虫の魔法少女のそこそこ普通の夜

柑橘

そこそこ普通(だけどしんどいものはしんどい)

 立ち並ぶ高層ビル。それらの間を抜ける涼やかでどこか不穏な風。眠らぬ街を見下ろしながら、ビルの屋上、少女のマントはひらりとなびく──

 のような感じだったら良かったのだけれど。私は軽く溜息をつく。周りは街灯の明かりとコンビニから漏れる光で中途半端に暗く中途半端に明るい。いっそのことここが完全な田舎で、辺り一面は真っ暗、空には満点の星が、みたいな方がまだ雰囲気があって良かったと思う。何事も中途半端ほどよろしくないものはなく、その中途半端なものたちの中でも群を抜いてよろしくないのが「中途半端な田舎」というやつだ。ちなみに定義上、「中途半端な田舎」は「中途半端な都会」と同一概念である。

「どうにもさみしいよねぇ」

 と言い出したのはいつの間にか隣に出現していた黒づくめの物体で、おいでなすったか、と私は身構える。黒づくめの人ならば即ち怪人ということになるのだろうが、人とするには手足の本数がいささか多いように見え、「怪」としか言いようがない。

「知ってる? 駅前のイオン、昔は夜12時までやってたんだよ」

 怪はなんとも言えない調子の声で話を続ける。今のイオンは23時で食料品売り場も含めて閉店するので、夜12時とは0時のことだろうなと思う。24時制を使って話してくれないかなとも思う。

「高齢者が増えて深夜にやる必要がなくなったんだ。それで駅自体の終電も早まって、夜10時過ぎでもう駅前は真っ暗。挙句イオンのせいで近くのスーパーが潰れて、残ったのはしょぼいコンビニと薬局だけ」

 ちなみに私たちが今いるのはその潰れたスーパーの立体駐車場跡だ。時おりぬるい風がひょろっと肌を撫でる。解体もなされないまま、かつてスーパーだったものは風化してますますスーパーから遠ざかり、ここら一体の地価もゆるやかに下降している。

 しかしそれらのことは私も重々承知しているし、というか私ここ出身だし、さっさと暑いから話を切り上げてほしい。手でぱたぱたと煽ぎながら非難の視線を送ると、怪は気まずそうに大きく咳払いをした。喉はあるようだ。

「というわけで僕はこのつまらない街を壊しに」

「よし、じゃあやろう」

 戦闘態勢を取ると、怪は慌てたように手だか足だかよく分からないものをぶんぶん振る。構わず蹴りを叩き込む。もろくなったコンクリートの柱やら床やらをぶち抜いて、ぼよよ~んと気の抜けた効果音付きで相手は斜め上方向へと吹き飛んでいく。

 そのまま追うと屋上に出た。半月というには太りすぎている月がもたっとした光を投げかけている。怪は屋上の隅の方でうずくまっていた。

「話を、話を最後まで聞け……」

 なんかごちゃごちゃ言っとる。「そもそもさぁ!」と私が声を張り上げると、びくっと震えてこっちを向いた。

「つまらない云々とか全部取って付けた話で、単にここが私の地元だから狙いに来たんでしょ。私が遠慮して戦いづらくなるかもってせこい期待してたんじゃないの」

 事前に住民の避難は済んでいるし、壊れた街をある程度なら綺麗に修復できる子もいる。だから何の問題もないんだけど、それはそうと腹が立って仕方がない。楽に死ねると思うなよと拳を固めて、それから違和感に気付いた。なんかめちゃくちゃきょとんとされてる。え、何。違うの。

「いや、あの、僕もここ出身で」

「えっ」

「あの、中学は早佐ささ北で」

「私も早佐北だけど」

「あっ同中ですね……」

 まさかの同中だった。同中の人がいつの間にか7本くらい腕だか何だかを生やした何かになっていた。というか人だったんだ。えっ今も一応人ではあるの?

 混乱の渦に叩き落されている私をよそに(暫定)怪人はうって変わって余裕の感を出し始めて、見逃してあげようか、同中のよしみでさ、などとナメたことを抜かしている。普通それは私の側が言うセリフじゃないのか。

「だって君、虫の魔法少女は4人の魔法少女の中で一番弱いんでしょ」

 お前は四天王の中で最弱、みたいなこと言いやがって。それも私の側が言うセリフだろ。いやどうだ、むしろ私が倒されたときに残りの3人の子が言うセリフか?

