運命って何?


「の、呪い?」


「ん?」


 自分で言った事なのに、あたしの聞き返しにすっ呆けた声を出した悪魔は、



「呪いって何?」


 きちんと質問すると「あー」と小さく唸った。



「女はよく呪いを掛けるだろ?」


「か、掛けないよ!」


「そうか?」


「そんなの聞いた事ないよ! 呪いの方法だって知らないし! 髪の毛入れたりするの?」


「じゃなくて」


 悪魔はそこで一旦言葉を止め、チョコレートの箱を持ったまま膝に手を置き「よいしょ」と立ち上がる。



 その所為で悪魔の視線が見上げられてるものじゃなく見下ろされるものに変わり、何故か威圧さを感じて少し息苦しくなった。



「好きだの何だのって『呪い』を掛けるだろ」


「え?」


「手作りなら尚更そういう『呪い』が強くなるだろ?」


「…………はい?」


「気持ち悪くて仕方ねえ」



「……え? でもそれって」


「ん?」


「『呪い』じゃなくて『想い』じゃないの?」


「『思い』も『呪い』も一緒」


「い、一緒じゃないよ!」


「一緒だろ」


「違うよ! だって想いは純粋だけど呪いは純粋じゃないじゃん!」


「純粋だろ」


「……へ?」


「例えば、うしの刻参りってのがあるだろ?」


わら人形で呪い殺しちゃったりするやつ?」


「そうそう。あれは純粋な思いだろ。殺したいほど憎いっていう純粋な思い」


「そ、そうだけど……」


「つまり『呪い』と『思い』は同意語」


「で、でも『想い』で人は死んだりしないよ!」


「『呪い』でも人は死なねぇよ」


「だ、だって、丑の刻参りは?」


「発散」


「発散?」


「あれは憎い相手をどうこうってより、憎んでる側がその気持ちを発散したいからするんだろ」


「…………」


「ただやられる側は気持ち悪いってだけの事」


「で、でも! それなら何であたしのチョコレート食べたの? それ、手作りだよ?」


「これは俺への呪いはねえじゃん。浮気した彼氏への呪いだろ?」


「……呪いって言うのやめてよ」


「まあ、この『呪い』は人をあやめそうだけどな」


 手に持つ箱に視線を落とし「くはっ」と笑った悪魔に、「え?」と問い掛けると、悪魔はその箱を少しこっちへ差し出してくる。



「これ、失敗してんぞ」


「え!?」


「どんな作り方したのか知らねえけど、焦げ臭いし、めちゃくちゃ硬え」


「ええ!?」


「浮気した彼氏に渡してりゃ、歯でも折って呪い的には成功だったんじゃねえ?」


「の、呪いじゃないもん!」


 意地悪な笑いを消さない悪魔の手から箱を引っ手繰ると思いの外それは軽くて。



「ご馳走さん」


 その言葉と同時に箱の中を見ると、そこにチョコレートはひとつも残ってなかった。



 焦げ臭いって言ったくせに。



 歯が折れそうなくらい硬いって言ったくせに。



 悪魔のくせに。



 あたしの手作りチョコレートは空っぽ。



 あたしの「呪い」を全部食べ切った悪魔は、首を左右に揺らしてポキポキ鳴らしながらスガ先輩が消えた方向へと視線を向ける。



「なあ」


「うん?」


「お前、ひとりでも大丈夫か?」


「へ?」


「俺、今から用事あんだよ。スガ戻って来るまでひとりで大丈夫か?」


「あ……うん」


 あたしの返事に悪魔は「悪いな」と小さく笑って、



「スガによろしく言っといてくれ」



 一言そう言うと、来た方向へと歩き出す。



 闇が――悪魔を――連れていく。



 そう思うと何故か急に寂しいような切ないような、何とも表現し辛い感情があたしの中に沸々と芽生えて、無意識に口が動き出した。



「ね、ねえ……」


 気だるそうに歩いて行く悪魔に、あたしの小さな声は届かない。



 声が闇に吸い込まれて――呑み込まれていく。



 呼び止めてどうする?



 何を言う?



 何を――聞く?



