それぞれの事情


 あたし達の会話を邪魔したのは、そのタイミングで鳴ったアスマのスマホ着信音で、軽快なリズムにアスマの視線が逸らされた。



 火の点いた煙草を持ったまま、器用にお尻のポケットからスマホを取り出したアスマは、チラリと画面を見てからあたしへとその目を向け溜息を吐く。



 そして。



「――はい」


 スマホを反対側の手に持ち替え、煙草を咥えながら電話に出たアスマの声のあと、微かにスマホから漏れてきたのは女の甘ったるい声だった。



 それで分かった。



 アスマの言ってた「用事」が何なのか。



 正しくは最初からそうだろうとは思ってて、その電話で確信した。



 だからこのアスマとの時間はもう終わりだって、肝心な事は聞けてないのにって、残念な気持ちでいっぱいになったあたしに、



「1時間ほど遅れる」


 聞こえてきたアスマの言葉は信じがたいものだった。



 思わずアスマを凝視ぎょうしすると、アスマは片眉を上げて「何だよ」って表情をつくる。



 ここで下手な事言って、「いいの?」とか聞き返しちゃって、アスマの気が変わっちゃ嫌だから、無言で首を左右に振った。



 アスマの言葉に電話の相手は「分かった」って言ったんだと思う。



 アスマは「んじゃ、後でな」って言って電話を切った。



 そしてポカンとするあたしを見ると、



「ここでお前と別れたら、どういう事だってしつこく電話してきそうだからな」


 アスマは仕方ないって感じの声を出し、煙草を落として靴で踏みつけた。



「も、もちろんそうだよ」


「ん?」


「ここでバイバイされたら、電話しまくる」


「だろうな」


「出るまでずっと電話する」


「うぜ」


「メメッセージもいっぱい送るし、呪いとか掛けちゃう」


「マジうぜえな」


「だから教えて」


「ん?」


「マサキさんが取ったってどういう事?」


「ああ、それな」


「アサミ先輩とスガ先輩は付き合ってたの?」


「いや、付き合ってねえ」


「じゃ、じゃあ取ったってどういう意味!?」


「知らね」


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


「…………え?」


「だから詳しくは知らねえんだって」


「はい!?」


「俺が知ってんのは今俺が言った事だけ。それ以上は知らねえ」


「え!? でも取ったって——」


「聞いた」


「聞いた?」


「マサキからそう聞いた」


「え!? マサキさんから!?」


 次々と知らされる事実に、もうどう驚いていいのかすら分からず、自分でも分かるくらいに情けない表情を浮かべながらアスマを見つめた。



 アスマはそんなあたしを一瞥すると、



「笑ってたから大した事じゃねえんだろ」



 ジュースを飲み一息吐いたついでのようにそう呟いた。



「笑ってたってマサキさんが!?」


「ああ」


「笑って言ってたって事!?」


「ああ」


「スガ先輩からアサミ先輩を取ったって、マサキさんが笑って言ってたって事!?」


「そうだって言ってんだろう、さっきから」


「そ、それって笑うような事じゃないじゃん!」


「そうか? 話としては笑い話だろ」


「わ、笑い話って、全然笑えないんだけど!」


「何で?」


「な、何でって、マサキさんとスガ先輩は同じ地元の友達な訳だし、そりゃ確かにマサキさんの方が年上だけど、それでもみんな仲良くて」


「で?」


「だ、だからそんな相手の好きな人取ったりとか、それ笑って言っちゃうのって――ってか! 今日だってスガ先輩の前で平気でアスマがスガ先輩の好きな人取ったって言った!」


