優しさって何?


「優しさって何?」


 その質問に、アスマはあからさまに面倒臭そうな表情をつくった。



 そしてそれは表情だけじゃなく、



「お前またかよ……」


 声もがっつり面倒臭そうだった。



「優しさって何だと思う?」


「学校で聞けよ、学校で。その為の学生だろ」


「アスマに聞きたいの!」


「面倒臭え事聞くんじゃねえよ」


「優しさって何だと思う?」


「知らねえよ」


「アスマは何だと思う?」


「ああ?」


「ねえ、何だと思う?」


「…………」


 しつこいあたしを半眼で見つめたアスマは、大きな溜息を吐き、



「何が何だと?」


 諦めたような声を出す。



 何だかんだ言っても答えてくれるつもりらしいアスマに、



「優しさ! 優しさって何?」


 あたしは張り切った声で疑問をぶつけた。



「自己満足」


「自己満足?」


「ああ」


「え? ちょ、ちょっと待って! そ、それってどういう意味?」


「ああ?」


 講義は終わりだとばかりに、言うだけ言って駅に向かって歩き始めようとしたアスマは、慌てて止めたあたしに顔を向けて眉をひそめ、



「そういう意味だ」


 超面倒臭そうに呟き、やっぱりこれで終わりにしようとする。



「そういう意味って何!?」


「そういう意味はそういう意味だろうが」


「意味が全然分からない!」


「そりゃお前のオツムが悪いからだ」


 アスマは意地悪い笑み――を浮かべたはずなのに、そう感じたのはほんの一瞬で、それよりもその艶やかさに目を奪われた。



「聞いてんのかよ」


 黙り込んでしまったあたしをボーッと突っ立ってるだけだと思ったのか、アスマは訝しげな顔で見る。



「き、聞いてるよ! い、意味が分からないだけ! オツムも悪くないし!」


 慌てて紡いだ言葉は声が裏返った上に口篭ってしまい、そんなあたしを魅惑たっぷりな顔で笑ったアスマは、「もっと勉学に励め」とバカにした声で言葉を吐き出した。



「勉強してるってば! 今も勉強の時間だよ!」


「何の勉強だよ」


「社会勉強!」


「社会勉強したけりゃ、そこら辺のおっさん捕まえて教えてもらえ――って、おい、何だよ!」


 今にも「じゃあな」と言い出しそうなアスマの、腕を掴まえたのは反射的だった。



 アスマからすれば突飛とっぴな行動に出たあたしを、アスマは見開いた目で数秒見つめてから今度こそ本当に観念したように溜息を吐く。



 そして。



「あのな。『優しさ』なんてもんは、やった側が気持ち良くなる為だけのもんだろ」


 アスマ的理論で固められた講義が始まる。



「やった側?」


「ああ。『人に優しくした自分』に満足する為だけのもんだろ」


「そんなバカな!」


「いや、マジで」


「で、でも、優しくされて喜ぶ人だっているじゃん! っていうか、基本的にはそういう人が多い訳でしょ?」


「それ込みの自己満足だろうが」


「それ込み……?」


「礼を言ってもらいたかったり、『自分』の言動で相手が喜んだってのが欲しくて優しくすんだよ」


「そ、そんな事ないよ!」


「んじゃ、例えば誰かに道を聞かれて教えた時、相手が礼を言わねえで立ち去ったらどう思う?」


「……え?」


「愚痴るとまではいかなくても、『礼も言わねえ』だの『常識がない』だのって思うだろ」


「思う……かなあ?」


「誰かに何か、礼も感謝の意思表示もなけりゃ、やらなきゃ良かったくらいまで思うだろ。やってって思うだろ」


「そんなの思う……かなあ?」


「つまりは確実に奉仕の精神ではねえって事」


「じゃ、じゃあ、その理屈だと、『人に優しくしなさい』ってのは、『自己満足しなさい』って事になんの!?」


「その通り」


「な、何でそんな事しなさいって言うの!?」


「人間は誰でも自分が可愛いって事の表れだろ」


「ええ!?」


「どれだけ優しいって言われる人間でも、それは単なる自己満足の為にやってんだよ。だから、『余計なお世話』って言葉があんだろ? 必ずしも『優しさ』とか『親切』ってもんが他人の為になる訳じゃねえ」


