学校って何?


 お寺の敷地内。



 本堂って呼ばれる建物の離れに家がある。



 家も充分大きいって思える代物だった。



 その家の1階の一番奥の部屋。



 勝手口から入ってすぐにある部屋が、アスマの部屋。



 10畳ほどの洋室は、大きなベッドと本棚とローテーブルと小さい冷蔵庫。



 フローリングの床には雑誌が散らばってて、庭に面した腰丈窓がある。



「跡を継ぐのは兄貴だ」


 部屋に入ってすぐ、「アスマって将来お坊さんになるの?」って聞いたあたしに、アスマはベッドに腰掛けながらそう答えた。



「アスマってお兄さんいるの!?」


「ああ」


「お兄さんってどんな人!?」


「ああん?」


「アスマみたいに――」


 美形なの?――と、言いそうになったのを慌てて呑み込んだ。



 あんまりそういう風に見てるって思われたくない。



 そういう風な目で見てるって、他の人と同じっぽくて何か嫌だ。



 だから言葉を呑み込んだのに、アスマは一瞬眉を顰め、



「何だよ?」


 あからさまに訝しげな声を出した。



「えっと……」


「んあ?」


「だからその……」


「何だよ?」


「アスマみたいに……」


「俺みたいに?」


「……捻くれてんの?」


「上等」


 誤魔化したあたしをジロリと睨み、ベッドの枕元にある小さな冷蔵庫を指差したアスマは、



「ジュース入れとけ」


 それだけ言うとベッドに転がり大きく伸びをする。



「巣穴」とは違う男の部屋に少し緊張する。



 アスマと一緒にいるって事が更に緊張をあおってる気がする。



 何だか――妙に――落ち着かない。



「おい、聞いてんのか」


「え!?」


「ジュース入れとけっつってんだよ」


「あっ、う、うん」


「何だ、お前?」


「え!?」


「何緊張してんだ?」


「き、緊張してないしね!」


 図星を突かれたあたしの声は自分で思ってたよりも大きくて、



「静かにしろ!」


 すぐさまアスマが反応し、手元にあった枕を投げてきた。



 けるって事すら出来ないくらいの早業に、顔面に枕がヒットしたあたしは、それだけなら良かったものの、殴られた痕への打撃に痛みが走り、



「い――ッ!」


 それでも何とか声は堪えた。



「ああ、悪い。大丈夫か?」


「んっ、んっ」


「避けろよ」


「んっ、んっ」


「……痛えのか」


「んっ、んっ」


 自分でも涙目になってるって分かる顔を両手で覆ってもだえていると、アスマが近付いてくるのを気配で感じた。



大袈裟おおげさなんだよ」


 文句を言いながらあたしの手を掴んだアスマは、その手を離させると顔を覗き込んでくる。



 その、超至近距離で見ちゃったアスマの顔に、あたしの心臓が止まりかけた。



 怖い――と思った。



 まるで造り物のような整えられた顔に、怖さを感じた。



 端整な顔立ちの人はそれなりにいると思う。



 マサキさんだって整った顔してる。



 でも、ここまで至近距離に耐えられる顔って滅多にないんじゃないかと思う。



 近くで見ればあらが見つかる。



 鼻がちょっと曲がってるとか、左右の目の大きさが違うとか、髭の剃り残しとか。



 肌の艶だったり、毛穴の具合だったり、細かく見れば見るほど何かしら欠点っていうのはある訳で、それは仕方のない事。



 なのにアスマは間近で見れば見るほど、綺麗な顔をしてた。



「……冷やすか?」


「うん!?」


 思わずその美しさに見惚れていたあたしは、掛けられた言葉にビクッと体を震わせて、



「何ビビってんだよ。さっき言った事間に受けてんのか? 安心しろ。お前なんかに興味はねえ」


 気遣いだか嫌みだか分からない言葉を言われる羽目になった。



「……冷やせば治る?」


「マシにはなるんじゃね?」


「明日、顔腫れない?」


「普段から腫れてんのと変わんねえから心配すんな」


「…………」


「タオル冷やして持って来てやる」


「うん」


「その間に冷蔵庫にジュース入れとけ」


「……うん」


「何だよ?」


「人使い荒いね」


 嫌みを返したつもりだったけど、アスマは何とも思わなかったらしく、特に何かを言い返す事のないまま、立ち上がり部屋を出ていく。