 黙っているのを良いことにぺらぺらと話されるのがいい加減鬱陶しくなってきて、私はおもむろに「虫」を取り出す。蟻とかカブトムシとかそういう個別具体的な虫じゃなくって、「虫」、つまり6画の漢字。

「な、何それ」

 私は「虫」の根本らへんを両手で持ち、軽く力を込める。ぱきっと軽やかな音がして「虫」は「中」と「T」を90度時計回りに倒したようなものの2つに分かれる。

「何やって、と、というか変身は……?」

 もうお気づきの方もいるかもしれないが、「中」の下端を握ると、ちょうど良い感じのハンマーになる。

「何を、振り、かぶっ」

 そのまま大きくスイング。

 ばちこん、と良い音がして、怪人は夜の街へと放り出される。


 右手にハンマー(「中」)、左手にトンファー(「T」)の武器構成は中々悪くなく、トンファーで相手の突きだか蹴りだかをいなしながらカウンターの要領でハンマーの攻撃を入れていくのが定番の流れとなる。避けて、受けて、ばちこん。もちろんトンファーは攻めにも転用できるから、殴って、ばちこん、の流れでもOKだ。

 しかし、致命的な問題もあるにはあり、具体的には

「ふふ……何かと思ったら力押しだけ……大技はないみたいだね!」

 とまぁ、そういうことになる。吹き飛んだ挙句公園のジャングルジムに絡まっているやつが偉そうに吐けるセリフではないと思うけど。

 ここの公園はやけにだだっ広く、広すぎるゆえに最近は管理が行き届いていないような風合いがあって、草は伸び放題、一部の錆びた遊具は使用中止の貼り紙がされている。使えなくなったシーソーにかけられた麻縄を引っぺがし、何やら膨らみつつある怪人の方へと放り投げる。縄は端から蝿に変わりいとへんはむしへんにおきかわり、目くらましくらいにはなりそうな蝿の集団が怪人を覆う。

「うわわっ、技の準備中なのに」

 知らんがな。私はハンマーを両手で握って(トンファーは一旦そこら辺に差しておいた)、集中、ぐっっと魔力を込める。ハンマーはどんどん大きくなり、大きくなり、こうなる。


    中

中中中中中中中中中

中   中   中

中中中中中中中中中

    中

    中

    中


 中ハンマー(大)、完成。

 私の背丈の7倍はありそうなハンマーを振り上げ、流石に重すぎて少しよろけ、よろけた勢いのまま真っすぐ振り下ろす。怪人は既に蝿を振り払っていて、さっきよりも更に膨らんでいるが、それよりもハンマーの方が大きい。

 ぐしゃっ。

 明らかに肉の潰れた音が響き、私は「やったか」と語尾を下げて言う。魔法少女界隈においては「やったか」と言うときに語尾を上げるよりも下げる方が本当に倒せている傾向にあるというのが定説であり、私もその説を信じている。厳密にはランダム化試験などをして有意差を見る必要があるのだろうが、だるそう、そもそも統計は魔法と馴染まないんじゃないの、その他、などの意見により仮説の科学的立証は棄却され続けている。

 しかし何を言おうが言わまいが倒せていないときは倒せていないのであって、植え込みの隙間から凄い勢いの炎が私めがけて飛んでくる。飛び退いて避けるけど、微かに左頬が痛む。暗闇より現れたのは今や中心から手足を10本以上放射状に突き出している奇妙な何かで、ジジッと音を立てながら明滅する公園の電灯がそのてらてらした表面を断続的に照らし出す。

 頬を血が伝う不快な感触に耐えながら、これは長丁場になりそうだなと私は思う。

 

 「これは一勝負あったんじゃない?」と怪(人)は粘っこい口調で笑い、手らしきなにかを花のように開いた。私は肩で息をしてるっていうのに相手は余裕のままで、お寺の屋根には大きな穴が空いている。それはさっき吹き飛ばされた私がぶつかってできた穴で、穴から入った月の光が本堂の床にかすかに反射している。こんなに綺麗にしておられるのに、汚してしまって申し訳ないなと思う。

「確かに蝉とか蚊とかが沢山出てきたときは驚いたよ? でもどれも決定打とするには弱かったよね。僕が思うに君は」

 怪(人)はぴんと人指し指を立て、いやあれが本当に人差し指かは分からないが、

「身の回りにあるものからしか虫を生み出せない。変身してないから魔力効率が悪いし総量も劣ってる。だから身の回りの『文』章や『単』語から作った『蚊』や『蝉』を妨害のために撒いて、攻撃するのは君自身なんだ」