「そ、そうだけど……」


「でも相手が『余計なお世話』だって思ったところで、優しさを押し売りした奴は満足してる」


「な、何か違う気がする!」


 分かるような分からないようなアスマの話は、納得出来ないというよりも、納得したくないって感じだった。



「優しさ」や「親切」は良い行為だと思ってたのに、アスマの話が正しいとすれば、良い行為じゃなくなってしまう。



 だからここは意地でも納得してやらないって妙な決心を固めたあたしに、アスマは「やれやれ」って感じの溜息を吐き、後ろに振り返った。



「あー、もういねえか」


「いねえって誰が?」


「女だよ。さっきは睨んでやがったのに」


「あ……」


 アスマの言葉に視線を向けた先――噴水の前にはもう泣いていたあの女の人はいない。



 そりゃいつまでもいるものじゃないとは思うけど、少し前まではこっちを睨んでいたらしく、



「あの女、泣いてたろ」


 こっちに顔を戻したアスマは、「泣いてた」の部分を鬱陶しそうに口にした。



「……うん。泣いてた」


「面倒臭え事言うから『二度と連絡してくんな』っつったら泣いたんだよ」


「面倒臭え事?」


「ああ」


「どんな事?」


「忘れた」


「忘れた!?」


「何かあれだ。一番になりたいだの、他の女と会うなだの、そういうたぐいだ」


「…………」


「泣き出したから『鬱陶しい』って言ったら余計に泣いたんだよ、あの女」


「そんな事言うからじゃん……」


「まあ結局、放ってきたから泣いてようが何してようがどうでもいいんだけど」


「そ、そこは嘘でもいいから優しくしてあげればいいのに!」


「それだよ」


「どれ?」


「あの状況であの女に優しくしても、俺は気持ちよくはなんねえからしねえ」


「へ?」


「でもあの女とヤる前は優しくしてやった」


「それって——」


「ヤりてぇっていう自己満足の為にな」


「そういうのって下心っていうんじゃないの!?」


「だからさっきから言ってんだろ。『優しさ』だとか『親切』ってのには常に下心があるんだよ。それが自分の為になるかどうかっていう下心が。下心っつーのはそもそも自己満足させる為のもんだろ」


 見上げたアスマは「バカには分かんねえかもな」と呟き、一瞬空を見てから視線を戻してくる。



 戻された瞳には魔力のような、不気味な色気を纏っていた。



「優しくしようがしまいが起こった事柄は変わらねえだろ」


「けど相手の気持ちが」


「相手の気持ちが楽になろうが何だろうが、俺には関係ねえ」


「で、でも」


「結局、『優しく』だとか『親切』だとかはしてやる側に選択権がある訳で、それをするかしないかは、自分のとっての利益の問題だろ。俺はあの女に優しくしたところで、何の利益も満足感もない」


