俺は人を思っても良い人間なのだろうか
地支辰巳
人を思って良い人とは
桜が降り、花粉に鼻がやられるこの季節。こんな道を通るなんて偶々だった。通るつもりなんて無かった。自分が審判を受けた場所と違うけれど同じ建物。この静かで威圧感のある家庭裁判所にあの時の俺と同じように審判を受けている奴はいるんだろうか。
『保護観察に付する』
未だに残る1年前のあの言葉。あの時の俺は多分、良かったのだと思っていたんだろう。一緒に闇バイトをした奴は少年院や施設に行くやつばかりだっただろうし。だけど、今となっては素直に良かったなんて思えない。今から行く保護司の人を見るたびに本当にそう思ってしまう。自分は人に嫌味を言えるほどの立場では無いのだと何度も言われているようだから。
「おお! おかえり。最近はどうだ?」
「普通ですよ。何も変わることはない。普通の日常です」
自分の18年の人生で会ったことのないような暖かい空気感。俺はこの人が苦手であったが、同時に尊敬もしていた。これまでの人生、ヘラヘラ笑って周りに合わせているだけの自分のことを見てくれる。そんな人に始めて会ったことから来る苦手意識とこんな自分でも気にかけてくれている尊敬。だけど、だからこそ自分が惨めにも感じてしまう。
「ピアスが無くても髪が黒くてもやっぱり男前だな! そう思わないか?」
「……あんまり思わないです。すごく地味で違和感しかないです」
「まぁーいつかは違和感じゃなくなるさ」
周りに合わせて染めていた髪の毛とピアス。それが自分の存在意義だと思っていたし、その事がそこでいる為に必要なことだと思っていた。だから、何の色もない今の自分を俺は空虚に感じていた。
「……どうだ? 今の自分は嫌いか?」
「分かりません。今の自分が嫌いかどうかさえ分からないんです」
「……そうか。何か趣味とかは出来たか?」
「いや、あんまりです。何をやってもあんまり続かなくて」
審判が終わってから買った新しいスマホを眺める。父親と目の前の保護司さん以外には何の連絡先も登録されてなくて、ほとんど触っていないアプリばかりのスマホ。ほとんど時計と変わりない使い方しかしてない。趣味なんか出来るわけない。
「そうかそうか。まぁそういうのは勝手に出来てるもんだからな。それで……一つ提案があるんだけど受けてみねぇか?」
出た。偶にしてくるこの人の受ける前提でしてくる提案。別にそれが嫌だと……言うわけじゃない。でも、俺が受けやすくする為にここまで工夫して言わせてしまっていることに申し訳なくなるだけだ。
「それってこの間のこのカフェを手伝えみたいのですか?」
「まぁそんなみたいなもんだ。来週の土曜日と日曜日に直ぐそこのショッピングモールでイベントをやるらしいだが、その手伝いをしてみないかって提案だ? どうだ? 良い経験になると思うぞ?」
自分はこの人からのこういう提案にいつも肯定を示していた。それは別に提案自体に魅力的に感じたとか、保護観察期間を短くしたいとかじゃない。ただ、俺は受けなきゃいけない人間だと思うから。それ以外に理由なんてない。俺みたいな罪を犯した人間はしなければならないんだ。
俺に対して受けてくれないんじゃないかと不安そうに見るこの人の表情が耐えられない。はやく返事をしなきゃ。
「もちろん受けます。俺自身が変わる良い機会になると思いますから」
「そうかそれは良かった! だが、無理はするんじゃないぞ。多くの人と接して疲れるだろうからな」
「はい。出来る限り頑張ります」
果たして受けて良かったのか。そんなもの今更考える訳にいかない。それを考えるぐらいならあの時あんなことをしたことを悔いるべきなのに。
それからは苦にはならない人生経験が活かされるような雑談をして、その日の保護司さんとの会話は終わった。この会話はいつも少しだけ自分が普通の人と変わらないのだと思えるような時間ではあった。
***
「今日はしっかり行ったのか?」
「行ったよ。ちゃんと行ったよ」
この家に帰ってくる自分以外の唯一の人間。俺の父親。誕生日も覚えてない、義務的な会話しかしない冷え切った関係。それが自分が反抗期に入ってしまってからだったのか、それよりも前だったかは覚えてないけど、多分生まれた頃からだろう。それくらいこの人との距離感は変わってない。
「それで……良くなっているのか?」
「良くなって……? ……良くなってるよ」
今だってそう。まるで犯罪を犯した今の俺のことを病気にかかっているみたいにそんな風に言ってくる。病気じゃないし、仮に病気だったとしてもそれを息子に言うのか? 本当に俺に対して無関心な人間だ。
「明日も学校だから」
「ああ」
一度くらいしっかりと話し合えば変わるのかもしれない。でも、そのタイミングももう失った。犯罪をしてしまった時にさえ、らくに会話をしなかったのにもう今更出来ない。
階段を駆け上がり、自身のベッドに飛び込む。柔らかい。ただただ柔らかい。ただの布団の温もりなのにこんなにも抱きしめてしまうのは何故なんだろう。何かを求めている訳でもないのにこんなことをしてしまう。これがみんなしている普通かどうかさえ、自分には分からない。普通であって欲しい。
* * *
あっという間に日々は過ぎていき、紹介されたイベントの手伝い? の日になってしまった。昔からやんちゃな奴と関わっていた自分ではあるけれど、時間に遅れることがないことは自慢ではある。その自分の唯一とも言える自慢を胸に支えながら、今日も普段学校に行くのと変わらぬ時間に起きて支度をする。
おはようの言葉も言う相手も居ない中、淡々と準備をしていく。菓子パンを摘み、少しでも良い人間になろうと興味もない政治のことをテレビで聞く。そうこうしてる内に時間は経ち、薄暗い家の中から晴れ晴れと太陽の照らす外へと出る。
「……行ってきます」
今回、向かうショッピングモールは何とも言えないこんな田舎とも都会とも言えない地域よりも二駅隣にある都会ぽい場所にある。自分が昔住んでいた場所とも遠い地域にあるから、あの時の知り合いと会うだろうことは無いと思う。
会ったらどうなるんだろうな。どんな対応をすれば良いんだろう。久しぶり? いや、無視しなきゃいけないか。正解なんて分からないし、多分、良い感情を負けられることも無いだろうしな。