「ああん?」


「あれってアサミ先輩の話でしょ!? それなのにマサキさん、スガ先輩の前であんな言い方! 自分だって取ったのに!」


「お前、何をそんなに興奮してんだ」


「だ、だって!」


「汚ねえな、おい! つば飛ばな」


「ご、ごめん!」


「落ち着け、ガキ」


「落ち着いてらんないよ!」


「おい! 唾!」


「ご、ごめッ」


「何なんだ、お前は……」


「ごめんってば……」


 唾が飛んだらしいアスマの腕を服でゴシゴシ擦りながら、何だかとってもやり切れない気持ちになった。



 マサキさんの部屋でこっそりあんな事してたスガ先輩とアサミ先輩もどうかと思うけど、スガ先輩からアサミ先輩を取った事を笑っちゃうマサキさんもどうかと思う。



 みんな仲良しだって思ってたのに、実は結構裏では色々あって、表面だけで友達だって顔してるのが凄くやり切れない。



 アスマに聞いた話を、あたしは誰からも一度も聞いた事なくて、隠されてるって事が仲間外れにされてるって思えて凄く嫌な気持ちになる。



 何となく事情は――っていうより、あった出来事は分かったけど、誰の気持ちも誰の思考も分からなくて、結局アスマに話を聞いても納得は出来ない。



 やり切れない思いだけが残る。



 だからって当人達に直接聞く訳にもいかない。



 あたしが出来る事と言えば、



「何で急に黙ってんだよ?」


「……考えをまとめてる」


 それくらい。



 突然沈黙した所為か、アスマはあたしの顔を覗き見ると、その整えられた眉を顰めた。



 だけどすぐにいつもの表情に戻し、「あっそ」と言って立ち上がる。



 どうしたのかと見上げたあたしの視線の先で、アスマはジュースを手に持ちスタスタと歩き始めた。



「ア、アスマ!? どこ行くの!?」


「女に会いに」


「え!? だって――え!? 待って! 何で!?」


 パニックになるあたしに、アスマは足を止め振り向くと、



「考えがまとまったらメッセージで送れ。気が向いたら見る」


 気だるそうに呟き、「じゃあな」と踵を返した。



「え!? 待って! アスマ!」


 慌てて立ち上がりその背中を追い駆け、すぐに掴まえたあたしを、アスマは透き通るほど白く、美しい顔で見下ろす。



 吸い込まれそうな漆黒の瞳に、思わず言葉を失くすと、



「もう話がねえなら行くっつってんだよ」


 アスマはやっぱり気だるそうに言葉を吐き出した。



 異界からの使者は時間の猶予というものを与えてくれない。



 でもそれはそれで当然なのかもしれない。



 そもそもこうしてあたしの話を聞いてくれてるのが奇跡みたいなもので、端っから約束があったアスマに無駄な時間を過ごさせるのは間違えてる。



 だから本当なら「また今度話聞いて」って、アスマを解放しなきゃいけないって分かってる。



 分かってるのに、



「あ、あのね!? 全然まとまってないまま話してもいい!? それでも聞いてくれる!?」


 あたしは必死にアスマをこの場にとどめようとした。



 それでもアスマはその事に関しては嫌な顔はしなくて、



「手短にな」


 そう答えるとポケットからまた煙草を取り出し、もう少しあたしの為に時間をつくってくれると言動で示してくれる。



 どうしてアスマがそこまでマサキさんに義理立てするのかは分からないけど、この時ばかりはマサキさんの存在が物凄く大きいものに思えた。



「あたし、すっごいやるせないって感じになった」


「やるせない?」


「だってみんな仲良くて友達だって思ってたのに、アスマに聞いた話も驚いたけど、その事内緒にされてたって事が凄くショックっていうか」


「…………」


「でもやっぱりそれよりも、裏でそんな事があったっていうのが一番のショックで、それにスガ先輩とアサミ先輩は幼馴染で友達だって言ってたのに、だまされてたのが悲しいっていうか、悔しいっていうか――やるせない」


「ふーん」


「だってみんなおかしいよ! 友達なのにおかしいと思う!」


「別におかしくねえだろ」


「何で!?」


「友達なんてもんは、元々そういう軽薄なもんなんだから」


「軽薄って何で!?」


「んあ?」


「マサキさんの家から帰る時も言ってたけど、どうして友達って軽薄なの!?」


「軽薄だから軽薄だって言ってんだよ」


「ね、ねえ、アスマ」


「何だ?」


「友達って……何?」


 その時風がゴオッと大きな音を立てた。



 ……気がした。

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