悪魔の化身


 バレンタインデーの翌日。



 結局朝まで「溜まり場」でアサミ先輩と遊んでたあたしは、学校に行ってずっと寝てた。



 彼氏と別れたばっかにしては案外普通で、浮気現場を目撃したって事が衝撃すぎたのか、悲しいとかって気持ちはイマイチ沸き上がってこなかった。



 それよりもムカつき。



 何よりもイラつき。



 時間が経つにつれ、殴ってやれば良かったとか、きっちり文句言ってやれば良かったとか、そういう後悔で頭がいっぱいになる。



 変な男に捕まったとか、ロクでもない男に半年もくっ付いてて損したとか、そういう後悔だけはきっちりある。



 でも今更後悔したって遅い。



 だってこれは全部が全部「運命」なんだから。



 あんな男にナンパされて出会っちゃうのも「運命」なら、高校一年の半年間を無駄に一緒に過ごすのも「運命」で、世間が浮き足立つバレンタインって冬の大イベントの日に、浮気現場を目撃して、別れちゃうのも「運命」。



 だからあの後に、“元”彼氏からの電話はおろか、メッセージひとつ来ないのも多分「運命」なんだろう。



――つーか、「運命」って何よ。



 スガ先輩に無理矢理取り付けられた訳の分からない約束を別に絶対守らなきゃいけないって事はないんだけど、あたしは放課後「溜まり場」に向かった。



 その理由は暇だったからってのもあるけど、ムカつきが治まらなかったからっていうのが大きい。



 家にひとりでいた方がイライラムカムカしちゃうだろうし、それなら訳が分からなくてもスガ先輩に遊んでもらった方がいい気がした。



 放課後一直線で「溜まり場」に行くと、まだ5人くらいしか人はいなくて、今日も部屋の主は不在だった。



 しばらくすると、ひとり、またひとりとゾロゾロ集り始める地元の顔ぶれ。



 だけど今日は珍しくアサミ先輩の姿はなく、スガ先輩も姿を現さなかった。



 集まってくる人達と他愛もない話をして、ボードゲームなんかもして、普段と何ら変わりない時間が刻一刻と過ぎていく。



 彼氏と別れても変わらない。



 浮気現場を目撃しても変わらない。



 起こった出来事はただ時間の流れと共に「過去」になっていく。



 今のこの一瞬でさえ、次の瞬間には過去になってて、そう考えると時間の経過がやけに早く思えたりもする。



 この「時間」というはかないものの中に「運命」ってものが組み込まれているんだろうか。



 なら時間と共に「運命」も、流れていってるんだろうか。



――だから「運命」って一体何なんだっつーの。





「オイッス、オイッス!」


 騒々しいいつもの登場でスガ先輩が姿を見せたのは、夜の9時半を回った頃だった。



 部屋の隅で体を丸めてウトウト眠り掛けてたあたしは、その騒がしさに目を覚まし、



「スズ、待たせたな」


 こっちに近付きにんまりと笑ったスガ先輩に、「遅い!」と冗談半分拗ねてみた。



「ちょっと手間取ってな。すぐ行けるか?」


「行けますけど、どこに?」


 あたしの質問にスガ先輩は、「まあ行けば分かるから」と曖昧にしか答えてくれない。



 でもここまで待ってたんだからついて行くしかないと、あたしは重い腰を上げた。



 地元の「溜まり場」があるのは、集合住宅地にある一軒屋。



 あたしがここに来始めた頃から既に、ここには沢山の人が集ってた。



 一応みんなそれなりに近所迷惑にならないように気を付けてるけど、それでもこの家の家族の人は迷惑してると思う。



 玄関に無造作に散らばってる沢山の靴。



 玄関前にそれなりに列を作り並べられてるバイクや自転車。



 あたしがこの家の家族なら嫌だと思う。



 そう思いながらもあたしはいつもここに来る。



 自分の靴を探すのに時間が掛かる玄関を出て、先に出たスガ先輩の背中を追い駆けると、スガ先輩はバイクにキーを挿した。



 だけどすぐにはエンジンを掛けずに、表の通りまでバイクを押していく。



 一応これはここに来る人の暗黙のルール。



 来る時は表通りでエンジンを切るし、帰る時は表通りでエンジンを掛ける。



 いつからそうしてるのか昔聞いたら、「いつからしてるのか覚えてないくらい前からしてる」ってアサミ先輩は言ってた。



 表の通りに出てすぐに差し出されたヘルメットを受け取ると、スガ先輩はさっさとバイクにまたがってブオンと大きくエンジンを噴かせた。



「10時過ぎには着けるかな」


「結構遠いんですかあ?」


「まあ、近くはないな」


 そう言った後、乗れって目配せされて跨ったバイクはすぐに発進する。



 2月の風はまだ冷たく、あたしは身を切るような寒さに体を縮め、スガ先輩の背中に身を隠した。



 バイクの免許は持ってないし、自転車すら持ってないあたしは、基本地元を出る事はない。



 そもそも高校だって近いからって理由だけで2駅向こうにある学校を選んだ。



 本当はもっと近くに高校があるけど、偏差値が高すぎて入れなかった。



 生活の基盤は家と学校と「溜まり場」にあって、それ以外に出掛ける事ってうない。



 だから地元を離れていく、スガ先輩のバイクの後ろで見る景色は、何とも新鮮な――別世界でも見ているような――気持ちにさせてくれた。



 国道を曲がったくらいから、今どの辺にいるのか、地元がどっちの方向にあるのか分からなくなってた。



 お店が建ち並ぶような場所は一度も通らず、気付けば住宅街のような所に入ってた。



 深夜でもないのに辺りはやけに静かで、一体どこに行くんだろうと本気で疑問に思い始めた頃、スガ先輩はようやくバイクを止めた。



「降りていいぞ」


 スガ先輩にそう言われて、バイクから飛び降りヘルメットを外すと、そこは駐車場だと思われる場所だった。



 広い土地にまばらに置かれてる車。



 その遥か向こうに8階建てくらいの団地のようなコンクリートの建物が見える。



 そこを妙に不気味に感じたのは、広さの割に照明灯が少なく、疎らに設置された照明灯の3つにひとつが、電灯が切れ掛けてるのか、それとも配線の接続が悪いのか、チカチカと点滅していたからかもしれない。