「少しだけ……」
あの時あれだけ話していたクラスメイトも仲良くしていた女子も目を逸らすんだろうな。自分がやったことはいえ、それだけ違う感情を向けられるのはつらいな。想像したくない。そんな考えをしている内にもう目の前にはショッピングモールがあった。休日だと言うもこともあって、人は大勢で、ここ一年近くこんな人混みに来ていない俺にとってはもう気疲れをしていた。
「すみません。なんか、イベントの手伝いの受付って何処ですか?」
「イベント? あーえっと、ちょっと待ってね」
インフォメーションという場所に立っていたお兄さんにイベントの場所を聞く。イベントの場所を聞く為だけにこんな如何にもな場所で聞くのもどうかと思うけれど、間違いなく着くにはこうするのが一番だろうから。
「それだったら、3階にハッピを着ている人がいるのでその人に聞いてください」
「わかりました。ありがとうございます」
多分だけど、聞く相手を間違えてしまった。そもそもとして、この人はこういうことを知っている係の人では無いんだろう。こんな小さなことの一つにさえ、自分がどれだけ普通の生活を送ってこなかったのだと嫌でも理解してしまった。
* * *
4階にも多くの人がいたせいで少し気分が悪くなったけれど、はっぴを着た人も直ぐに見つかった。はっぴには本場の和菓子キャンペーンみたいことが書いてあり、あと一時間ほどでそれが始まる声がこんな人混みでも耳によく残った。
「すみません。イベント手伝いで来たんですけど」
「おお! よく来てくれた! あっちに待機室があるから、そっちで準備しといて。他の子も大体もういるから」
「ありがとうございます」
待機室には俺と同じような年齢の高校生はいなくて、大学生ぐらいの年齢の人が6人だけだった。こんな感じのイベントの手伝いをする高校生の方が珍しいだろうな。前に行ってみたゴミ拾いのボランティアや老人ホームの手伝いの時にも思ってけれど、ここに居る人たちは自分の過去は知っているのかという考えにいつも捕らわれてしまう。これまでも知られているなんてことは無かった。けれども、やっぱり考えてしまう。本当は自分のことを分かっているんじゃないかと。
「こんにちは。今日よろしくね」
そのとき。これまでの人生でモノクロでノイズばかりがかかっていた景色がカラフルになり、画質が良くなった。それくらい今の俺の目の前の女性は美しかった。どこの部分が美しいとか、声が良いとか、顔が人よりも良いとかそんなんじゃない。ただ彼女そのものが美しかったんだ。落ち着いてきたけれど、俺の返答はすごくうわづってしまった。
「……平井洋平です! 高校3年生です! 今日はよろしくお願いします」
「すごく緊張してるみたいだね。でも、大丈夫。ちゃんとサポートするから。私は藍千晶。大学2年生だよ。改めてよろしく」
自己紹介の後、手を伸ばされて握手を求められる。でも、俺はその手をすぐに取ることは出来なかった。なぜというのは俺が聞きたいぐらいに本当にこの腕は動かなかった。いや、分かる。多分、俺は怖いんだ。この人の手を取って、俺のことを知られると、この人は俺から離れてしまうことが。握手程度で何を思っているんだって自分でも思ってしまう。でも、俺の手は動かなかった。
「大丈夫だよ。変な物持ってないからさ」
そんな俺のくだらない考えなんてここには必要ないと言うように彼女はぐっと手を伸ばして俺の手と握手をする。この人にとってそこまでするくらい握手は重要なものなんだな。俺は自分のくだらない考えを捨て去るように握られてた手をぐっと握り返した。
* * *
ショッピングモールでの手伝いと聞いていたから、やることは難しく大変な仕事だと思っていた。でも、説明されたのは京都の和菓子を広めるキャンペーンで色んな人に試食品を配り、特別に作られた売り場に案内するという簡単そうな仕事だった。あれから軽く自己紹介をした他の人たちとは持ち階が違い、俺は先ほどの彼女と同じ持ち場を担当することになった。立候補したとか、彼女が立候補したなんて事も無い。ただの偶々。そう、偶々。でも、それに俺は信じられないと思っていた運命というものを少しだけ信じてしまった。
「どうしてこれに応募したの? 何か高校生の子が応募するのって珍しいから」
「知り合いからの紹介です。ちょっと年老いた」
「そうなんだ。その人も和菓子が好きなのかなー。嬉しいなぁ」
「えっと、藍さんはなんでこれに応募したんですか?」
「私はこのイベントを主催してる和菓子屋の娘なんだ。だから、まぁお手伝いみたいな感じで」
彼女はそんなことを言うと快活そうに笑った。その笑顔は普段見る大学生の人よりももっと若々しい。まるで中学生のような純粋な笑顔だった。彼女の家が和菓子屋ということを聞くと、なんだか明るさがあって快活さが目立った彼女の姿におしとやかさのようなものを感じてしまったのは俺の単純さなんだろうか。
「こんな場所で和菓子を売るのも大変だけど頑張ろ!」
「そうですね。ここで食べてくれるかは大変だと思いますけど」
俺たちが頑張って宣伝することになった2階は服やファッション系のものばかりの売り場で和菓子屋を宣伝や試食には不向きな場所だった。なんでこんな場所でやるんだと無知な俺は思ってしまったけれど、彼女も同じように思ったのか、苦笑していた。
「今なら和菓子の試食出来ーーまーーす! 甘いのいりませんか!?」
「和菓子いりませんかー。美味しいですよー」
自信たっぷりに、自分の店の味に間違いがないと確信していて大きく宣伝する彼女と違って、俺はあまり大きい声が出せずに無難な宣伝しか出来ていなかった。多くの人が試食品を食べてくれて、美味しいと言ってくれたけれど、それについて俺は素直に喜ぶことは出来なかった。それは当然だと思う。あんなにも声量に差があるのに自分のおかげなんて思える訳がない。本当に彼女には申し訳なくなるな。
だけど、声量や気合いを直ぐに大きくすることが出来ないのが俺という人間だ。自分の人生を省みる機会は十分にあったからそれくらいは理解していた。
「こういうのはするのは初めて?」
「はい。人と接するアルバイト? は初めてです」