 と言った。癪なことに概ね当たっている。

「変身なしでそこまでやれるのは凄いと思うよ。でも僕みたいな上級怪人には敵わない。そしてここまで追い詰められても変身しないってことは、そもそも君は変身できないってことなんじゃない? だから最弱なんでしょ?」

 自説を開陳して怪(人)は満足気に手っぽい何かをくねくねさせていたが、「ばしゅっ」と音が鳴って、その動きが止まる。本堂の隅、月光が入らず暗がりとなっている左右の隅から太い縄のようなものが出て怪(人)を締め上げている。怪(人)は真っ黒な目をぎょろりと動かし、私の足元を見つめ、「蛙か」と低い声で呟いた。

「正解」

 本堂に上がるときは裸足が礼儀ってものだろう。

くつを蛙に……虫以外も作れるのか。でもこんなもの、時間稼ぎにしか」

「いくつか言いたいことがあるんだけど」

 私はポケットから小さいカプセルを取り出す。

「まず『上級怪人』の自称はかなり厳しい。色々と」

「えっ」

 怪(人)はぱしぱしと瞬きをして、それを横目に私はカプセルを割って中身を取り出す。

「それから、確かに昔は弱かったけど、ここ1年は出会った怪異は全部殺してる」

「えっ」

「死んだら強かったとも伝えようがないから、まぁそっちの事情も分かるけど」

「えっえっ」

 カプセルの中身、小さな白い固体を取り出して、私は怪(人)の方へと向き直る。

「最後に。誰が変身できないって言った?」

「えっ」

 私は固体を、少し甘い匂いのするつるっとした舌触りのものを、蜜蝋を口に含む。

 蜜蝋。「蝋」は高級脂肪酸と高級アルコールとのエステル。「蝋」燭はかつて日常的に用いられていた光源で、文化によっては神聖な意味合いを帯びることもある。蜜「蝋」は蜂が蜂蜜と花粉を消化・分泌して作り上げた蝋で、蜂の巣の主要な構成要素。蜂の巣は六角形のハニカム構造からなり、同じ要素の連続、無限の拡大と相似性は、やはり神聖なものとして見られる場合がある。

 「蝋」は21画の漢字。

 「魔」は21画の漢字。

 漢字がばらばらになり、ばらばらになった線は蠢きながら自らを再び組み換える。

 衣装がばらばらになり、ばらばらになった線維は蠢きながら自らを再び組み換える。

「何!? 何なのこれ!? ねぇちょっと、魔法少女さん!?」

 私がばらばらになり、ばらばらになった私は蠢きながら自らを再び組み換える。


 変身。


 そう私は呟いて、眩い光が私を包み込む。



「おつかれ~」

 満身創痍のまま公園のベンチで横になっていると、聞きなじみのある声がした。身体を動かすのが億劫で、顔だけを声の主の方へと向ける。

「あらあらだいぶお疲れじゃん。ちょっと失礼」

 駆け寄ってきた彼女は手のひらを私のお腹に当てて、すぐに全身の痛みが引いていく。

 彼女は水の魔法少女。したがってざっくり「台」の上にいる人なら誰でも「治」すことができる。無茶苦茶な能力だが、無茶苦茶な能力ゆえに重宝されていて、怪異となんか戦わせられない。そういうわけで私とか他の子達が交代しながら怪異をしばいている。

 「で、どーでした」と彼女がにやにや聞いてきて、治療が終わるまでの数分間、この時間に報告をするのが私たちの習慣だ。

「かなりすばしっこくて変身するまでに手間取っちゃったかな。でも最後はうまいこと変身して、トドメは百足むかででどーんと」

「あぁ、なるほど……」

 虫が苦手なのにこの子が毎回私の話を聞きたがる理由はよく分かっていない。

 そのまま仰向けで空を眺めていると、暗い空に少し青が混じっていることに気付く。夜明けの前の紺色はだんだんと明らんで、そのうち日が昇って、人々といつも通りの生活のざわめきが街に戻ってくる。

 そういうのがいいなぁと思っていて、だから、私はこの魔法少女というちょっとしんどめの役割を嫌いになれずにいる。


「あのさ、今日学校休んでも良いと思う……?」

「古典単語の小テストあるから行った方がいいと思うよ~」

「そ、そんな……」

 それはそうと、翌日がとんでもなく眠たいのはどうにかしてほしいとも思っている。

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虫の魔法少女のそこそこ普通の夜 柑橘 @sudachi_1106

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