第41話
ヴァンが去った後、ルシアナ様と俺は応接室に残っていた。
緊迫していた空気がようやく解け、俺たちはほっと一息ついていたが、ルシアナ様はまだどこか悩んでいるようだった。
……割り込むつもりはなかったのだが、気づいたら動いてしまっていた。
俺は少し心配になり、声をかける。
「ルシアナ様、先ほどは割り込んでしまい、申し訳ありませんでした」
「……いや、ロンド。むしろお前が助けてくれたおかげで、ヴァンに強く出ることができた。気にするな」
「ですが、あそこであんなふうに止めてしまって、本当に良かったのかと……」
「ふふ、気にしなくていいさ。実を言うと、私はあの場で多少の金銭を渡すことになるかもしれないと思っていたんだ」
ルシアナ様は軽く笑いながらも、すぐに真剣な表情に戻り、続ける。
「それが一番丸く治るとは思ったいたからな。だが、どうせ無駄に使われるだけだろうな。領民たちが毎日、必死で稼いで納めてくれた税金をだ。……お前を見ていたら、それは領民への無礼に当たると思ってな。だから、ありがとう。感謝しているぞ」
「……ルシアナ様」
「お前が止めてくれたおかげで、私はヴァンに無駄な譲歩をしなくて済んだ。助かったよ」
そう言って、彼女は俺に微笑む。いつものキリッとした表情とは少し違う、落ち着いた微笑だ。
「さて、仕事を始めよう。執務室に向かうぞ」
ルシアナ様は、笑みを浮かべると席から立ち上がった。
俺もルシアナ様の後へと続き、執務室へと向かう。
中へと入り、ルシアナ様が仕事を始めていく。
俺も飲み物の準備をして、ルシアナ様のテーブルに置いた時だ。
「ロンドぉ……さっきは疲れたよぉ! あのバカなんなんの!? マジキモい!」
……癇癪を起こした。
珍しい。仕事中にこの状態になるのは、初めてである。
よほど、ヴァンのことが気に食わなかったのだろう。
「……大変でしたね」
「褒めて」
「よしよし。凄く頑張りましたよ、ルシアナ様」
「……ヴァンは、いつも私に無茶な要求をしてくるんだもん。今まで、何度も何度も……もう! ロンドがいなかったら、今日も大変なことになってたよ!」
そこまで褒められると、さすがにはずかしい。
頰をかきながら彼女の言葉を受け入れていく。
ひとまず、それからしばらくルシアナ様は幼児退行してから、再び業務へと戻って行った。
夜。場所はとある貴族用の宿の中。
ヴァンは苛立った様子で呼びつけていた者の来客を待っていた。
「まだか、あの女は……」
腕を組み、苛立った様子で指を動かしていたところで宿の部屋が開いた。
「……失礼、いたします」
「遅いぞ、リーニャン」
「も、申し訳ございません」
名前を呼ばれた女性――外套を纏って姿を隠していたリーニャンの名をヴァンが呼んだ。
「ちょうど、貴様をルシアナのところに潜伏させていてよかったな」
「……何か、ありますでしょうか」
「ルシアナを殺せ。あいつが死ねば、この領地を管理する者が消える。うまくやれば、オレのものにできるだろう。ここは、他の領地と違って税収も調子いいみたいだからな」
リーニャンは戸惑いながら、ヴァンの命令に対して小さく頷いた。
ヴァンは殺しの命令を出したにもかかわらず、全く動じずに続ける。
「貴様。初めての殺しになるのか?」
「はい……。アカデミーを卒業してから、初めてに……なります」
「なら、覚えておけ。成功次第ではお前の立場もさらに向上してやる。オレの側近たちには、お前のように孤児から出世きたやつもいるんだからな」
「は……い」
「分かっているな? 失敗したら、貴様の妹もただでは済まないからな?」
「……っ!」
リーニャンの顔が曇る。まだ迷いのあった彼女だが、妹だけは守りたかったからだ。
「ああ、そうだ。それと、専属使用人の男……一人気に食わないやつがいたな。そいつもついでに殺しておけ」
「……ろ、ロンド、でしょうか?」
「確か調べたらそんな名前だったか? あいつはオレ様に生意気な態度をとったからな。失礼なやつだがら殺しておけ」
「……」
ヴァンは冷笑を浮かべ、無情な命令を下す。リーニャンはその言葉に従うしかなかったが、心の中で迷い、葛藤していた。……初めての「殺し」。これまで、動物や魔物を殺したことはあるが、人間を……しかもルシアナ様やロンドを……。
リーニャンは潜入調査として屋敷に入ってはいたが、それを忘れるくらいには職場が楽しかった。
親しくなっていた人たちを裏切ることを、したくはなかったのだ。
「返事はどうした?」
「……はい。分かり、ました」
リーニャンは重たい口をなんとか動かして、答える。
重くのしかかる迷いが彼女を締め付けていた。
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