「ふーん少し意外かなー。昔、やんちゃしていたように見えるから」
「そう……見えますか?」
「うん」
彼女は冗談のつもりで言ったのかもしれないし、冗談じゃなくても大したことのように言ってはいないのかもしれない。でも、俺は彼女に自分が見透かされているようで怖くて声が震えていた。ここまで自分が変わったように思えていても、分かる人には分かってしまう。そんな現実が俺にはこの騒がしい空気感に似合わず、重くのしかかった。
「少しだけやんちゃしてました。今はもうしてませんよ」
「やっぱり? 羨ましいなぁー私も家のことが無かったらもう少しやんちゃしたかったな」
嘘をついた。少しだけやんちゃをしたと嘘をついた。何でかなんて分からない。気がついたら口から出ていた。見栄を張りたかったわけじゃないのに。
そして、彼女のことを俺は少しだけ妬んでしまった。今の言葉だけで自分よりも良い家で育ってきたと決まった訳じゃない。でも、俺は彼女の家庭が羨ましく思うぐらいには自分の家が嫌いだった。そんな自分の醜悪的な考えに気づかない彼女はそのまま色んな話を声かけの合間にしてくれた。
「へぇーじゃあ、引っ越してきたばっかりなんだ」
「はい。でも、友だちは出来なくて」
「ふーん、じゃあ私がこっちでの友だちになるよ! 平井くんは一人で放っておくと危ないからさ」
あんなことがある前は周りに友だちもいたし、みんなと仲良く出来ていた。新しい場所に来て、何でこんな友だちが出来ないのかは俺には分からい。別に前みたいに危ないことがしたい訳じゃない。ただ、友だちは……欲しかったんだ。だから、彼女の言葉は正直嬉しかった。
「……ありがとうございます。嬉しいです」
「あーもっと嬉しがってよ。後で交換しようね」
彼女の言葉と笑顔は眩しく美しかった。それだけで俺は和菓子を宣伝し、試食してもらうだけの仕事なのに楽しい時間を過ごせて、時間なんて感覚を忘れていた。
「みんないっぱい食べてくれたね。来て良かったなー。平井くんはどう?」
「俺も来て良かったです。こんな楽しい仕事は初めてですから」
「そうだよね! なんか誇らしいよー」
あっという間に終わる時間になったことに気づいた俺の気分は疲れていなかったけれど、慣れていない客商売に体は疲れ切っていた。
彼女は慣れているのかテンションも一定でまだまだやれるといった様子が待機室に戻ってからも感じられた。
待機室では今日のことの労い、明日の予定の説明、今日の報酬が手渡しで渡された。中身は1万円。大して使い道のない自分には高すぎる値段だ。そして、今日のところは解散することとなった。
「そうだ! 平井くん。連絡先交換しよっか」
「あ、そうですね。交換しましょう」
俺の二人しか相手の居なかったメッセージアプリに一人の名前が追加される。これを望んで仕事をしにきたわけじゃなかった。でも、ただこの光景に少しだけ自然と笑顔になってしまっていた。それくらい自分にはこの事実がいつからか思い出せないほど嬉しい出来事だったんだ。
「ちゃんと写真も変更した方が良いよー。ほら、私のなんて自分の作った和菓子だから。可愛いでしょ?」
「はい、可愛いです」
「正直ものだなほんとー」
実際彼女のプロフィール画像はまるで鶴のような和菓子でそれは見事な出来映えで折り紙で出来た鶴なんかよりも生き生きてしていた。背景画像は何処かにある和室で自分の家にあるものよりも本格的なもので掛け軸も何もかもが今までの人生で見たものよりも高価そうだった。
「じゃあ、また明日もちゃんと来てね。待ってるから」
「え、藍さんは帰られないんですか?」
「うん、私はほら、一応ここの準責任者? みたいなものだから後片付けとかしなきゃいけないの」
ここで帰るのは簡単だと思った。どうせ明日も会えるんだし、そんな大変なことに付き合うほど自分自身に余裕なんて無かった。でも、そんな気持ちよりも俺は彼女の力になりたいと思った。もう少し話したいと思った。もしかしたら、そっちの方が迷惑かもしれないし、気を遣わせるかもしれない。だけど、俺はここで人生で珍しく自分の意思を出した。
「俺にも手伝わせて下さい」
「え? ほんとうに? 良いの?」
「はい。ここで帰りたくは無いですから」
「ありがとう! はぁ良い後輩を持ったなー」
彼女からの感謝の言葉に照れ臭くなりながらも俺はどんどんと後片付けをし、明日の為の準備もしていく。人に言われた通りに動くだけだったけれど、けっこう大変な作業ばかりだった。
「よし完了! 帰ろっかー」
一応は上司に当たる人からの許可もあり、彼女ももう充分と言ったところで今日の仕事は本当に終わりを迎えた。近くのホテルに泊まっているらしい彼女と別れて俺はもう暗くなったきた帰り道を進んで行く。一人で歩くのなんてもう慣れたもので寂しさなんて感じることは無いと思っていた。でも、さっきまで彼女と話していたことと彼女から奢ってもらったココアの暖かさを感じると、少しだけ寂しさというものを感じてしまっていた。
「ただいま」
電車に乗り、家に帰って来ても誰の返事も返ってこない。この家に彼女が居れば、元気の良いおかえりが届くのだろうけれど、そんなことは俺は都合良い妄想に過ぎない。とっとと寝て、明日に備えよう。体は大変だけど、心は疲れない明日に。
* * *
起床し、いつもの身支度をする。休日は部屋に籠りきり、何をしているか分からないあの人のことなんて気にしないし、そんなことを考えている暇があるなら朝ごはんの食べるスピードを上げた方が意味のあることだった。
捨てることになった周りに合わせていた服を今になって後悔する。こんなにも地味な私服ばかり残るんだったら少しでも残しておけば良かった。こんな地味な服じゃ彼女に地味な奴だと思われてしまいそうだから。
「行ってきます」
この言葉を言うたびに何故言ってしまうのかが分からなくなってしまう。生まれてから行ってらっしゃいという言葉を聞いてきた訳でもないし、そう躾けられた訳でもない。でも、言ってしまう。そんな何かを期待しているような自分が嫌いだった。
「いらっしゃいませー!」