「誰もそんな風に利益とか考えて優しくなんてしないよ!」


「でも利益のない『優しさ』だの『親切』だのは誰もしねえじゃねえか」


「へ?」


「意味のない『優しさ』なんて誰もしねえだろ」


「意味のない優しさ?」


「募金にしたって、誰かを助けてるって思うからするだけで、誰の助けにもなってねえならしねえだろうが」


「思うも何も助けてんじゃん……」


「実際に大事なのは、助けてると『思ってる』ってとこだ」


「そんな事ないよ! 実際助けてるんだし!」


「そりゃそれぞれだ」


「それぞれって何!?」


「コンビニのレジにたまに何とか救済って募金箱があるだろ」


「うん」


「あれに募金するってのは『優しさ』だったり『親切』な気持ちだったりするんだろ」


「うん」


「でもその金が本当はどうなってんのか知らねえだろ?」


「……うん」


「でも募金した後、ちょっと良い事したような気分になったりすんだろ」


「…………うん」


「自己満足じゃねえか」


「…………」


「全部それと一緒だ。俺は募金したところで気持ちよくはなんねえからしねえだけだ」


「うう……」


「何だよ?」


「何かアスマと話してるとひねくれてくる気がする」


「そう思うなら俺に聞くな。スガに聞け、スガに」


「スガ先輩に言われたんだもん! 『これは優しさだぞ』って。……アスマに会っちゃダメだって言ったあと」


「俺?」


「アスマに会わせてって言ったら、毒牙にかかってるって……」


「毒牙だあ?」


 あたしの言葉を反芻して、手入れされた左右の眉を中央に寄せて眉尻を下げてハの字にしたアスマは、心外だって表情をおどけて作って魅せる。



 茶化してるって分かったから、



「アスマは危険なんだって」


 半分笑ってそう言ったら、アスマは「何だとお?」って更におどけた。



「でもそれが心配してくれてるんだって事は分かるってんの! けど優しさかどうかっていうとちょっと分かんなくて……」


「それでいいんじゃね?」


「いい……の?」


「いいだろ。自己満足なんだし」


「そ、そうなのかもしれないんだけど……」


「お前が納得してようがしてまいが、スガは気持ちいいんだからいいだろ」


「そ、その場合あたしの気持ちってのは無視なの?」


?」


「うん。スガ先輩の事だけじゃなくて、アスマがさっき言ったみたいに『余計なお世話』っていうのもあったりする訳じゃん? 『優しさ』が自己満足の為のものなら、元々相手の気持ちなんて無視って事?」


「当然だろ」


「当然……なの?」


「ああ」


「でも相手の気持ち無視するなら、『優しさ』ってより『冷たさ』って感じるじゃん!」


「『優しさ』と『冷たさ』は同じ自己満足だ」


「お、同じじゃないでしょ!? 『優しさ』の方が全然いいじゃん! 良い行為じゃん!」


「同じだ。確率の問題なだけだ」


「確率?」


「優しいって行為の方がされた側が感謝する確率が高いから、いいおこないに見えるだけで、所詮は自己満足だろ」


「見えるだけ……?」


「ああ。だから相手の気持ちなんて関係ねえんだよ」


「…………」


「それにスガが言った事は間違ってねえし」


「え?」


「俺に会うなって話。スガは間違った事は言ってねえ」


「…………」


「つー訳で、俺は行くぞ」



「あっ、待って! ちょっと待って! まだ聞きたい事残ってる!」


「まだあんのかよ……」


「あとひとつ!」


「何だよ」


「アスマがさっき“元”カレに嘘吐いてくれたのも自己満足?」


「んあ?」


「あたしの事、助けてくれたじゃん! アスマ優しいって思ったもん!」


「ああ、あれは違う」


「違う?」


「あれは単なる礼だ。いや、『お返し』だな」


「お返し?」


「もうすぐだろ」


「もうすぐ?」


「ホワイトデー」


「あ!」


 アスマに言われて思い出した日付と曜日に、短い声を上げたあたしにアスマは満足そうに微笑んで、



「『呪い』のお返しだ」


 漆黒の瞳の奥を意地悪く光らせる。



 毒牙に掛かるって事がどういう事なのか分からない。



 アスマに口説かれた事なんてないし、きっとアスマはあたしを「女」としては見ていない。



 だけど思った。



 きっとアスマはこの瞳で――艶めかしく潤った漆黒の瞳で――「女」っていう生き物を魅了して悪魔の毒牙に掛けるんだろうって。



 結局のところ、「優しさ」ってのが何なのか分からない。



 アスマが言ったように、みんな自己満足の為にやってるのかもしれない。



 優しくされた側がどうとかじゃなく、優しくした自分に酔いしれたいだけなのかもしれない。



 だけど。



 だけど――。



「んじゃ、俺はもう行くぞ?」


「あ……うん」



「じゃあな」


「うん。またね!」



 ――だけど、アスマが“元”彼氏に吐いてくれた嘘は、「優しさ」だとあたしは思う。





 第二話  了

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