「何が」とか「どこが」とか、そういうのは分からないけど、何となくアサミ先輩の態度に違和感を覚えた。



 アスマへの挨拶の言い方なのか、声の調子なのか、分からないけど違和感があった。



 その違和感に無言でアスマに視線を向けると、アスマはいつもの如くポーカーフえスで、ドア付近にいるアサミ先輩を一瞥するだけですぐにマサキさんに視線を戻す。



 挨拶し返すつもりはないらしい。



 マサキさんの彼女だからって、気を遣う素振りすら見せない。



 だから気の所為なんだと思った。



 隣にいる妖艶な異界の使者の態度が全く変わらないところに、感じた違和感は気の所為なんだと――何故か――ホッとした。



 妙な安心感にアサミ先輩に視線を戻すと、アサミ先輩はゆっくりとこっちに近付き、マサキさんとスガ先輩の間に腰を下ろす。



 少しだけマサキさんの方へ自然と傾けられるアサミ先輩の体の曲線を綺麗だなあと、女の色気を感じた。



 アサミ先輩は普段からも確かに色気はあるけど、それ以上に豪快ごうかいで、そういう部分を魅せ付けるような素振りはしないから、あんまり目に付かない。



 けど、マサキさんと一緒にいる時は違う。



 いつもの豪快さはなくなって、ただの女になってる。



「遅かったな」


「下でおばさんと会って話してたから」


 この部屋に集るメンバーの中で、唯一この家の家族と話が出来るアサミ先輩。



 普段アサミ先輩とマサキさんが一緒にいるのを滅多に見ないからそうは思わないけど、こういう時、やっぱりマサキさんの彼女なんだなあって改めて実感する。



 アサミ先輩とマサキさんはお似合いだと思う。



 スガ先輩とアサミ先輩の関係に、不謹慎な妄想抱いちゃったりしてるけど、こうして目の前でアサミ先輩とマサキさんを見ると、何でそんな妄想したんだろうって思う。



 こうやってたまにだけど仲がいいお似合いのカップルを見るから、あたしもそんな相手が欲しいって思ってしまう。



“元”彼氏の時だって、あたしとしては今目の前にいるアサミ先輩とマサキさんみたいな関係になりたいって思ってた。



 だけど所詮それは夢。



 あたしはアサミ先輩じゃないし、“元”彼氏もマサキさんじゃないから同じようには出来ない。



 それどころか浮気なんかされちゃって、本当バカみたい。



 だけどやっぱり憧れる。

 あたしもいつかこんな風に彼氏と――。



「おい」


「え!?」


 すっかり考えにふけっていたあたしは、隣から聞こえたアスマの声に顔を上げ、



「寄り掛かりすぎだ。重てえ」


「あっ、ごめん!」


 思いっ切りアスマの体に寄り掛かってた事に気付いて慌てて少し離れながら、またスガ先輩に何か言われるかと身構えた。



 だけどスガ先輩はチラッとあたしを見ただけで、もう喚いて大騒ぎする事はない。



 それを妙だと感じたのは気の所為。……なんだろうか。



「んじゃ、納車は再来月くらいで」


「ああ、頼む」


 マサキさんとアスマの、その会話がお開きの合図だった。



 あたしが来てから1時間程が経った頃、アスマが静かに腰を上げた。



「え? アスマ帰るの?」


「んあ? ああ」


 見上げたあたしに面倒臭そうに答えたアスマは、残ってた炭酸飲料に手を伸ばし喉に流し込むと、「ご馳走さん」とスガ先輩に顔を向ける。



 その一瞬。


 スガ先輩がアスマに「いえ」って答えた隙にあたしは素早く立ち上がり、



「あたしも帰る!」


 すかさずアスマの右腕に両腕を絡めた。



「おい、スズ――」


「じゃあ、スズちゃん。駅までアスマ送ってやって」


 慌てたスガ先輩の声を遮ったのは温厚なマサキさんで、にっこりと笑って言われたその言葉に、スガ先輩はびっくりした顔でマサキさんに目を向ける。



 またしてもその隙を突いて、「はい!」って張り切って返事すると、頭上からアスマの溜息が聞こえた。



 だけどそんなものは聞こえてないフリ。



 溜息吐かれようが拒否されようが、あたしはアスマと外に出なきゃならない理由がある。



 だから。



「アスマ、行こう! 早く行こう!」


 スガ先輩に掴まる前にと、あたしはアスマの腕を引っ張って、逃げるように部屋から出た。



――のに。



「駅の方向は知ってるからいい。じゃあな」


 外に出た途端、アスマは右手をヒラヒラと振ってひとりで帰ろうとする。



 聞きたい事があるのに、まるでそれに気付いてるから逃げようとしてるかのように、アスマはさっさと歩き出し、



「――待って!」


 歩幅の差でもう小走りしないと追い付けなくなったあたしは、大きな声で引き止めながらその背中に駆け寄り服を掴まえた。