多くの店から声が聞こえてくるショッピングモール。昨日あれだけの時間を過ごしたこともあってか、はじめに来た時よりもストレスが減って、色んな家族の笑っている顔を気持ちよく受け入れることが出来ていた。
「今日もよろしくおねがいします」
「よろしく! 今日も頼むよ」
昨日も会った上司の人に頭を下げ、待機室を眺めると、昨日もいた人たちが昨日ペアを組んだ人と固まってるみたいで、ポツンポツンと人が散っていた。その中で俺に対して手を振る姿。一日しか経っていないのに懐かしいような景色に思えるその姿は俺の心を温めた。
「久しぶりー! まぁ一日しか経ってないんだけど、どうよく眠れた?」
「はい。久しぶりにぐっすり眠ることが出来ました。藍さんもぐっすり眠れましたか?」
「うーんあんまりかなー。私ってホテルとかじゃ眠れないからさ」
自分の家の和菓子を広める為にこんな遠いところまで来て眠れていないのにそれを苦とも思わず、笑顔で話す彼女に親近感? いや、なんなんだろう。こんな気持ちは。本当は分かっているんだ。彼女が笑顔で話すだけで嬉しくなるなんて彼女のことを自分が好きになったってことぐらい。
「どしたのー怖い顔して」
わかってはいる。わかってはいるんだ。こんな前科があるような人間が恋をしても良いのかなんて。彼女に迷惑がかかるんじゃないかとか、自分みたいな人間がとかを思ってしまう。
「いや、なんでも無いです」
「ん? そう? 悩みがあったら何でも言ってね。私でも良いからさ」
「ありがとうございます。そうさせてもらいます」
彼女の言葉はすっと自分の中に入ってきた。これまでも保護司の人から同じ言葉は言われてきたはずなのに今のようにしっかりと受け止めは出来なかった。何でなんだろうな。反省してるとは口で言っても意固地になっていただけなのかもしれない。
「色々話しましょう。俺は素直になりたいです」
「ん? 平井くんは素直だよ? うん、話そう」
彼女の明るさに俺は助けられるているのかもしれない。俺の現状を本当に知らないとはいえ、俺の悩みなんてちっぽけみたいに笑い飛ばしてくれるような、そんな彼女だから俺は好きになっているんだと思う。
「何から話す? 好きな映画の話とかでもしよっか」
彼女はあんまり自分の話というものを会話の中に入れたことが無い俺の代わりに多くのことを話してくれた。チキンの骨を車から投げる映画が好きだとか、体を動かすことが好きだとか色々。ここ最近は人と話すことが少ない俺にとってはこの会話一つずつが本当に輝く石のようだった。
「よし! そろそろ時間だねー! 今日も頑張ろ!!」
今日も俺と藍さんこ二人で売り子をすることになったけど、場所は昨日と変わって飲食出来るような店がいっぱいある階だ。こういう場所にはあいつらとよく来ることがあった。別に金をせびられた訳でも無いし、いじめのような扱いをされた訳でも無い。普通に楽しかったし、良い思い出も無くはない。だけど、俺にとってはその日々は何故か空虚だった。
「食後の和菓子どうですか! 試食もあります!!」
「良い声出てるね! うんうん。昨日よりもすごく良い!!」
「ありがとう……ございます。声出すのって大変ですね」
「何をするにも声って大事だからね。まぁ私の家ではあまり出さないんだけどね」
今日は昨日と場所が違う為か、日曜日だからか、大勢の人が試食に来てくれて、彼女と話す時間もほとんど無かった。でも、この仕事に追われるという状況も初めてで退屈しなかった。こんな風に新鮮味に溢れる日々はずっと来て欲しいな。
「平井くんは引っ越す前はどうだった?」
それは休憩の時間の会話の中の一言だった。何の意図も無いただの一言。だけど、俺はその言葉に直ぐに返すことが出来なかった。よかったと嘘をつくことも簡単で、悪かったと正直に言うことも簡単だった。でも、俺は多分空虚な日々だとしても昔のことを否定したくないのかもしれない。だから、言葉に出せなかった。空虚な思い出が思い起こされてしまったから。
「友だちは……多くいました」
「……そうなんだ! 私はあんまり居ないんだよねー」
友だちがいたなんて曖昧な表現をした自分の気持ちを受け止めた上で彼女は話をそらしてくれた。申し訳ないな。また彼女に負担をかけるなんて。やっぱり駄目な人間だ。自分は。
「ほら、和菓子屋の跡取り? って色々と家のことをやらなきゃいけないからさ。遊ぶ時間がなくて仲良くなれないことばっかりだったんだよね」
「大丈夫ですよ。藍さんは良い人だとみんな知ってますから」
「ありがとう。平井くんもね良い人だなって私も知ってるよ!」
彼女は彼女なりの事情があって生きている。そんな簡単なことを俺は友だちが少ないということから感じ取っていた。これまで俺は自分の事情しか考えてなかったんだな。……もっと人のことを見なきゃな。
「よし! 休憩も終わり。後半戦も頑張っていこ!!」
「はい!!」
そこからの俺は自分でも頑張ったと言い切れるほど頑張っていた。常に笑顔を心がけて、一人一人の顔を見て呼び込みをする。街中での呼び込みや宣伝は前までははっきり言って嫌だった。でも、今はもうそうは思わない。
「平井くん。すっごく良かった! まるでうちの店の人みたいだった。どう、一回本店の方にお手伝いに来ない?」
終了の時間になってから、彼女から提案された本店での手伝い。これが冗談なのか、本気なのか俺には読み取ることは出来なかった。
「……行ってみたいです。でも、俺は引越しは出来なくて」
保護観察の身の俺が引越しや旅行をするには許可がいるし、それが許可されるかも分からない。冗談にせよ、本気にせよ、ここで言うことは言っておかないと。
「そんなに重く捉えなくても良いよ。週末にちょろっと来るとか、長期休みにいっぱい来るとかで、どうかな?!」
「わかりました。行きます」
「ほんと?! ありがとう! 嬉しいなぁ!」
俺が行くと言っただけなのにこんなにも喜んでくれる彼女は純粋なんだと思えたし、こんな彼女に自分のことを話すのは怖いとも改めて思えた。
「じゃあ私、ここのモールの人と話してこなくちゃいけないから、先に帰ってて。後で連絡するね」
一人でにさっきまでとは違って、背筋をしっかりと伸ばし、顔を強張らせた彼女はその言葉通り、進んでいく。残された俺はお金を受け取り、他の面々と共に解散することになったが、彼女の居ない帰り道は魚の居ない川のように物足りないものだった。
