飴玉人生

小狸

短編

 *


「生きていれば色々あるよね」


 そう言ったのは、誰だっただろうか。


 あの時私を励まそうとした父だっただろうか。


 あの時私の肩を叩いた母だっただろうか。


 あの時私の背中を押してくれた先生だっただろうか。


 あの時私を止めてくれた友達だっただろうか。


 もう覚えていない。


 記憶から取り除かれている。


 ということは、どうでも良い記憶なのだろう。


 どうでも良い。

 

 至極どうでも良いのだ。


 もう、どうでも良い。


 私は、社会人になって知った。


 この世は、生き地獄である。


 小学校の道徳の教科書で習うことすら碌にできていない連中がのさばって、当たり前のように生きている。


 どうしてこんな地獄のような生き様を、皆は当たり前のように受け入れ、受け止めることが出来ているのだろう。


 分からなかった。


 分からないけれど、振り落とされる訳には、いかなかった。


 鬱病や適応障害になって仕事を辞めてしまえば、それはもう人生を落伍したのと同じだからである。


 社会は厳しい。


 現実は厳しい。


 世の中は厳しい。


 一度落ちぶれた者に手を差し伸べてくれるほど、今の世は甘くはなく、余裕もない。


 全て、今のつまらない大人達が、私に教えてくれたことである。


 散々言っただろう。


 ――ちゃんとしなさい。


 ――大人になりなさい。


 ――普通になりなさい。

 

 そうやって、出る杭を打ってきたのは、お前達大人だろうに。


 ちゃんとって何だよ。


 大人って何だよ。

 

 普通って何だよ。


 そんな私の疑問など誰も聞かず、「ひねくれた子どもが反発してきている、反抗期だ」と小馬鹿にしてきたのを、私は一生忘れない。


 結果私の肉体だけ二十歳を越えても、心はその壁を越えることはできなかった。


 置いて行かれてしまった。


 だから。


 私は、振りほどかれないように、落ちぶれないように、頑張ってしがみ付いた。


 私には取柄というものがなかった。


 頑張る以外、私にできることはなかった。


 この歳になって親のせいにするつもりは毛頭ない。自分で選んだ人生である。


 けれど、自分で望んだ人生じゃない。


 こうなりたいとか、こうありたいとか。


 そんな思いは、いつもお前達大人によって掻き消され、無かったことにされ、良い方向に是正されてきた。

 

 良い「とされる」方向だろうか。


 何が多様性だよ、という話である。


 生きていれば色々ある?


 ふざけるな。


 それは、色々あることを乗り越えられ、周囲の環境がそれを許容してくれた奴の、恵まれた人間からの視点だろう。


 少なくとも私は、そんなふざけた台詞を口にすることなどできない。


 私は生かされているのだ。


 私は飴玉の中で、甘さに浸って転がりながら、一生そこから抜け出すことができなかった。


 今もその中を、輪廻のように狂狂くるくると回っている。


 落ちぶれることもできず。


 のし上がることもできず。


 明日も私は、仕事に赴く。


 金のため?


 生活のため?


 世間体?


 いいや、違う。


 それが、「普通の」生き方だから。




(「飴玉人生」――了)

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