「あのね、アスマに聞きたい事があんの!」


「もう勘弁」


 一瞬足を止めた――というよりは、あたしが服を引っ張った所為で止めざるを得なかったアスマに、満面の笑みを浮かべながらそう言うと、ばっさりと短く切り捨てられた。



「違う! そうじゃなくて!」


「お前の質問は疲れる」


 アスマは本当に聞く気がないらしく、あたしが背中を掴んでてもお構いなしに歩いてく。



「だから違うの! いつものじゃなくて!」



 そんなアスマに聞きたいのは、「いつもの」質問ではなくて、



「聞きたい事があんならマサキに聞け」


「だから違うんだってば!」


「俺は帰って――」


「アスマのメッセージアプリのID教えて!」


 アスマの連絡先。



 スガ先輩が教えてくれないから、直接本人に聞くしかない。



 また会えるって予感が今日は全くしない。



 きっとこの機を逃したら、二度と会えなくなるって思う。



 そしてこの予感は確実に当たると思う。



「――あんだと?」


 あたしの質問が予想外だったのか、ようやく足を止めた魅惑みわくの悪魔は、低く困惑した声を出しあたしを見下ろした。



「はっきりしといた方がよさそうだな」


「はっきり?」


 口の両端をニッと上げ、明らかなる偽善的作り笑顔を浮かべたアスマは、背中の服を掴んでるあたしの手を握る。



 何事かとドキッとした拍子ひょうしに服を掴んでた手を離させられ、「あっ」と思った次の瞬間には、アスマはあたしの手を離した。



 上手くほどかれた。……としか言いようがない。



 アスマはそこにいて歩き出そうとはしてないから、今更もう一回掴み直すのも何だか違う気がする。



 だから突然行き場のなくなった手を下ろして、



「はっきりって何?」


 そう問い掛けたあたしに、アスマは嘘くさい作り笑顔を絶やさず目を細めた。



「いいか。俺がお前の聞いてくるくだらねえ質問に答えるのは、お前が『巣穴』の奴だからだ」


「くだらなくないよ!」


「お前にはそうかもしれねえけど、俺にはくだらねえ。つーか、どうでもいい」


「…………」


「お前が『巣穴』の奴じゃなかったら、正直話もしたりしねえ」


「…………」


「仕方なく答えてんだ。お前に懐かれるわれはない。つーか、懐くな」


「…………」


「お前が何をどう思って俺にゴチャゴチャ聞いてくんのか知らねえけど、俺は――」


「ねえ、『巣穴』って何?」


「…………」


「あっ! 今の聞き方ちょっと違う! 『巣穴』ってマサキさんの家の事だっていうのは分かってるんだけど、どうして『巣穴』って言うの?」



「お前はまず、人の話を最後まで聞くっつー事を覚えろよ……」


 ゲンナリとした声を出したアスマは、呆れ顔であたしを見る。



 そんなアスマに、



「『巣穴』ってバカにした言い方?」


 更に深く質問すると、アスマはその目を見開いた。



「ああ…、ちげえ。そういうんじゃなくてだな……」


 何故か困ったような声を出し、アスマは一旦視線を足元に落とすと、「どう言やいいのか……」と小さく呟き、俯いたまま目線だけをあたしに向けた。



 上目遣いになったアスマのその姿にまた色気を感じる。



 長い前髪の隙間から覗く漆黒の瞳が妖しげに揺れた。



「あそこは地元の奴らが集まってんだろ」


「うん」


「お前、スガと話す時、敬語は敬語でもゆるい敬語使ってるだろ」


「ゆるい?」


「ああ。ちゃんとした敬語じゃねえだろ。つーか、ずっと敬語でもねえし」


「うん」


「先輩後輩は一応あるけど、その境界は曖昧あいまいだろ」


「かなあ?」


「居心地いいだろ?」


「え?」


「マサキのトコは居心地いいだろ。みんながみんな仲良くて、何かありゃ誰かが助けてくれる。あそこにいりゃ他の奴らに因縁つけられる事もねえし、めちゃくちゃ居心地いいだろ」


「うん」


「そのヌクヌクと守られてるって感じが、鳥の『巣』だとか何かの『穴』ぐらみてえだから、『巣穴』って呼ばれてんだよ。別にバカにしてるって意味じゃなくて、羨ましいとかそういう類だ」


「呼ばれてる?」


「ああ」


「誰に?」


「『巣穴』以外の奴らに」


「何で他の人が知ってんの?」


「有名だから」


「え? 有名なの?」


「今それはどうでもいい」


 あたしの質問を軽く流したアスマは、両手をポケットに突っ込むと、面倒臭そうにあたしを見て「ふう」と息を吐いた。

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