* * *
報告の為や来なければ行けないことから、俺は保護司さんの元へ来ていた。あの体験をしたからって、この人に対する印象が変わることはない。だけど、これまでの態度を謝りたいと思うぐらいには何かしらの変化を感じていた。
「おはようございます。ご無沙汰してます」
「おう。おはよう。どうだ? 少し顔つき変わったか?」
「はい……少しは変わったと思います」
これまでと変わらず俺にニヒルな笑顔を見せる彼はやっぱり良い大人なんだと実感していた。それはショッピングモールでの彼女の営業のように人の幸せを願えるようなそんなオーラが彼から出ていたからだった。
これまでもそれは出ていたんだろう。でも、俺は気づけていなかった。いや、信じ切れていなかったんだ。人を信用するとかそんなことをしたことが無かったから。
「どうした? 話すことあるんだろ。ゆっくりコーヒーでも飲みながら話そうや」
「話します。いっぱい」
今まで、ここまでこの人に話せてこれたことはあったんだろうか。それを思うほどに俺は饒舌にこの間の土日のことを語っていた。この人からしてみれば、この内容は既に経験していることかもしれない。だけど、いっぱい話したかったんだ。
「そうかそうか。良い日々だったな。紹介した俺も鼻が高いぜ」
「……まだ言いたらねぇことがあるんだろ? 話したいかは自由にすれば良い」
そこから何分俺は黙っていたのだろう。それほどまでに次の言葉を出すことが出来ていなかった。緊張しているのか、恥ずかしいのか。それは分からない。だけど、決意は出来た。
「俺は……さっき話した女性が好きなんだと思います。でも、俺は彼女に自分の罪を告白してしない。人様に迷惑をかけた自分の罪を。俺はどうしたらいいんでしょうか」
これまでこんな感じで意見をもらおうとしたことは無かった。だからか、保護司の人の表情は呆気に取られたようでいて、それでいて少しだけ嬉しそうだった。こんな問いかけをして意味があるか分からない。でも、ただ答えが欲しかったんだ。
「オレからは正解は出せないな。相手によるとしか言えねぇからな。だけどな、この人には言えると思った人には迷わず言うんだ。それでどうなっても自分で後悔が出来るからな。後で他でバレちゃあ意味がねぇからな」
「……はい」
保護司の人に言われた言葉は自分の思っていることを上手く言語化してくれていた。そうだ。結局、いつどういう経緯でバレるか分からないんだ。俺の覚悟が足りないだけだったんだ。言って拒否されるても自分の責任だ。後悔してもいい。彼女に言ってみよう。
「覚悟が決まってる顔してるな。成功しても失敗しても帰ってこいよ。ここで待ってるからな」
近すぎず、遠すぎない距離感の保護司の人の言葉に背中を押されて俺は彼女のお店に手伝いに行くことを決める。許可に関しては保護観察官の人と相談して申請をすることになるだろうけど、真面目に決められた全ての面談をしているから大丈夫だと言われた。よし、俺は今から、また新生活を始めるんだ。
* * *
あの日から約2ヶ月。太陽が肌を真っ赤に染め、家に居ても汗が垂れてくる季節になってしまった。暑さと汗で不愉快極まりない毎日だけど、いよいよ彼女の家で働く日が来たんだ。頻繁に連絡を取り合って、俺は今日という日をずっと楽しみにしてきた。期間は一週間と短いけれど、それでも良い。この一週間の間に俺は言うんだ。自分は犯罪をしたって。こんなことを言ったって相手は困るだろうし、ただの自己満足だ。だけど、こんなことを隠し続けたくはないんだ。
「じゃあ、行ってくるから」
「……一人で行けるのか? 旅行なんて大してしたことないだろ」
「……お金はありがとう。もう行くから」
彼女と出会ってから、新しい学校の人にも少しずつ話せるようになって、自分というものを見つけられてきたけれど、未だに父親とは向き合えない。それが何故かなんて分からないけど、多分意地だ。ただの反抗期。反抗期だからいつかは向き合えるさ。
新幹線に乗り、外の景色を見る暇も無く、俺の瞼を眠気が襲う。今日のことが楽しみで眠れなかったからだとは思うけれど、もう寝てしまおう。仕事をしにいくんだ。少しぐらい寝ておかないと持たないだろうから。
「おーーい! こっちこっち」
新幹線から普通の電車に乗り換え、観光地から少しだけ歩いたところにあるその和菓子屋の前で俺の姿を見つけた彼女は笑顔で手を振ってきた。2ヶ月振りに会った彼女の姿はこの間会った時と変わりなかったけれど、割烹着のようなものを着ており、本格的な和菓子屋だということがすぐに分かった。ああ、目の前まで来ると緊張してしまう。おかしいな。あんなにも学校で話せるようになったのに。
「おはようございます。久しぶりです」
「うん! 久しぶりー! 少し大きくなったね。ちゃんと来てくれて嬉しいな」
「大きい店ですね。立派だと思います」
「でしょー! ここ私すごく好きなんだ」
実家のことや両親のことを話すときの彼女はいつも笑顔だった。彼女に反抗期ってあったのかな。いや、その質問はやめておこう。あのことを言うんだ。他のことを聞いてまでいられない。
「仕事だけど、お客様が望んだ和菓子を渡すだけだよ。ケーキ屋さんとかの販売と一緒だよ」
「……すごいですね」
案内された室内は自分がこれまで味わったことのないような厳かでありつつも、安心感があって、いつまでも居たくなるような穏やかな場所だった。
「でしょ? じゃあ裏も案内していくから。そんな緊張しなくても大丈夫だよ。みんな優しいからさ」
裏はまるで屋敷を改造したみたいな場所で和の雰囲気に満ちてた。その中で香ってくるのはあんこの匂いと餅のような匂い。その匂いの濃い場所に案内されると、そこでは如何にもな白色の服を着た人たちが色んな和菓子を作っていた。
「あそこにいるのがお父さん。ちょっと頑固だけど嫌な人じゃないからさ」
彼女の指した人はたしかに頑固なそうな顔をしている人だったけど、和菓子を作っている表情は真剣そのもので、この人が作った和菓子なら絶対においしいだろうと思わせるだけの気迫があった。
「絶対……おいしいと思います」
