第四話 友達って何?[後編]

苛立ち


 アサミ先輩とスガ先輩の間に何かあったらいいのに。



――そう思ってたのはただの妄想。



 アサミ先輩とスガ先輩の間に何かあったら面白いに。



――その程度の妄想。



 自分の事じゃないから面白おかしく妄想してた。



 むしろそれが真実じゃないから面白いと思えたのかもしれない。



 だけど、それは現実になった。



 マサキさんの部屋。



 ドアの向こうにいるアサミ先輩とスガ先輩は、どう見たって「抱き合ってる」としか言えない状況で。



 体調が悪いアサミ先輩を介抱してるだとか、転びそうになったのを支えただとか、そんな言い訳は何があっても絶対に通用しない。



 色んな思いが頭をぎる。



 一番に考えたのは、マサキさんの事。



 マサキさんはこの事を知ってるんだろうかとか、知ったらどうなるんだろうとか、急に戻ってきたらどうしようとか、本当に出掛けたんだろうかとか、本当は階下したにいるんじゃないだろうかとか。



 その次に浮かんでくるのは、どうしてこんな事になってるかって事。



 いつからそんな関係なのかとか、「そんな関係」ってどんな関係なんだとか、何のつもりでマサキさんの部屋でそんな事をしてるんだろうかとか、これをあたし以外に知ってる人はいるんだろうかとか。



 次々に浮かんでくる思考に、早くこの場から立ち去った方がいいと思いながらも、



「アサミ……」


「も……離して……」


 聞こえてくる会話とふたりの雰囲気に、完全に呑み込まれたあたしは、目を逸らせなかった。



 スガ先輩の手がアサミ先輩の髪を撫でる。



「離して」って言いながらも、アサミ先輩は自分から離れていく素振りは見せない。



 実際には大した時間が経過していなくても、もう何十分とずっとこうしてふたりが抱き合っているかのように思える。



 妙に静かな空間。



 階下から微かに聞こえてくるテレビの音。



「……アサミ?」


 聞こえてくるスガ先輩の声は切なく、



「……ん?」


 アサミ先輩の声は甘い。



 ドキドキと高鳴る鼓動は、見ちゃいけないものを見てしまったという興奮からなのか、ふたりが漂わせる甘い雰囲気の所為なのかは分からない。



 分からないけどスガ先輩の手が、アサミ先輩の髪を掻き上げた時。



 そしてアサミ先輩が顔を上げ、ふたりが見つめ合ったその時に、胸の高鳴りは最高潮に達した。



 その直後、あたしはソッとドアを閉め、一目散にその家を後にした。



 どうしてそうなったのか、何があってそうなったのか、いつからふたりはそんな関係で、あのふたりの間に何があるのか何も分からない。



 だけど。



 ショック――だった。



 物凄くショックだった。



 妄想してた時にはなかった感情が、夜の公道を走るあたしに湧き上がってくる。



 スガ先輩とアサミ先輩がマサキさんを裏切ってる事。



 その裏切りがあたし達をも裏切ってる事になるって事。



 どうしてふたりは皆を裏切って、どうして何も言ってくれなかったんだろう。



 あたし達は仲良しだと思ってたのに、確かにそんな事簡単に言える事じゃないだろうけど、せめてあたしだけには本当の事、教えてくれても良かったのに。



 もしその事を教えられても、絶対に誰にも言ったりしないし、もしかしたらふたりの相談に乗れたかも知れないのに。



 すっかりだまされてたって気持ちになって、凄く凄くショックだった。



 そのショックと同時に湧き上がってくるのは、内緒にされてた事への苛立ちだった。



 たったそれだけの事。



 周りから見るとそうかもしれない出来事に、あたしは涙が出るほど悲しかった。



 だから他の事なんて一切考えられなくて、受けたショックの大きさに平常心は吹き飛んで、



「教えて! 駅降りてからどっち方向!?」


 気が付けば“元”彼氏に電話して、そう喚いてた。



“元”彼氏が誰といようがお構いなしに、明らかに電話の向こうの“元”彼氏の後ろから『誰?』って女の声が聞こえてるのに、電話相手の“元”彼氏どころか、その女に聞こえちゃうくらいの大声を出したあたしに、