 アスマがいなくなったあと、言われた通りにジュースを冷蔵庫に入れながら、アスマの匂いがする部屋にやけにドキドキしてしまった。



 ここで生活してるから当然といえば当然なんだけど、部屋中アスマの匂いがして、妙に体が熱くなる。



 これが世に言う「フェロモン」ってやつなんだろうか。



 何だかよくは分からないけど、毛穴から出てくるらしい「フェロモン」ってやつなんだろうか。



 匂いで体が――火照る。



 そんな訳の分からない、実態の知れない「フェロモン」とやらにやられたっぽいから、



「んー、気持ちいい」


 アスマが持ってきた冷たいタオルを顔に当てた途端に、至福の声が出た。



 アスマはあたしにタオルを渡すと、すぐにまたベッドに寝転んで、大きな欠伸あくびをする。



 眠いのかなって思った直後、



「電気消すぞ」


 予想外の報告を受け驚いた。



「え!?」


「んあ?」


「寝るの!?」


「疲れてんだよ」


「え!?」


「何だよ」


「あた、あたしは!?」


「ああん?」


「あたし、どこで寝んの!?」


「そこらで寝ろよ」


「床!?」


「外よりマシだろ」


「え!? じゃ、じゃあせめて布団貸して!」


「甘えんだよ。枕があるだけありがたいと思え」


「枕!?」


 聞き返したあたしにアスマは言葉で返事はせずに、さっき投げた、床に転がる枕を指差す。



 まさか床で寝ろなんて言われるとは思ってなくて、茫然と差された枕を見つめるしか出来なかった。



 確かにアスマの言う通り、外で寝るよりはマシかもしれない。



 だけどいくら何でも床でって、絨毯すら敷いてないのに……。



「…………」


「おやすみ」


 あたしの無言の睨みなんて気付きさえしないで、アスマはさっさと電気を消して、



「ね、ねえ」


「…………」


「アスマ?」


「…………」


「アスマってば」


「…………」


 最早あたしの呼び掛けにも答えてくれない。



「…………」


「…………」


 静かで真っ暗な部屋。



「…………」


「…………」


 聞こえてくる呼吸から、まだアスマが寝てないのは分かってる。



「…………」


「…………」


 だけどもう話をしないつもりなのは確かで、きっと何を言っても無視される。



 何を――言っても。



「ねえ、アスマ」


「…………」


「…………」


「…………」


「学校って何?」


「…………黙れ」


 それはまるで呪文のよう。



 唯一アスマを動かす呪文。



 それに効果があるのは、「本当に知りたい」って思ってる時だけ。



「学校って何?」


 繰り返した質問が、本当なんだと気付いたアスマの気配がゆっくりと動く。



 徐々に慣れてきた暗闇。



 ぼんやりと見える輪郭りんかく



 そして、痛いくらい感じる視線に、あたしは大きく息を吸い込む。



「あのね。親と喧嘩したのってなの」


「…………」


「成績が落ちてね。怒られたんだけど、売り言葉に買い言葉みたいになっちゃって」


「…………」


「『もう学校辞める』って言ったら殴られた」


「…………」


「殴り返したけど」


「…………」


「したら、もっと殴り返されたけど」


「…………」


「でもあたし、分かんないの」


「…………」


「義務教育は義務だから行かなきゃいけないのかも知れないけど……って、そもそも何で学校を義務にするんだろうって思ったりもする」


「…………」


「学校って大切なの?」


「…………」


「ねえ、アスマ。学校って何?」


 まるで独り言を言い続けてるような空間で、それでも言葉を止めなかったのは、アスマが聞いてるって分かってるから。



 少しだけ戻ってきた沈黙を、まず失くしたのは小さな溜息。



 そして。



「勉強するとこだ」


 お腹の奥に響くようなアスマの声。




 ――あたしは、学校じゃなくアスマから学びたいと思う。





 第五話 了

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