「ねえ――アスマ!」


 あたしの大きな声の呼び掛けに、呼び捨てだったにもかかわらず、アスマは足を止めてゆっくりと振り返る。



 どうして呼び捨てにしたのかは自分でも分からない。



 何とも掴みどころのない、異様な雰囲気を醸し出すアスマとの距離を縮めようとしたのかもしれない。



 呼び捨てにする事で、異界からの使者との目には見えない距離を縮めたかった気がする。



「何だ?」


 アスマは呼び捨てにした事に気分を害したという風もなく、ただ距離が出来たあたし達の間を埋めるように大きめの声で返事をする。



 丁度チカチカと点滅する照明灯の下にいるその姿が、見えては消え、見えては消えを繰り返す。



 それを瞬きもせずジッと見つめていたのは、照明灯が消えたその一瞬でアスマが消えてしまうような気がしたからで、



「運命って何?」


 消えてなくならないように慌てて言葉を紡ぐと、アスマは――多分――笑った。



「何だ、そりゃ」


「運命って何だと思う?」


 明らかに笑った声を出したアスマの方へ駆け寄るあたしを待ってくれているかのようにアスマは微動だにせず、



「運命って、何?」


 点滅する照明灯の下、目の前で足を止めたあたしに、アスマは左右の眉を寄せ少しだけ眉尻を下げた。



「知らねえよ。辞書引けよ、辞書」


「そ、そういうんじゃなくて、アスマは運命って何だと思うかって事!」


「何だよ、お前。面倒臭え奴だな」


「いいじゃん! 何だと思う? 運命って何?」


「ない」


「…………ない?」


「運命なんてもんこの世にはない」


「あ、あるよ!」


「ねえよ」


「あるってば! だってみんな運命って言葉使うじゃん!」


「お前の言う“みんな”っつーのが誰の事だか分かんねえけど、運命なんてもんはねえんだよ。その“みんな”が言ってんのは、あって欲しいっつー願望だろうが」


「願望……?」


「ああ」


「どういう……意味?」


「目に見えねえもんでも、本当にあるもんとないもんがあるだろ」


「うん?」


「空気は目に見えねえけど、実際あるだろ」


「うん」


「んでも神様はいねえだろ」


「ええ!? 神様はいるよ!」


「見たのかよ」


「見て……ないけど……」


「だろ? いて欲しいっつー願望はあるけど、実際いねえだろうが」


「いるよ! だって、空気だって目に見えないのにあるんだから、神様だって見えないだけでいるかもしれないじゃん!」


「空気は見えなくても感じてんだろ。酸素吸って生きてんだろ」


「そう……だけど……」


「人間っつーのは、理解が及ばないもんに遭遇した時、そういうもんに頼りたくなんだよ」


「そういう……もん?」


「目に見えない、ありはしないもんに、だ」


「そ、そんな事ないよ……」


「だから、言うんだろ。『信じる者は救われる』」


「信じる者は……?」


「救われるだろ。『気持ち』が」


「そ、そんなの違うと思う!」


「んじゃ聞くが、お前は何で『運命』なんてのが気になるんだ?」


「それは……彼氏との別れが……その……『運命の別れ』なんじゃないかって思って……」


「願望だろ?」


「…………」


「理解し難い彼氏の行動の所為で別れた事が『運命』であって欲しいんだろ?」


「…………」


「そうやって彼氏との別れに何らかの意味が付けたいだけだろ?」


「そう……かも」


「んで、それが『運命の別れ』だったら『気持ち』が救われんだろ?」


「……うん」


「けど残念ながらそんなもん、運命でも何でもねえよ。別れはただの別れ。出会いもただの出会いだ。『運命』なんて言葉使う時は、大抵そういう強い願望がある時だろ」


「…………」


「運命なんてねぇんだよ。お前の彼氏が浮気したのは欲望とかそういう感情の類|たぐい》だ。それともお前の彼氏は浮気する運命だったのか?」


「そこは……運命じゃない……」


「都合のいい事ばっか運命にすんなっつーの。『運命』があるなら、全部が全部『運命』で、そうなりゃ『運命』なんて言葉に価値はねえ」


「…………」


「お前さ?」


「……うん?」


「そんなくだらねえ事考えてねえで、泣きたきゃ泣けばいいんじゃね?」


「え?」



 一瞬――身震いした。



 アスマの言葉にいつの間にか俯いてた顔を上げると、目の前の妖艶な悪魔が心なしか哀れんでるように思える目を向けてて、



「そんなくだらねえ事考えるくらいショックだったんだろ」


 やっぱり哀れんでるような声を出す。



「ショック……?」


「彼氏の浮気現場見てショックだったんだろ?」


「別にあたしは、」


 ムカついたし、その衝撃としては相当でショックを受けたけど――。



「強がる女も魅力はあるけど、『運命』だのなんだのってくだらねえ事ばっか考えてんなら、泣いてすっきりした方がいいんじゃね? 彼氏と嫌いで一緒にいた訳じゃねえだろ」



――本当は悲しかった。



 これが『運命』だと思えば。そうであってくれたら、諦めきれるような、惨めな気持ちにならない気がして。



 アスマの言う通り、願望だった。



 泣きたいって思いはあったけど、そしたらもっと惨めになりそうで、ひとりでいたくなかったのも本当の本当はイライラとかムカつきとかじゃなく、ひとりになったら泣いちゃいそうで、そしたらもっともっと惨めになる気がして――。



「……おい」


「…………」


「泣けばいいっつったけど、俺の前で泣くな」


「…………」


「言っとくが、女の涙ってのは恐ろしく鬱陶しいんだぞ?」


「……グスッ」


「何だこの面倒臭え生き物は!」


 なんて、文句を言いながらもアスマはずっとそこにいてくれた。



 あたしは彼氏と別れてから初めて、その事で涙を流した。





 あたしが泣きやむまでそこにいてくれたアスマは、「約束の時間過ぎたじゃねえか」と文句を言いつつも、「あとはスガに聞いてもらえ」って似合わない優しい声を出して帰っていった。



 結局のところ、「運命」ってのが何なのか分からない。



 アスマが言ったように、それはただの願望で、実際はないものなのかもしれない。



 だけど。



 だけど――。



「悪い! スズ! 待たせた! ……って、あれ? アスマさんは?」


「用があるからって帰りました」


「ああ、そっか。あっ、向こうに自販機あったんだよ。寒かったろ。コーヒー飲め」


「うん」


「どうした? 鼻声になってんぞ?」


「ちょっと寒かったからかな?」


「そっか。悪かったな。結構遅くなったし、帰るか」


「うん」



――だけど、あたしがアスマと出会った事は「運命」だと思う。





 第一話  了

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