「もちろん。味も品質も何もかも最高だよ」
いつのにもなく真剣な顔をする彼女によって家の中を全て案内してもらうと、彼女がどこからか取り出してきた従業員用の服を手渡される。それを更衣室のような場所で着替える。こんな風にしっかりとした着替えなんかをすると、何だか責任感? みたいなやつを感じる。こんなの感じたことなかったな。もっとこういうのを感じた方が良いんだろうな。
「お! 似合ってる。可愛いよー!」
「揶揄わないでください。……立派に見えますか?」
「うん、見えるよ。立派にうちの従業員に見えるよ」
「ありがとうございます」
藍さんと別れ、仕事が始まった。藍さんよりもベテランそうな女性の人から仕事を教わりながら接客に励む。接客をしたのなんてこの間しか経験が無くて本当に色んな指導を受けた。だけど、何だろう。自分が立派になっていくのが心地よく感じる。もっと人生は空虚な感覚だったのにな。
「……疲れた」
「お疲れ様! 途中で見たりしてたよ」
「……藍さん。どこで見てたんですか?」
「色んなところ。私ってまだまだ修行中だからさ、色んなところで働くんだ。前でも後ろでも」
俺よりも動き回って疲れているだろうに、彼女は心底明るそうに話していた。俺はここまで自己研鑽していることを笑顔話す人を初めて見た。
「大丈夫ですか? まだ開けてないので、この水どうぞ」
「お! ありがとう。気が利く後輩だねー」
「いや、自分よりも疲れる人は労わらないと」
「良いねーその精神。私も真似しよっかな。はい、これ! 私が作ったやつだよ」
彼女がどこからか出してきたのは形も綺麗に整っていて、美味しそうだと一目で分かる大福だった。普段から凝ったものを食べていないから、味がわかるかは分からない。だけど、せっかく彼女が作ったものだ。食べないなんて選択肢は俺には無かった。
「いただきます」
ぐっと重すぎず軽すぎない甘みが口の中に広がる。外側の皮の食感も老人や子どもが食べやすいことを考えて柔らかくしてあって食べやすい。そんなみんなに好かれそうなこの味に彼女の理想が現れてる気がした。
「美味しいです。すごく。たくさんの人に愛されるようなそんな味でした」
「分かってくれる?! 私さ、みんなに愛されたいんだ。誰にも嫌われたくない。そんなの無理だって分かってるよ? でも、みんなに好かれたいんだ。これもさ、そんなお菓子であって欲しくて作ったんだ」
初めて彼女という人が分かった気がした。これまで俺は彼女を通して自分ことを見ていたんだと思う。だけど、今、初めて知れたんだ彼女という人が。彼女も俺とそんなに変わらないんだ。人との付き合い方に悩める人に……変わりないんだ。
「すごいです。俺、藍さんのことを尊敬します」
「ほんと? 嬉しいなぁ。ありがとう。みんなに言っても無理とか言われるからさ、そんな純粋に言われると嬉しいな」
休憩時間も終ってしまい、また彼女と別れて仕事に戻る。仕事の場ではさっきよりも自分の動きが良くなったのだと自覚出来るほどにスムーズに動けていて、ミスをほとんどしなかったことに自分でも驚きだった。
「じゃあ、また明日。ごめんね泊めてあげられなくて。お父さんが警戒しちゃってさ」
「いえ、こんな人が来たら誰でもそう思います。信用されるように頑張っていきます」
「うん、私からも言っておくから。平井くんはいい人だって!」
彼女の口から良い人だという言葉を聞くたびに俺の心は嫌な刺激を受ける。言わなきゃいけない。あのことを言わなきゃいけないってことは分かってるのに。俺の口からは乾いた言葉しか出てこなくて、結局口から何も出せなかった。このまま決意したにも関わらず言えない日々が続いていくんだろうか。その考えは夕暮れの中のホテルまで向かう俺の心にどっとのしかかった。
「あれ!? お前」
気分が滅入り、悶々とした考えの俺が出会ったのは前の高校のクラスメイト。あの闇バイトをしたグループにはそこまで関係のないやつだったけれど、そこそこ親交のあったやつだった。だからこそ、嫌だった。こんなところでこんな考えをしている今、会うのは。無理に何かする必要はないんだ。軽く頭を下げて、避けるようにして進もうとするけど、ガッと肩をつかまれる。
「なんで逃げようとするんだよ。話聞かせてくれよ」
そいつの目からは興味本意みたいなそんなわくわくしているような目線を向けられる。前まで会っていた時とは全然違う視線。ああ、この視線を感じるとどうしようもなく感じてしまう。自分は前科を持っていて楽しくしていては駄目な人間なのだとそんなことを……思ってしまうんだ。
「ここで何してたわけ? お前、あれだろ? 闇バイトしたった噂になってるけどあれマジなの? ほんとお前らのグループって馬鹿だろ。犯罪者ってことだろ」
何も言い返せないし、何も口から出せない。何を言ったとしても言い訳にしかならないように感じた。犯罪者とは違う。法の上じゃあ俺は犯罪者ってことになってない。だけど、俺は犯罪者なんだ。他の人とは違う犯罪者なんだ。
「他のやつが何してるかなんて知らない。俺は……もう……何も……関係ないんだ」
「へぇーそう。まぁいいや。他のやつに会ったらよろしく言っておいてよ。俺はお前らみたいにはならないって」
どうしようもなく自分はこいつよりも下の人間なのだと自覚する。そうだ、世間では犯罪者なんだって人に受け入れてもらえるわけないんだ。どれだけ俺がこれから頑張ったとしてもやったことは変わらない。彼女に受け入れてもらえるかどうかも不安になってきた。そのまま俺はどうやってホテルに帰ったかも分からないままホテルの一室で泥のように眠ってしまった。まるでこの嫌な現実から逃避をするように。
* * *
目が開く。脳が起きようとしているのを拒否しているにも関わらず目が開く。こんなことは久しぶりだった。義務と感情がどうしようもなく解離しているこんな状況は。昨日のことを思い出して嫌な気分になる。なんであんな奴にあったんだろうかとか、なんであんなことしたんだろうかとか、思ってもキリがないことばかりが頭の中を巡る。
顔を洗い、自分の神経をリセットする。行かなきゃ。行かなきゃ。行けないんだ。昨日のことは忘れよう。俺のやることは変わらない。仕事をするだけだ。