『は!? え!? は!?』


“元”彼氏はあからさまに戸惑い、困惑し、焦り――。



「アスマの家、どっち方向!?」


『あっ、えっと、ロータリー向いて南』



――それでもあたしの勢いに押されたのか、あっさり口を割った。



「ありがとう」も何も言わないで切ったその電話の後、“元”彼氏が近くにいたであろう女に何を言われたかは知らない。



 でも通話を切る直前、『電話誰から!?』って言った女の声が刺々しかった事を思うと、穏やかに終わる事はなさそうだった。



“元”彼氏に言われた通り、ロータリーを南へ向かい、あたしは明確な場所が分からないまま、アスマの元へと夢中で走った。



――アスマに会いたい。



 あたしの頭の中にはそれしかなくて、たった一度だけスガ先輩に連れてってもらったあの場所を必死に探した。



 大きな通りから入ったはずだと、とにかく大きな通りを探して、あの時見た記憶を思い出そうと一生懸命頭を働かせる。



 それでも、一度きりしか行った事のない場所に辿り着ける訳もなく、どこだか分からない場所で右往左往する羽目になり、



「……ここは……?」


 散々走り回って息も切れて、見知らぬ場所に立ったあたしは、ようやくそこで我に返った。



 アスマと会った場所がやけに暗かったっていう印象から、やたらと暗い場所を探してきたけど、ここは違う。



「…………」


 立っているのは、静まり返った工場地帯。



 辺りは真っ暗で、唯一あるのはポツンとたたずむ自動販売機の明かりだけ。



 大きな通りから来たはずなのに、今じゃその通りの明かりすら見当たらなくて、自分がどっちの方向から来たのかさえ分からなくなった。



「…………」


 これはまずいって思ったのは、アスマの言葉を思い出したから。



—―この後約束あんだよ。家帰って風呂入って出掛けなきゃなんねえ。



 あれからどれくらい時間が経ったのか分からないけど、アスマがもう出掛けてる可能性は高い。



 順調にアスマと会った場所に辿り着けてたとしても、会える可能性なんて殆どなくて、その上今は完全に迷子になってる。



 絶対無理。



 会える訳ない。



 電話して「迷子になったから迎えに来て」って言ったとしても、用事があるらしいアスマが来てくれる訳なんかないし、そもそももう出掛けてたら電話にも出てくれないかもしれない。



 そう思いながらも、近くにあった自動販売機の前にしゃがみ込んで、あたしはスマホを取り出し、教えて貰ったばかりのメッセージアプリのIDを使って通話をかけた。



 呼び出し音が、静かな空間に響き渡る。



 耳に当てなくても、周りに他の音がない事で、スマホから漏れるその音がやけにクリアに聞こえる。



 ドキドキした。



 どうしてなのか分からないけど、聞こえてくる呼び出し音に胸がおどり、



『――はい』


 突如呼び出し音が切れ、聞こえてきた低い声に、一瞬心臓が止まったかと思うほど大きくドキッとした。



「アス……マ?」


『誰?』


 呼び掛けたあたしの声は少しだけ震えてて、それに対するアスマの声は低く怪訝けげんな声。



「あた、あたし! スズ! スマホ画面に名前出てたでしょ!?」


『…………』


 名乗った途端に無言になられて、「スズ」だけじゃ分からないのかもという思いは、



「えっと……誰か分かる?」


『「巣穴」だろ』


 即座に返ってきた応えに、そうじゃないって理解出来た。



 声が低く小さいアスマは、多分怒ってる。



 しょっちゅう電話しないって約束したのに、すぐに電話したから怒ってる。



 用事があるって知ってるのに電話したから怒ってる。



 でも、今更通話を切る訳にもいかない。



 せめてこの迷子状態からは脱出したい。



 だから。



「ご、ごめん! 誰かと一緒!?」


 声の低さに焦りながらも問い掛けたあたしに、



『いや』


 アスマは消え入りそうな程の小さく低い声で答えた。



「あ、あのね!? とんでもない事になっちゃって!」


『…………』


「も、もちろん自業自得ってのは分かってるんだけど」


『…………』


「じ、実はアスマとさっき別れた後、色々あって――」


『ちょっと、待て』


 その言葉の最後は殆ど聞こえなかった。



 直後にザザザッて雑音がして、何事かと思うあたしに、ガサガサと何かがれるような音が聞こえる。



 そして。



『何だって?』


 暫くして聞こえてきたその声は、さっきまでとは違う、いつも通りのアスマの声だった。



「……アスマ?」


『何だよ?』



 突然いつものアスマに戻ったアスマは、



『さっきの聞こえにくかった。もう一回言え』


 その偉そうな感じもいつも通り。



 アスマの声の後ろに聞こえる、トーン、トーンっていう、夜のしじまに響く足音は、嫌に歩幅が広く、それだけで急いでる事はよく分かった。



 それでも――そんなに急いでても――通話してくれた。



 その上あたしの話を聞いてくれようとしてる。



 その事が、色んな感情が渦巻く今のあたしには凄く嬉しくて、アスマが怒ってなかったって事にホッと安心したら、何でか急に涙が出てきて、



『おい、聞いてんのか?』


 暫く続いた沈黙の時間にごうやしたアスマの問いに、「あ、あのね?」と出した声は涙声になっていた。



『何だよ、お前。泣いてんのかよ』


「こ、これは、ちがッ」


『泣いて電話してくんじゃねえよ、面倒臭え』


「ち、違う!」


『泣いてんなら切るぞ』


「アスマ、待って!」


『あん?』


「泣いてない! 風邪っぽいだけ!」


『…………』


「本当に泣いてないから切らないで! 用があるから掛けたんだし!」


『何の用だよ』


「ちょ、ちょっと時間ある?」


『は?』


「お願いがあって、」


『ない』


「あるの! それで出来ればちょっと会いたいなっていうか、迎えにきて欲しいっていうか――」


『時間がねえっつってんだよ』


「…………」


『今から出掛けんだよ。言ったろ、用事あるって』


「……うん」


『つーか、ソッコー通話してくるんじゃねえっての』


「だ、だからそれには事情があって——」


『俺の知ったこっちゃねえ』


「そ、そうだけど——」


『頼みがあんなら、スガかマサキに聞いてもらえ。俺の領分じゃねえ』


「そ、そういう訳にはいかなくて……」


『だから、俺の知ったこっちゃねえっつーんだよ』


「そ、そうなんだけども——」


『やっぱお前に連絡先教えたの間違いだった』


「ん?」


『大体お前は――』


「あれ……?」


『――何だよ?』


「ね、ねえ、アスマ。今、どこにいる……?」


『外だ、外。さっきから今から出掛けるって言って――お前!』


「アスマ!」


 ブツブツ文句を言うアスマの声が、携帯からなだけじゃなく実際に聞こえてきた事に気付いたのは、静かなその場所に響く足音に気付いた直後。



『何でお前がここにいるんだよ!』


 慌てふためいたその声は、少し離れた場所からと携帯から同時に聞こえ、それを認識した途端、あたしはアスマへと駆け出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る