「スガ先輩。何かここ怖い」


「ああ、言いたい事は分かる」


 スガ先輩はケラケラ笑ってバイクから降り、ジーパンのポケットからスマホを取り出すと、誰かに掛け始める。



 一体ここで誰を紹介されるのか――てか、何の為に紹介されるんだろうって思うあたしの隣で、



「あっ、もしもし? スガでっす。着きました」


 スガ先輩は通話の相手にそう言うと、すぐに通話を切った。



「すぐ来る、すぐ来る」


「来るって誰がですか?」


「来てのお楽しみ」


「お楽しみってか、普通にここ気味悪いんですけど」


 あたしの言葉に「ぎゃはは」と笑ったスガ先輩の声が、向こうにあるコンクリートの建物に反響する。



 山彦のように戻ってきた声が夜の闇に吸い込まれていくさまは、不気味という以外の言葉が見つからなかった。



 どれくらいそこにいただろう。



 見上げた夜空は月がなく、風が轟々ごうごうと音を立てていた。



 寒さにコートの襟を合わせ、「帰りたい」とスガ先輩に言おうとしたその時。



「おっ、来た来た」


 スガ先輩はあたしの背後――ずっと向こう――に視線を送り目を細めた。



 時間にして多分10分から15分。



 体感では1時間程。



 それくらいあたし達を待たせた相手がようやく姿を現したらしい。



「チッス! アスマさん」


「“アクマ”?」


 正面にいるスガ先輩が軽く手を挙げ言った言葉に、あたしは反応し振り返る。



「違う違う。ア、“ス”、マ」


 笑ってされるスガ先輩の否定の言葉は――もうあたしの脳にまでは届かなかった。



 視線の先にあるものに釘付けになる。



 まばたきを忘れ凝視し、呼吸さえ忘れ息を呑む。



 ゾッとした。



 寒気がした。



 暗闇に、ぬっと白い影が浮かび上がり、ったような足音を響かせ、ノロノロとこちらにやって来るに、あたしの体は凍りついた。



 数少ない照明灯に照らされたその姿を見て、何故か心底震え上がった。



 近付いてくる人影は、距離を縮めるにつれその輪郭りんかくをはっきりとさせる。



 白いブルゾンに身を包み、ジーンズに草履ぞうり姿のその男を、何故かあたしは「悪魔」だと思った。



 地獄の悪魔が人間に化けたらこんな感じになるんだろうとか、悪魔は黒い服ばっか着ると思ってたけど白い服も着るんだなんて、そんな事を考えていた。



「悪い。待たせた」


 近付き足を止めたその悪魔の、小さな低音が木霊こだまする。



「いやいや、そんなに待ってないです」


 スガ先輩の言葉に少しだけ口許を緩ませた悪魔は、向こうが透けて見えるんじゃないかって思うほど肌が白い。



 そう思うのは着ているブルゾンが白い所為かもしれない。



 辺りがやけに暗いから、そう思うだけかもしれない。



「マジあったのか?」


 闇よりも深い漆黒の、襟足の短い柔らかそうな髪を掻き上げ、悪魔はその薄い唇をゆっくりと動かす。



「見つけましたよ。随分苦労しましたけど」


 スガ先輩のその返事に、本人は「おお」と短い歓喜の声を上げたつもりかもしれないけど、あたしには低い唸り声に聞こえた。



 目の前の光景を、ただ呆然と見ていた。



 悪魔はスガ先輩が渡したビニール袋の中を覗いて「サンキュ」と呟き財布からお金を取り出す。



 数枚の千円札が目の前を横切り、スガ先輩の手に渡る。



 服の袖から出たその手も、寒気がするほど白かった。



「マジありがとな。どこにもなくて困ってたんだよ」


「でしょうね。何年も前のですから」


「コーヒーでもおごるか?」


「ここら自販機ないでしょ」


僻地へきちだからなぁ。近くにコンビニもねえよ」


「マジっすか」


「ああ。ところでよ、スガ」


「はい?」


「この女、誰?」


 スッと、流れるようにその目が向けられた。



 長めの前髪から覗く、目尻が少し吊り上がった二重の瞼の中にある吸い込まれそうな漆黒の瞳。



 見据えられたその瞬間、金縛りにあったみたいに体が強張った。



 ゾクリと背筋が寒くなって、どうして「悪魔」だと思ったのか分かった気がした。



 不気味――なんだと思う。



 上手く言えないけど、この男が持ち合わせてる雰囲気を不気味に――異様に――感じる。



 この場の雰囲気に溶け込むような不気味さ。



 むしろこの男がこの場の雰囲気を作ってるようにすら思える。



 だから、その不気味さを「悪魔」にたとえたんだと思う。



 何だか理解し難い異様な雰囲気をかもし出すこの男が怖くて、その代名詞としてあたしの脳は「悪魔」って言葉を選んだんだと思う。



 その上まるで作り物みたいな端整たんせいな顔立ちからは人間味を感じず、お腹の底に響いてくるような低い声はやけに耳に残る。



 闇に浮かぶ白い悪魔は、凍りつくほど綺麗な顔で、まるで魂を吸い取るかのようにジッとこっちを見据える。




――背筋がまた、ゾクリとした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る