「おはよう!! 二日目も頑張っていこうね」
「はい。頑張っていきます。それと……藍さん」
「ん? どうしたの?」
「……話があります。今日終わってから時間ありますか?」
「……うん、大丈夫だよ。少しだけ待ってね」
何でこんなことを言ったのか自分でも分かっていなかった。いや、違う。もういいんだ。昨日のことで自分が普通の人にはもうなれないって分かってしまったんだ。受け入れてもらえるなんて思えないし、昨日のように拒絶されるかもしれない。もう早く答えを聞いてこの答えを終わらせたい。……こんなことを思っていても、少しの可能性でも受け入れてもらえると思ってる自分のことが気持ち悪い。
また彼女と別れて、表で必死に接客をする。初めて来たお客さんから常連のお客さんまで先輩のアドバイス通りに笑顔を欠かさず、商売の要素を出さないように接客をする。お客さんの喜ぶような顔はみんなが言っているように何か心が温かくなるようで、自分がこんなに人を笑顔にすることが出来るなんて未だに信じられなかった。
「君、やっぱり手際良いよね。なんかしてたの?」
「いや、ほとんど経験はありません。ただ周りに合わせるのが上手いだけです」
先輩の言葉に自嘲気味に笑いながら言葉を返す。そうだ。昔から周りに合わせるのだけが上手かったんだ。周りに流され、周りが好きなことを積極的にする。それをやるだけで表面上の友だちはいくらでも出来た。そんな空虚な付き合いをするだけだったから、あんなことに関わってあんなことをしでかした。だから、もうこの才能が嫌いになっていたんだ。でも……こんなことなら少しは好きになっても良いかもしれない。
そして、アルバイトの時間が終わり、店から少し離れた場所で彼女のことを何度も深呼吸をしながら待つ。緊張している。告白するわけでもないのに緊張しているんだ。自分という人間を知ってもらう為の告白。小さい希望を抱きつつ彼女のことを待つ。
「ごめん、待った? しなきゃいけないことが多くて」
「いえ、大丈夫です。俺の方が呼び出したので」
「それで言いたいことってなにかな?」
息が上がってくる。呼吸が早くなっていく。心臓が早くなっていく。身体のいくつもの要素が俺がこの後の言葉を言うことをやめろと警告してくる。無視しよう。この後、俺がどうなってもそういう運命だったんだ。覚悟を決めろ。
「藍さん」
「ん、どうしたの?」
「俺は……俺は……闇バイトをしたことがあるんです。それで今、保護観察中なんです……」
たどたどしく告げる言葉に彼女は表情は変わらなかった。いや、少しだけ温和な表情になったような気がした。分からない。どんな言葉をかけられるか分からない。怖い、今すぐ逃げ出したい。聞きたくない。
「うん、もっと話して。それから私から話すよ」
「え? はい……話します」
俺は自分の人生のことを話しているような気持ちで全てを話し始める。自分は空虚な人間だということ。周りに合わせるようにしてやんちゃなグループとつるみ始めたこと。そのグループでアルバイトをしようということになり、それが闇バイトで人様のお金を取ってしまったこと。俺は役割やその態度から保護観察処分となったこと。それから保護司さんに良くして貰ってあのアルバイトを紹介されたこと。自分のこれまでの生い立ちをほぼ全てを話した。その間、ずっと彼女は微笑んでいるようなそんな感じだった。
「……これが俺です。平井洋平です」
「うん。平井くんのこと全部分かった。私も思ったことを話すね。平井くんがやったことは最低だし、そんなことはしたら人として駄目だね」
軽蔑するような彼女の言葉。でも、不思議とその言葉に俺はあまりショックを受けなかった。なんでなんだろう。こうなることが分かっていたからなのかな。ああ、もう自分の過去に後悔しかない。あんなことしなきゃよかったな。
「でもね……平井くんが今そのことに向き合ってるのってすごい良いことだと思ってる。自分がやったことに向き合って人生を見る。私はそれだけで立派な人だと思うよ。うん、平井君は最高で立派な人になってると思うよ」
目からこぼれ落ちていく涙。泣くつもりじゃなかった。どんな言葉を言われたって泣くつもりは無かったのに涙がこぼれてくる。恥ずかしい。彼女の前でこんな涙なんて。まるで初めて泣いたように不細工に泣く俺の身体を彼女は抱きしめた。
「大丈夫だよ。平井くんはしっかり罪と向き合えてる。大丈夫。私がついてるから」
言われたかった言葉だった。保護司の人にも父親にも誰にも言われなかったその言葉。1度で良いから言われたかったんだ。俺はちゃんと出来てるって。ちゃんと生きられているって。それを言ってくれた彼女に俺は気持ち悪いかもしれないけど、遠い昔にどこかに消えてしまった母親の姿を思い出していた。
「落ち着いた?」
「はい」
その後何分そうしていたかは分からないけれど、落ち着いた俺は彼女の胸から離れる。随分と彼女に迷惑をかけてしまった。でも、この時間はただ幸せな時間で、俺に必要なものだったんだと思う。
「藍さん……俺」
「うん。平井くんはこれまで通り暮らせば良いよ。私も平井くんの全部を知った上で接していくから。私は平井くんのこと好きだよ。自分に対しても何に対しても一生懸命な君が」
「俺も……好きですよ藍さんのこと。みんなのことを考えて生きている優しい藍さんが」
「ありがとう」
そして、俺はまたホテルへと帰り、今日の疲れを取るようにベットの中で目をつぶる。でも、中々寝付けなかった。今日のことが良い記憶として頭に残り続けたから。
* * *
目覚めがよかった。何故か、目覚めが良かったんだ。いつもはダルくて疲れたような感覚のような目覚めだったのに、その日は目覚めがよかったんだ。それは昨日彼女に思う存分話したからなのかもしれない。昨日はあまり寝つくことが出来なかったんだから。そんな気分だったから初めてホテルの朝食を食べに行って早めにホテルを出る。早く出た意味なんて特にない。散歩がしたかったからとか、清々しい気持ちを味わいたかったとかそれだけだった。だから、いつもよりも早く店についてしまったんだ。
「ああ。千晶の連れてきたアルバイトの子だな」
