから聞いてんじゃん!」


「そうじゃねえよ、マジで頭悪いな」


 面倒臭そうに言葉を吐き出したアスマは、突然大きく動き出す。



 何事かと体を強張らせたあたしの方に、何かが伸びてくる気配がして、



「何!?」


「そこに煙草ねえか?」


 ペタペタと床を手で触る音を聞いて、あたしも近くを手で探ると、指先に煙草の箱が触れた。



「煙草あった!」


「よこせ」


 目の前に手を伸ばしてきたアスマに、掴んだ煙草を渡すとすぐ、アスマは箱から煙草を出しライターに火を点ける。



 暗い部屋にポウっと灯りがともり、火の向こうにいるアスマの顔がはっきりと見えた。



 何度見ても見惚れてしまうほどの色気を纏い、アスマは煙草に火を点ける。



 そしてすぐに火は消され、また部屋を闇が覆う。



 それでもさっきよりも少しばかり明るいのは、煙草の先端にある赤い火種のお陰。



 ふうっと煙を吐き出す吐息の後、アスマの煙草独特の匂いが届き、その匂いに妙にドキドキしてしまった。



「人の意見っつーのは、状況とか状態によって受け取り方が変わってくんだろ」


「へ?」


 ぼんやりと火種を見つめていたあたしは、突然のアスマの声にきょとんと返事をして、



「例えばこの間の『友達』の話にしてもだ」


「あっ、うん」


 それがさっきの話の続きなんだと理解するのに数秒かかった。



「あの時は、お前があんな状況だったから俺の話を聞けただけだ」


「あんな状況?」


「もしあんな事がなくて、スガにもマサキの女にも疑念を持ってなかったら、俺の話聞いても否定的だったって事だよ」


「そう……なの?」


「ああ」


「よく……分かんない」


「『友達』を疑ってる状態だったから、俺の言う事が『助け』になったって言ってんだよ。『友達』を信じてる状態だったら、俺の話に納得出来ねえ。つーか、したくねえって思うはずだ」


「……うん」


「結局、人の意見っつーのは、どんだけ個人的なものだとしても、聞く時の状況とか事情とか状態によって受け取り方が違ってくる」


「うん」


「だから、今のお前に何を言っても無駄だっつってんだよ」


「え?」


「今のお前は俺の話聞く状態じゃねえだろ」


「何で?」


「親がムカつくだの、自分は間違ってねえだのって思ってる時に、俺が思ってる事言っても『そんな事ない』で終わる。なら最初から言わなくてもいいだろ」


「…………」


「俺の意見はお前に同調する意見じゃねえ。でも今お前が欲しいのは、『そうだ』っていうなぐさめ的な同意の意見だろ」


「……分からない」


「分からないんじゃなくて、分かりたくねえんだよ。お前は間違ってねえって言って欲しいなら、他探せ」


「…………」


「つー訳で寝る」


「え!?」


「おやすみ」


「や、やだやだやだ!」


 あたしの抵抗虚しく、アスマはベッドの下に置いてあった灰皿で煙草を消して、再び部屋を真っ暗にした。

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