「おはようございます。平井洋平です。ちゃんとしたあいさつが遅れてすみません」
「いや、こっちも忙しかったからな」
藍さんのお父さん。俺がここにアルバイトに来てからずっと和菓子作りに専念していて、しっかりとした挨拶をしたのは今日が初めてだ。ガタイも良くて、強面。近くで見るとその威圧感は増していた。
「君はあいつの和菓子を食べたことあるか?」
「……はい、一度だけ」
「世間的な味だっただろう。和菓子屋の頂点を目指せない世間的な味だ。もっとあいつには洗練された味を磨いてほしいんだ。君はどう思う?」
突然の問いかけに俺は直ぐには言葉を出せなかった。この人は彼女の味が気に入らなかったのか。俺はただただ彼女の味は素晴らしいものだと思ったし、みんなに愛されるような優しいものだと感じた。何故俺に問いかけてきたかは分からないけど、俺には彼女の味は否定できない。
「素晴らしい味だと思います。みんなに愛されるような、みんなが食べることが出来る良い和菓子だと思います。俺はその道で良いと思いました」
「ほんとうにか? 確かにあいつのしていることは経営的には良いことばかりだ。他県に宣伝しに行ったり、万人に受ける味を作ったりな。だが、多くの人に良い顔をしてるばかりじゃあ、社会では自分を持てない。こだわりを持たなければ」
ああ。この人の言いたいことが分かった。この人はこだわりを持って和菓子を作ることを教えることで彼女に自分を待って欲しいんだ。万人に救われなくても良い。尖っていても自分のことを貫ける人間に……言いたいことはわかる気がする。でも、俺は。
「藍さんのしていることには自分があると思ってます。藍さんの作る和菓子はみんなに好かれようとしていますし、みんなに好かれようとすることは自分がないと出来ないことです」
決して目を逸らさず彼女のことを答える。俺の答えなんて彼女と20年余りいるお父さんとは比べものにならないほど小さな意見だ。だけど、実際、彼女には救ってもらったんだ。俺は彼女の生き方は美しいとしか思わない。
「……確かにな。そういう見方もあるだろうな。だが、そんな意見なんてあいつが社会に出てからも言い続けるのか?」
「はい。言い続けます。俺は彼女の考え方が正しいって。彼女は間違って無いって。ずっと言い続けます。俺は彼女に救われましたから」
「……そうか」
少しだけ考え込んだお父さんはゆっくりと店の中に入っていく。その背中は前見た時よりも優しい感じがあったような気がしていた。
「お、おはようー! 元気よさそうだね」
「はい? 元気ですけど」
中に入った俺は何処か戸惑った様子の藍さんと会った。彼女が何故戸惑っているかは分からなかったけれど、昨日のあの別れから喋るのは緊張してたんだ。こんなぐらいの方が話しやすかった。
「平井くんさ、この一週間が終わったらどうする?」
「どうする? 何も考えてないです。普通に今まで通り過ごすつもりでいます」
「じゃあさ、また来てね。お父さんはさ、ああ見えて自分から話す人は決めてるから、気に入られたんじゃない?」
ああ、そうか。だから、俺に対して話しかけたのか。何で気に入れたのかはよく分からないけれど。いや、あれ? 藍さん聞いてたのか。あの会話。聞かれていたなんて恥ずかしいな。
「じゃあ、今日も頑張って!」
聞いてたんですかと聞く前に彼女は足早に仕事場に戻って行った。そういえば、彼女の仕事姿をいまだに見られないのは少しだけ寂しいな。
そこからの三日間、俺はこれまで以上に良い笑顔で接客が出来ていたし、毎日藍さんと話せて楽しかった。本当にこれまで経験したことないような。そんな日々だった。
「じゃあ、明日が最終日だね。少し寂しいな」
「俺も寂しいです。藍さんと会えなくなるのは」
「えー私だけ? みんなのことも言ってあげてよ」
「はい、他のみなさんとも会えなくなるのも寂しいです」
「でしょ。だからさ、絶対また来てね」
「はい、もちろんです」
その会話で俺は下を向いてしまっていた。こんなにも笑顔になっているような顔を見られるのは少しだけ恥ずかしかったから。そして、俺はもう歩き慣れたホテルの道を軽い足取りで歩く。そこで俺はまた会ってしまったんだ。この間のあいつと。
「よぉ前科者。こんな場所でまた何してんだよ」
「別に何だっていいだろ」
この間会った俺のことを犯罪者と呼んでくる昔のクラスメイト。この前会った時は本当に嫌な気分で自分のことが嫌になった。だけど、今はもう前回ほどは自分が嫌にはならなかった。
「何でそんな楽しそうに歩くんだよ。お前犯罪者だろ?」
「分かってるさそんなこと。俺は犯罪者で前科者だ。だけど、今は今を生きてるんだ。もう俺に構わないでくれ」
自分でも驚くほど威圧感が出てしまっていたと思う。2歩後ろに引いたそいつの姿を見るとそう思わざるおえなかった。
「わ、悪かったよ。からかいすぎた」
「良いさ。言ってることは正しいしな」
その後の会話をすることなくホテルへの道をまた進む。別にいい気味だとか、やってやったぜなんかとは思ってない。ただ胸が少し空いたのは確かだった。
* * *
最終日だからと言って、仕事内容に変わりはなかった。子どもから老人までの接客を丁寧に笑顔でして、夕方まで必死に働いた。最後まで悔いのないようにしたかったから。
「今日までありがとう平井くん。ほんとうに色々感謝してもしきれないよ」
「俺こそです。ほんとうに自分が生まれ変わったみたいです」
「ううん、いつだって平井くんは平井くんだよ。私だって勇気をもらったから」
「勇気ですか?」
「うん、迷いが吹っ切れるようなそんな勇気ね」
藍さんの言っていることはよく分からなかったけれど、言われていることに悪い気はしなかった。俺だって藍さんの役に立てたんだって思うと。
「平井くんさ。約束しようよ」
「約束? どんなですか?」
「次に会う時の約束」
俺はその約束を聞き、満面の笑みでその約束に頷いた。ただただ彼女に会えるのが嬉しかったから。自分の人生を変えてくれた彼女にまた会えることが。
俺は人を思っても良い人間なのだろうか 地支辰巳 @hituziusi
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